第98話 本流の剣
イルマの朝は早い。
ヘクラ小隊のメンバーは朝の7時から身体づくりに余念がないため、イルマも朝の6時には王宮へ向かう。室内の訓練場で綱を昇ったり、石を持ち上げたりするのだが……。
「イルマ……。お前、それ、何とかならないか?」
この前、模擬戦をした小隊長オウジンが困惑した声を出す。
それとは胸のことだ。
冬とはいえ室内練習では汗をかき、イルマが服を脱いだら男性陣が目のやり場に困るというパターンなのだ。
「そう言われてもねえ。あんたらが気にしなければいいんだし」
「気になるよ!」
周囲の騎士たちが声を揃える。模擬戦以来、イルマは小隊に馴染みすぎなくらい馴染んでいた。明るくて親しみやすく、それでいて美人さん(+胸)であれば嫌われるはずもなかった。
ただ、イルマは最近、悩んでいた。
隊員に勝てないのだ。入隊した頃は勝ち続けていたというのに最近は全く勝てなくなっていた。努力しているとは思うのだが結果に繋がらない。今日も屋外練習場で3人と模擬試合に臨んだのだが、全敗に終わった。
負けた瞬間、イルマは座り込み右手で地面を思い切り殴りつけていた。それを遠くから眺めていた中隊長のヨークトルが、ゆっくりとイルマに近づいてきた。
「お前。なぜ勝てないか、分かるか?」
顔を上げたイルマは首を振る。
「お前の剣は我流だ。技にお前の考えしか入っていない。それは浅い。逆に本流は、いろんな人の積み重ねが入っている」
木剣を基本の形で振り上げたヨークトルはイルマの頭に振り下ろして寸止めする。
「お前が負け続けるのは一人で戦っているからだ。本流は複数の思いが技を支えている」
ゆっくりと立ち上がったイルマは、じっとヨークトルを見つめる。目に困惑の色が浮かび戸惑いが全身に溢れていた。
「自分は今までこれでやってきた。今更、駄目と言われてもどうしたらいいか、わかんねえよ」
そう言うと木剣を放りだし訓練場を後にしていた。ヨークトルはその後ろ姿を腕を組んで見守っていた。
(イルマ。強くなりたいなら本流の剣を学ぶんだ。それに気付けばいいが)
走って宿に戻ったイルマは、珍しくカフェテラスに座っているレオンシュタインに気がついた。のんびりとコーヒーを楽しみながら観葉植物を眺めている。ふっと肩の力が抜け、久々に話をしようと近寄っていくとレオンシュタインの方から声を掛けられる。
「イルマ! その手はどうしたの?」
「あはは、何でもない。最近、稽古がきついからさ」
先ほど地面を叩き続けた右手が、いつの間にか腫れ上がっていた。右手を腰の後ろに隠そうとするイルマだったがレオンシュタインはすぐに立ち上がり、その右手を掴んでまじまじと見つめる。
「真っ赤じゃないか! 駄目だよ。すぐ、施療院へ行くよ!」
「いいって!」
「行くよ!」
そう言うとレオンシュタインはイルマの腕を引っ張り、強引に外へ連れ出した。レオンシュタインは誰の怪我にも敏感で気にしすぎなくらい心配してしまう。近くの施療院へ行き、イルマの右手の治療を依頼する。あっという間に治療は終わり、右手の腫れはすっかり引いていた。イルマも熱が下がり、さすがにほっとした様子だった。
治療が終わった二人は黙って夕暮れの街を歩く。大陸とは違って町外れの川は凍っており、歩いているうちに辺りは薄暗くなってきた。イルマは疲れていたこともあり、レオンシュタインに甘えたくなる。
「主……もう歩けない。背負って」
レオンシュタインは黙って地面にしゃがみ込み、そこにイルマが身体を乗せ、手はレオンシュタインの胸の前で組む。
「よいしょ」
立ち上がったレオンシュタインは、ゆっくりと宿に向かって歩き出した。寒さの中、二人が触れている部分だけはとても暖かく、イルマは少しだけ涙ぐむ。そして、レオンシュタインに一つのことを尋ねてみる。
「 主はさ、バイオリンが上手く弾けない時ってあるの?」
「そりゃ、あるよ。いつもかな」
「そんな時、どうするの?」
ずり落ちそうになるイルマをレオンシュタインはよいしょと背負いなおす。
「基本中の基本をがっつり練習するんだ。それこそドレミ……ってね。そうやって最初からやっていけば何か思い出すんだよ」
「思い出す?」
「うん。曲には作曲者や編曲者の思い、いろんな人たちの思いが詰まってるからね。それにどんなに難しい曲も基本が積み重なってるからねえ。基本を極めれば難しい曲もできるようになるんだ」
「そっか」
何か大事なことをイルマは掴めそうな気がした。剣も同じ事なのかもしれない。同時にレオンシュタインの広い背中をとても愛おしく感じる。
でもイルマは素直に感謝を伝えられない。
「主。私、最近、胸が大きくなったんだけど気付いてた?」
「そ、そんな……。別に分からないよ」
「そう? 最近、主のいやらしい視線を感じるなあって思って」
「言いがかりだよ!」
すると、イルマは思い切り胸を密着させる。
「どう、背中越しに感じる? 触ってみたい?」
照れくさい気持ちを隠すようにレオンシュタインは少し怒った口調になる。
「もう大丈夫そうだね。さ、降りて!」
降ろそうとするレオンシュタインに慌てたイルマは、からかったことを後悔して慌てて取り繕う。
「うそうそ。もう少し、このままで……お願い」
ずっと背負っていてほしかったのだ。背中の温もりを感じていたかったのだ。
「全く……」
レオンシュタインがぶつぶつ言うのを聞きながらイルマは頭を彼の背中に当てる。
(主、私、明日から挑戦してみるよ)
イルマを背負ったレオンシュタインが夕暮れの町を歩いて行く。町にぽつり、ぽつりと灯りが点っていく。この優しい光景をずっと忘れないとイルマは思うのだった。




