第96話 父上の暴走
王国歴163年3月20日 午前10時 帝王宮 大広間にて――
演奏会当日までレオンシュタインの周辺で様々な事件が起こったけれども、帝王宮はいつも平和だった。氷に閉ざされたグブズムンドルの大地は、少しずつ雪が消え始め、土が顔を覗かせる。
その土の匂いは、久々の春の訪れを感じさせるのだった。
演奏会当日、レオンシュタインとフラプティンナが窓の外を眺めていると、広大な敷地に次々と馬車が乗り込んでくる。しかも、みな正装をして帝王宮の大広間に移動している。咳払いをしたアルトナルが、貴族の一部にも招待状を出したと二人に説明するのだが、どう見ても一部には見えない。
やがて二人が大広間の入り口に移動すると「フラプティンナ姫とレオンシュタイン卿が夢の共演 春の訪れコンサート」と大きな看板が貼られているではないか。
「こんなにたくさんの人の前で演奏できるとは運がいいねえ」
相変わらずレオンシュタインはのんびりと答える。けれども、フラプティンナは真剣な眼差しで楽譜を必死に眺めている。良い演奏をするよりも失敗したくないという気持ちが先行している。
おもむろにレオンシュタインは姫に近づき、「ロス!」と言いながら両方の頬を手でつまんで横に広げる。
(レ、レオンさま。もしやこれが少女文芸にあった愛の表現?)
びっくりして楽譜から目を上げたフラプティンナは、ぽっと頬を染めながら、まじまじとレオンシュタインを見つめてしまう。思わず剣に手をかけた護衛騎士だったが、皇帝に手で静止される。実はもう少し顔を近づけていたら、自分が成敗しようと考えていたのだ。
「その顔じゃ、いい演奏はできないよ。楽しもう」
優しく指摘されフラプティンナの肩から力が抜けていく。
(そうでした。今日は楽しい音がテーマでした)
心の準備が完了し、二人は会場となる大広間に移動する。大広間は円形の建物となっており、木がふんだんに使っていることが特徴だ。会場に入った瞬間、劇場の観客席に人が溢れんばかりに入っていることに気付く。
たった一曲しか演奏しないというのに。
それでも、自分たちの演奏を楽しみにしてくれているという事実がフラプティンナの頬を緩ませていた。姫に笑顔が戻ったところでレオンシュタインは観客に宣言した。
「では、練習の成果をお聞きください」
拍手の後、二人は目で合図をし演奏をスタートさせた。
最初はレオンシュタインのオーケストラパートの演奏で、バイオリンだけで見事に表現されていた。
(練習の時よりも数段美しい……)
レオンシュタインの底知れぬ才能にアルトナルは思わず身震いする。その比類のない音色に会場にいた全員が一瞬で魅了される。フラプティンナが合わせに入り、高音が真っ直ぐ伸びる、伸びる。美しい高音、その一音が場の空気を支配する。
(美しい音色だ)
また、それを支えるレオンシュタインの演奏が素晴らしく、姫を支えるように、抱き寄せるように弾いている。楽団員たちは、フラプティンナの演奏がこんなに短期間で変わったことに羨望の眼差しを送っていた。
一音一音が丁寧で響きも美しく、以前のような音のかすれやテンポずれが全くない。可憐な指を弦の上に走らせながら、フラプティンナはレオンシュタインのバイオリンに支えられる心地よさを味わっていた。
(こんなに演奏が楽しいなんて。こんなに安心して弾けるなんて)
時々レオンシュタインと目を合わせてフラプティンナはリズムを確認する。笑顔のレオンシュタインがうなずくたびに姫は嬉しくなる。二人の演奏は調和が取れており、さらに広間に優しく美しく響き渡る。
(姫さま、お見事です)
その成長をアルトナルは誰よりも喜んでいた。会場の優しい空間が少しずつ周囲に広がり、春の喜びとそれをさえずる鳥たちが見事に表現されている。
「姫さま、美しい……」
女の楽団員たちはフラプティンナの笑顔に魅了されていた。レオンシュタインを見るたびに、深い信頼と親愛と、そして……。
その姿を見ていた皇帝は、娘の成長を喜びつつ苦々しい気持ちを味わっていた。
先ほどの護衛騎士からの報告が、心に波風を残したままなのだ。
――始まる30分ほど前
「こ、皇帝陛下、実は私どもには謝罪しなければならないことがあります!」
若い護衛騎士2人が執務室に入るやいなや、シーグルズル7世(フラプティンナの父)皇帝陛下の前で床に頭をこすりつけている。後ろからはアルトナルも同行する。ちょうど、ヴィフトからの報告書を読んでいた皇帝は、落ち着くように話しメイドにコーヒーを持ってくるよう話した。
「で、何事かな?」
「……はっ。フラプティンナ姫は、あのレオンシュタインという男に懸想しておられます!」
「なにい!!!」
思わず報告書を引きちぎって、その場に立ってしまう皇帝だった。
「どういうことだ!! 詳しく申せ!」
護衛騎士たちは頭を下げたまま、ガラスの薔薇園での出来事を詳しく報告する。少しずつ皇帝陛下の顔に赤みが差す。
「特に、花言葉を巧みに使って姫さまの心をぐっと引き寄せておりました。純情な姫さまは軽薄男の手練手管で……」
その瞬間、皇帝陛下は壁に飾ってあった戦槌に手を伸ばしていた。
「何度も求愛の言葉を投げかけられ……」
ズシンという鈍い音と共に、皇帝の目の前にあった円形の大理石の机が粉々に粉砕されていた。
「お、おのれ! 色魔めが!! わしの可愛いフラプティンナに……」
戦槌を肩に担いだ皇帝は部屋から出て行こうとする。後ろから護衛騎士たちも抜剣して後に続く。どちらも、目が血走っていた。
「お待ちください!」
アルトナルが手で3人を制止し、真実を告げることにする。さもなくば、皇帝の戦槌でレオンシュタインは粉砕されてしまうだろう。
「ん? 花言葉の勘違い、と言うのか?」
アルトナルは、グブズムンドルの花言葉とユラニア王国の花言葉を皇帝に詳しく伝える。
「つまり、レオンシュタインどのは、姫に「清純」「清らか」と伝えたかったのだと思います。姫が勘違いして「相思相愛」「私は貴方にふさわしい」に変換してしまったというのが真実でございます」
――ということがあったのだ。
あの時は怒りを収めた皇帝陛下だったが……。
(まさか……。本当はこの男を……)
皇帝をただの親に戻してしまうほど、二人の息はぴったり過ぎたのだ。最後のフレーズを一際美しくまとめて盛り上がり、20分ほどの演奏は終了する。全員がその場に立ち上がり、惜しみない拍手をしていた。演奏の終わった二人は顔を見合わせ、幸せそうに笑っている。
それを見ていた皇帝は、突如、立ち上がった。
「駄目だ! ロス。この男との結婚はまだ早い!」
それを聞きフラプティンナは顔を真っ赤にする。
「ち、父上。いきなり何を言うのです? レオンさんに失礼ですよ!!」
「いいや、失礼なのは、この男だ。たった4ヶ月でロスを虜にしおって」
「父上!!」
皇帝のそばに寄って行った姫は、バシバシと音が立つくらい背中を叩く。それを見ていた楽団員の女たちは口をそろえる。
「皇帝陛下のあせりも分かるわあ。あの二人、息ぴったりだったもの」
「ねえ、あの二人、やっぱりつきあってるのかな?」
困惑の表情のまま、レオンシュタインは皇帝陛下たちを見つめていた。ただ、その場にいる全ての人が幸せな雰囲気に包まれていた。
……皇帝陛下を除いては。
「お前にロスを渡すわけにはいか~ん!!!」
「父上!!」




