第91話 コンサートマスター アルトナルのお願い
王国歴162年12月19日 午前8時 皇帝宮 謁見の間にて――
演奏会の翌日、アルトナルは早朝から皇帝に謁見を申し込んでいた。
「皇帝陛下、実はフラプティンナ姫のことでお願いしたい儀がございます」
頭を下げたまま、返答を待つ。
「面を上げよ」
頭を上げたアルトナルの眼前に皇帝の座っている椅子が目に入る。高さが3mもあるマホガニー製の椅子で細部まで細工が施されていた。金箔を使わないところに王の質実な性格が表れている。
「願いとは何か? アルトナル」
「姫のバイオリンの師匠について適任者を見つけました。レオンシュタインどのがよいかと愚考します」
「ほう、確かにマエストロは素晴らしい才能をお持ちだが……」
そこまで信用してよいものだろうか? 姫の安全を考えた皇帝は沈思し空中を見つめていた。豪奢な椅子がぎしっと音を立て、暗雲が立ちこめるような雰囲気が広がっていく。
「陛下。これは吉兆でございます。姫のバイオリンの技量を引き上げられる人物は多くありません。それをできる方がレオンシュタイン殿なのです。幸運なことに、彼はしばらく帝国に滞在するようですし」
「ふむ……。一考に値するが、姫の安全は護衛騎士だけで大丈夫か?」
「私もつきましょう。護衛騎士で十分と思いますが」
疑念を打ち払うようにアルトナルは理由を話し続ける。
どこからどう見てもレオンシュタインが姫に害を加えるような力はなく、ヴィフト卿からも、レオンシュタイン一行の戦闘は女性任せだったと報告が入っている。
皇帝は大きく頷いた。
「分かった。フラプティンナをここへ」
すぐに使いが出され姫が足音を立てずに御前にやってくる。入ってきた瞬間、謁見の間が輝くような華やかさにつつまれる。
「父上、何かご用でしょうか?」
ガラスの鈴が転がるような可愛らしい声が響く。
「ロス(フラプティンナの愛称)よ。お前はマエストロにバイオリンを習う気持ちがあるか?」
「ございます、陛下。むしろ私からお願いしようと思っていたところです」
即答し、フラプティンナの顔が輝く。昨日の演奏を思い出し全身が震えるような感動がよみがえる。
「ではアルトナルよ。早速、レオンシュタイン殿に依頼をしてくるのだ」
「はっ。分かりましてございます」
同行したい旨をフラプティンナは申し出たものの、アルトナルは安全を考えて即答を避ける。その様子を見ながら、シーグルズル7世は亡き妻ヴィットリアがよく話していたことを思い出していた。
――「あなた。皇帝の子女といえども学友が必要よ。いつも大人が相手ではロス(フラプティンナの愛
称)が可哀想」
「そうか。この戦いが終わったら考えるよ」
それを叶えることなく妻は亡くなってしまった。これは妻が与えてくれた良い機会なのではないか。帝王宮の外の世界をフラプティンナに体験させようと皇帝は決意する。
「アルトナル。一緒に連れていってくれんか?」
「もちろんです、陛下。この命に替えましても」
すぐに出発の準備が帝王宮で整えらていった。物々しい警備にならないように配慮されていたけれど、帝国騎士団1個小隊が護衛につき、姫の側には護衛騎士が影のように付き従っている。
§
連絡を受けたケプラビーク音楽院は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「何!? フラプティンナ姫が来校?」
「我が学園にとって姫の来校は何よりの誉れだが、いったいなぜ?」
「すぐに学院の警備体制を整えろ!」
音楽院が大騒動で揺れる中、レオンシュタインは相変わらずのほほんと過ごしていた。教員の講義を頬杖を突きながら聴いていると、そこに学院長が突然入ってきた。
「レオンさん、すぐに私の部屋に来てくれるかしら」
そう言うと有無を言わさずにレオンシュタインを連れて行った。学院長の部屋に入ると、中は物々しい雰囲気に包まれていた。入口には二人の帝国騎士が控えておりレオンシュタインを厳しい目で見つめている。
そこに一際華やかな人物が立っていた。
「フラプティンナさま……」
「レオンシュタインさま、ご機嫌よう」
あまりに意外な出来事にレオンシュタインはかすれた声になり、それを聞いた姫は満面の笑みになる。それに続けてアルトナルが声を発するが緊張で顔が引き締まっていた。
「勅命である」
その場にいる全ての人たちが跪く。もちろんフラプティンナもである。
「レオンシュタイン・フォン・シュトラントにフラプティンナ姫のバイオリン指導をお願いする。期間は3月31日までとする」
勅命であるのに「お願い」と言う言葉を使っているあたり、皇帝の性格が表れていた。それを感じたレオンシュタインの胸に暖かいものが流れてくる。
「勅命、謹んでお受けいたします」
フラプティンナ姫の顔がぱっと明るくなり、抱きつきそうな素振りを見せるがアルトナルに即座に制止される。
「レオンシュタインさま、どうぞよろしくお願いします」
その言葉が終わるやいなや一行は素早く音楽院を去って行ったのだった。




