第90話 レオンシュタイン、師匠を見つける
王国歴162年12月18日 午前9時 音楽院前にて――
レオンシュタインがケプラビーク音楽院の門に近づくと、すでに院長が出迎えに出ており歓迎の意を示していた。
「ようこそ我が音楽院へ。コンサートホールで素晴らしい演奏をされたレオンシュタインさんですね?」
レオンシュタインは名高いケプラビーク音楽院に留学できる喜びと感謝を述べていた。
「ここではレオンさんと呼ばせていただきます。ところで、レオンさんが学びたいのはどの楽器ですか?」
ピアノだとレオンシュタインは即答する。
「バイオリンではないのですか?」
「ええ、ピアノはあまり練習できないので、こちらに滞在している間はピアノに触れていたいんです」
「分かりました。我が院の教授の腕前を確かめて、気に入った方のレッスンを受けてください」
レオンシュタインを先導しながら、院長はピアノのホールへと移動する。防音を施された壁と装飾が排除されたシンプルな廊下を眺めながら、レオンシュタインはゆっくりついていった。
「教授陣は、会場でお待ちです」
一介の外国人に、ここまでの優遇は珍しいことから考えて、皇帝や姫からの後押しがあったのだろう。帝国ともなれば素晴らしい講師がいるに違いない。ホールに向かって歩いて行くと、立っている5人の教授が見えてきた。
5人全員が高名なピアニストであると紹介される。全員と握手を交わしたレオンシュタインは、早速ピアノの椅子に座って演奏の準備にとりかかる。慌ててレオンシュタインを止めた院長は、教授たちが弾くのだと伝えていた。レオンシュタインは首を振りながら、院長に答える。
「教えていただく方を選ぶのは失礼ではないでしょうか? それより私の演奏に不備を見つけて下さる方に教えていただきたいのです」
院長と教授たちに自然と笑顔が浮かぶ。レオンシュタインはシェーンベルクのマズルカを弾くことにした。澄んだ音がホールに響き始める。
(これは……)
院長は流麗な音色に圧倒され、控えていた教授たちも一様に驚愕の表情を見せる。全員の頭に同じ1つの疑問が浮かんでいた。
(師が必要か?)
卓越した技術、情感を込めた演奏はその場を圧倒していた。演奏が終わり、指導者が名乗り出ることになっていたのだが誰も出てこなかった。
無理もない。
これ以上の演奏など誰もできそうにないのだ。ただ、たった一人、離れた場所で腕を組んでいた男が手を挙げていた。
「あの……。子犬のワルツを弾いてもらえませんか?」
猫背で50歳前後の黒髪・長髪の男がゆっくりとレオンシュタインに近づいてくる。レオンシュタインが弾き始めると男は何やらブツブツ言いだし、すぐにストップを命じた。
「レオンシュタインさん、あなたはこの短い演奏で2回も間違い……。いわゆる作曲をしています。楽譜を見てください」
二人で確認すると確かに楽譜と異なって演奏しているところが2カ所見つかる。
「確かに貴方は途方もない演奏家であると思います。ただピアノに触れる時間が少なかったのでしょう。自分流に直してしまう癖があるようです。これから上を目指すのであれば、その癖を直さなくてはなりません」
その的確なアドバイスに、レオンシュタインは感銘を受ける。
「先生。どうか私にレッスンをしてくださいませんか?」
頭を下げたレオンシュタインは心を込めてレッスンを頼み込んでいた。少し考え込んだ後、指摘した男は手を差し出していた。
「分かりました。私はオウリヴェルと言います」
二人は握手を交わし笑顔になる。院長に許可を得た後、オウリヴェルは早速、自分の研究室にレオンシュタインを誘った。
「レオンシュタイン……。言いにくいな。レオンでいいか?」
ぐっと砕けた感じでオウリヴェルが語りかけてくる。ソファーに足を伸ばしながら、ほとんど身体を横たえている。こちらが素なのだろう。
「勿論です。師匠!」
「師匠……。響きがいいね」
適度に気が抜けている似たもの同士の二人だった。
「なあ、レオン。お前、音楽院ではピアノ禁止な!」
「師匠、じゃあ、ぼくは何を学びに行くのですか?」
レオンシュタインが困惑したように尋ねる。
「レオン。お前に必要なのは人間の感情にもっと触れることだ。お前は自分の感情だけで音楽を作り出してしまう。それは凄いことだが、いつかは行き詰まる。音楽はお前のために弾くもんじゃねえ。誰かのために弾くもんだ」
わかったようなわからないような師匠のアドバイスだったが、レオンシュタインは師匠の言葉を胸に刻み込む。
「分かりました。たくさんの学友と話をします」
師匠はニヤッと笑うと、手を空中でひらひらさせる。
「そうだ。楽しむことが大事だ。ただ、授業が終わる午後4時からレッスンを始めるからな」
「ええ?」
「まあ、誰かと遊びに行くときは来なくていい。でも、必ずレッスンの埋め合わせはする」
「……うす」
ということがあり、今、一人、大講堂で立っているのだ。
「大陸から留学生として来ているレオンシュタインさんです。みなさん、いろいろ教えてあげてくださいね」
そう言うと担当教師はレオンシュタインに自己紹介するように促す。
「シュトラントから来ましたレオンシュタインです。どうぞ、よろしくお願いします」
パラパラと拍手が起こり、早速質問が繰り出される。
「レオンさん、得意な楽器は何ですか?」
レオンシュタインは師匠のアドバイスを思い出す。
「レオン。ピアノやバイオリンができるって絶対に言うなよ。特にバイオリンは、あのコンサートを見ていた奴がいないとも限らない。音楽院じゃあ実家に帰る時期と重なってたから大丈夫と思うがな」
「知られたらまずいですか?」
「ああ、嫉妬だったり、嫌がらせがわんさか来る。それくらい、コンサートは衝撃的だったぞ」
アドバイス通り無難な答えを返す。
「得意な楽器は、まだないんです。これからいろいろ体験したいです」
その瞬間、学生たちからの興味が急激に下がっていった。自分のライバルにはなりそうもないという安堵や大した演奏のできない奴だと思われたのだ。それにレオンシュタインはお腹の出た体型と普通の容姿の持ち主のため、恋愛関係の興味も発生しなかった。
「じゃあ、早速授業を始めますよ」
教師に促され、一番前の席に座るレオンシュタインだった。




