第88話 皇帝への謁見
王国歴162年12月16日 午前10時 帝王宮 謁見の間にて――
「昨日は素晴らしい演奏だった。レオンシュタインどの」
謁見の間で皇帝シーグルズル七世が称賛の声をあげた。周りには、国の要職につく大臣や貴族たちがずらりと並んでいる。これにはレオンシュタインも息を飲んだが優雅に礼を返す。
「ありがとうございます。過分なるお言葉、恐悦至極にございます」
マナーを守り、顔を上げずに答える。
「マエストロ。この国では下を向きながら話をする風習はない。顔を上げられよ」
レオンシュタインが顔を上げると、精悍な皇帝の厳しくも優しい眼差しが目に入ってくる。年の頃は40代後半、髪の色は紺碧の海を感じさせる。
「昨日の演奏は激しく私の胸を打った。まさか一般参加であれほどの演奏を聞けるとは思わなかった。アルトナル、この制度を設けていて本当によかったな」
アルトナルは大きく頷いた。急遽、皇帝への謁見が決まったのは皇帝自身の求めによるものらしい。
「それは嬉しく思います。このような機会は市井の演奏家には得難いものです。素晴らしい制度でございます」
素直に返答するレオンシュタインだが誰も咎める者はいない。
「ところで、なぜ演目にオフィーリアを選んだのか?」
素直な言葉で皇帝がレオンシュタインに疑問を呈す。
「それはヴィットリア王妃へ手向ける花束としてです」
皇帝の顔色が変わったことに気付かず、レオンシュタインは更に続ける。
「ヴィットリア王妃の叡智・優しさは我が国まで漏れ伝わっております。それに皇帝の愛妻ぶりもです。王妃へのレクイエム、そして皇帝の愛の思い出に、この曲が合っていると判断いたしました」
「皇帝と女王がこの国を隆盛させるまでの苦労は並大抵ではなかったと拝察します。それを讃える歌は単に明るく華やかなものではなく、悲しみを乗り越える愛、そしてその尊さを讃える曲でなくてはなりません。それはオフィーリア以外考えられません」
その答えを聞き、皇帝はゆっくりと返答する。
「そうか、あの曲はヴィットリアへ」
「はい」
皇帝は微かに歪んだ景色に気がつくと、すぐに気を取り直そうとしたが、やはり思いが溢れてしまう。
「年をとると、どうにも懐かしい思いが先にくるようだ。見苦しいところを見せて申し訳ない」
「いえ」
二人の話が終わるのを待ち、横に立つ一人の少女が話しかけてきた。氷河の息吹が伝わってきそうな清々しく柔らかい声の持ち主だ。
「レオンシュタインさま。昨日の演奏は本当に素晴らしく、深い感銘を受けました。私は自分の演奏を恥ずかしく思いましたわ」
姫君の中でも一際目立つ可憐な少女は、光が当たっていないにも関わらず輝いて見える。
彼女は皇帝の次女にして『帝国の白薔薇』と名高いフラプティンナ姫だった。フラプティンナとは古い言葉で『黒曜石』という意味である。あっという間に前に進んだ姫は、躊躇なくレオンシュタインに抱きついていた。それにも関わらず、誰も止める者がいない。
ふわっとラベンダーの匂いがレオンシュタインの鼻腔に入ってくる。
「悲劇のオフィーリアを愛の歌にしてしまうその技量。まさにマエストロですね」
周囲の人たちが動揺しないのは、いつものことなのだろうが、レオンシュタインは激しく動揺する。可憐な大国の姫君が自分の胸の中で微笑むというのは、激しく現実味がない。それに「姫」というキーワードに嫌悪感を抱いているレオンシュタインは、そのギャップにも戸惑いを隠せない。
「レオンシュタインさま、私にもレッスンをしていただけません?」
可愛らしい声で頼むフラプティンナ姫に皇帝が優しく声をかける。
「フラプティンナ。レオンシュタインどのが困惑しておるではないか」
そう言われてフラプティンナ姫は我にかえる。
「はしたない真似をして、申し訳ありません」
そっとレオンシュタインから離れると、フラプティンナは優雅に挨拶をする。
「皇帝シーグルズル七世が次女、フラプティンナと申します。マエストロ」
それを受けて、レオンシュタインはようやく気持ちを落ち着かせる。
「昨日は素敵な演奏でした。フラプティンナ姫。私はレオンシュタイン・フォン・シュトラントと申します」
レオンシュタインも貴族の嗜みとして礼儀を身につけており、皇帝の一族を相手するに相応しい優雅な挨拶を返すのだった。うんうんと頷いていた皇帝は、準備していたものを目の前に持ってくるよう手を挙げる。
「マエストロ。昨日の演奏の礼として味気ないとは思ったが、謝礼を用意させてもらった」
配下が恭しく持ってきたのは、美しい装飾が施されている特産のソウレイづくりの箱だった。
「心より感謝いたします。陛下」
箱はバルバトラスに手渡され、その様子を見ていた皇帝は、はたと手を打つ。
「もしや、そちらはポロニウス大学におられたバルバトラス教授では?」
「いかにも私はバルバトラスです」
その答えを聞くと皇帝は納得したように頷く。
「やはりそうでしたか。わが国でもバルバトラス殿の教えを受けたものがおります。我が国によい影響を与えておりますぞ」
そして傍らに控えていた年若い官僚を呼び寄せる。
「ゾーイをここへ」
末席からゆっくりと歩んできた青年にバルバトラスは見覚えがあった。ポロニウス大学で教えていた学生の中でも特に優秀だったのが、このゾーイだった。
「ゾーイくん、久しぶりだな!」
「はい!! 先生に再びお目にかかれて本当に嬉しく思います」
久々の再会にバルバトラスも嬉しさを隠しきれない。
「それにしても我が国にこのような巨人が二人も訪れようとは。これは吉兆である。早速、宴を催さなくては」
「はっ」
あっという間に宴の準備が命令され、夜に城で開催されることが決まった。レオンシュタインたちは驚きを通り越し、夢なのかと戸惑うばかりだった。




