第81話 船でフラフラ・ドキドキ
王国歴162年12月7日 昼 王国ユラニア港にて――
翌朝、船に近づいたレオンシュタイン一行はその大きさに驚愕した。
「何これ? 城?」
イルマが声を出すのも無理はない。目の前の船は、全長130フィート(約40m)、幅は26フィート(約8m)、上甲板までは20フィート(約6m)、さらにマストの高さは98フィート(約30m)にも及ぶ。
「我が国の誇る外洋船スヴィプダグ号です。古代神話の英雄の名前をつけています」
まさに英雄に相応しい偉容といえる。すでに船には木のタラップが架けられ、多くの水夫が肩に食料の袋の袋を載せて船倉に入っていく。
「私たちも乗船を開始しましょう」
タラップのふわっとした足元の感覚が、シュトラント勢には新鮮だ。レオンシュタインは士官室を与えられ、そのほかは大部屋が割り当てられる。女性陣3人は1室になるように配慮されていた。
「へえ、ベッドが4つか」
3m×4mほどの小さな部屋に、丸窓が1つ、左右に木の二段ベッドが備え付けられ、清潔な白いシーツがかけられている。イルマは手前のベッドの中に素早く潜り込んでいた。シーツから顔を出すと、手で触れそうな所にベッドの木目がある。
「意外に狭いんだな」
それでも、このような船のベッドの体験は楽しい。ヤスミンはイルマの上、ティアナは向かいのベッドに腰掛ける。
「何だか、ワクワクするね」
ティアナの言葉に二人とも頷く。と、そこに出航する旨の連絡が伝えられる。
「イルマ、ヤスミン。行こうよ!」
3人は上甲板に向かって走っていった。
「碇を上げろ!」
ガラガラと大きな音を立てて碇が巻き取られていく。風向きも良く、船はゆっくりと岸壁を離れていた。レオンシュタイン一行は甲板から遠ざかる港を眺めていた。波は太陽の光を反射し、その美しさは夏と変わらずに煌めき潮の香りも漂ってくる。
少しずつ港から遠ざかるにつれ、少しずつ帆柱に帆が張られていく。そのたびに波を切る音が大きくなり、がくんと船体が振動する。甲板は寒さが厳しいため、みんなは早々に船倉に入る。飽きずに海の様子を眺めて甲板に残っているいるヤスミンを見て、レオンシュタインは近づいていった。
「ヤスミン、最近、元気ないね」
「そんなことない」
そう言ってその場を離れようとする。どうしても話をしなければと思ったレオンシュタインは、自室に置かれたケーキのことを思い出した。
「ヤスミン。ぼくの部屋にケーキがあるよ。食べにこない?」
「行く」
ケーキ頼みとは情けない限りだがヤスミンは即答した。レオンシュタインは胸をなで下ろす。階段を上がって船尾にある士官室に入ると、四角い窓から景色が見え、室内は4m四方の広さがありベッドや戸棚も完備されている。
机上に置いてあったザッハトルテを皿に取り分けたレオンシュタインは、ヤスミンに皿を差し出す。
「自分も食べたけど、かなり美味しいと思う」
ケーキを受け取り、フォークで小分けにし口に運ぶ。濃厚なチョコレートの甘さと甘酸っぱい杏子ジャムが口いっぱいに広がる。
「……美味しい」
ヤスミンの顔に浮かんだ微笑を見たレオンシュタインは、思わずほっとする。そしてもう一度、ヤスミンに問いかけた。
「ねえ、ヤスミン。旅がつまらなくなった?」
大きく頭を振ると、ヤスミンは意を決して語り出した。
「私……いつも笑ってる。いいのかな?」
笑っているのはいいことだよと言いかけて、レオンシュタインは口をつぐむ。すると、弟を置いてきた罪悪感をぽつりぽつりと話し始めた。それを聞いているレオンシュタインの心が痛む。ヤスミンは黙って下を向き「薄情な姉……」と、涙をこぼしていた。
そこまで悩んでいるとは思わなかったレオンシュタインは己の迂闊さを責め、ヤスミンに近づいていく。泣いているヤスミンをそっと抱きしめ、右手を頭に置き優しくなでる。
「薄情じゃない、薄情なんかじゃないよ。いろんな景色を見てほしいって言われたんだろ?」
「……うん」
「大好きな姉さんには、いつも笑っててほしいんじゃないかな」
頭をレオンシュタインの胸に預けたまま、ヤスミンはぎゅっとレオンシュタインに抱きついていた。
「マスター……」
ますます手に力を込めて、ヤスミンはレオンシュタインに抱きついている。
ん?
この状況はいけないとレオンシュタインは唐突に気づく。ケーキを餌に少女を部屋に誘い込み、挙げ句の果てに抱きしめている自分は傍から見たら『クズ』な振る舞いをしている。人として何かが間違っているとレオンシュタインは焦りを感じ始めた。
しかも少しずつ船の揺れが大きくなるにつれ、レオンシュタインの船酔いが始まってしまった。ヤスミンから離れ、床に座り込んでしまう。
「うう……。気持ち悪い」
頭を床板につけたレオンシュタインに、今まで経験したことの無い頭痛と目眩が襲ってくる。こんなに早く船酔いするとは思わなかった。そんな苦しみの中、ヤスミンの言葉はレオンシュタインの心に突き刺さった。
「マスター。私、何も……みんなの役に立ってない」
そっとレオンシュタインに近づいたヤスミンは、自分の膝に彼の頭を乗せる。気持ちが悪いため、レオンシュタインはされるがままになっている。黙ったまま、ヤスミンはレオンシュタインの頭を優しくなでていた。
「ヤスミン。ぼくは……ヤスミンがそばにいてくれてすごく嬉しい。それじゃダメかな。うっ」
船酔いの中、必死にヤスミンに語りかける。
「ぐっ。ティアナはいろんなことで僕を助けてる。イルマは剣で自分を助けている。でも、ヤスミンだってそうなんだ」
なでる手を止めて、ヤスミンはじっとレオンシュタインを見つめている。
「夜の見張り、辺境伯での立ち回り、周囲の警戒。どうして君が役に立たないと悩んでいるのか、ぼくには分からない。旅の安全を守ってくれてるし、うっ、ヤスミンが側にいてくれて毎日楽しいよ」
「楽しい?」
「ああ、側にいてくれるだけで毎日嬉しい。楽しいんだ。それには理由が必要?」
ヤスミンはゆっくりとかぶりを振る。
「私がいて嬉しいか?」
じっと目を見つめながらヤスミンはもう一度尋ねる。力を振り絞って起き上がったレオンシュタインは、膝を折って座りヤスミンの目を見ながら「嬉しい」とはっきり伝える。その瞬間、船に大きな波がぶつかり、レオンシュタインは体勢を崩してヤスミンの上に覆いかぶさってしまった。
船酔いはさらに悪くなり頭痛も最高潮に達する。レオンシュタインの頭を大事そうに抱えたヤスミンは、自分の胸に押しつけていた。
「マスター、ありがとう」
ますます強く抱きしめるヤスミンの柔らかい胸の感触にレオンシュタインは戸惑いを隠せない。
(ヤスミン、当たってる)
そう思った瞬間、部屋の扉が開かれる。
「レオン! 部屋は快適? ……えっ?」
部屋に入ってくるなり、二人が抱き合っている様子がティアナの目に飛び込んだ。低い声でティアナはレオンシュタインに話しかける。
「ねえ、レオン。あなた、具合が悪いからってヤスミンを部屋に連れ込んで、破廉恥な真似をするなんて、人としてどうなの?」
「したくてしてるわけじゃ、ううっ」
どうにも離れられないし具合も悪い。
でもヤスミンの顔には、これまで見られなかった笑顔が広がっていた。同性のティアナですらドキッとしてしまうほど明るく、魅力的な笑顔だ。そっとレオンシュタインを床に下ろすと、ヤスミンは素早くドアまで走っていく。
「マスター、ありがとう」
そういうとウインクをしてドアの外に出て行った。ヤスミンの頬は真っ赤になっていたけれど、レオンシュタインやティアナは気づかなかった。
残されたのは具合の悪いレオンシュタインと激怒しているティアナだった。レオンシュタインのそばに寄ったティアナは、首でも絞めてやろうかと思っていると船にまた大きな波がぶつかる。
「あっ?」
今度はティアナがレオンシュタインに覆い被さってしまう。もはやレオンシュタインは瀕死の状態だ。
「……馬鹿」
小さくなじると、そっとレオンシュタインの側に横たわる。そしてレオンシュタインの頭をなでようとした瞬間、入り口の近くにイルマが立っているのが目に入った。
「……この非常時に何やってんだよ」
そういうと二人を引き離す。レオンシュタインは、もうふらふらだ。
(誰か助けて……)
ついにレオンシュタインはその場に倒れ込んでしまうのだった。




