第73話 支配人からの提案
王国歴162年11月7日 夜 宿泊先の食事会場にて――
テーブルにパンとスープ、野菜サラダが並べられ、皿にソーセージやハムなどが大きく盛られている。
会場の壁際には、テーブルを取り囲むように鳥や牛の焼き肉料理が置かれ、中央には林檎や葡萄などの果物やザッハトルテやバウムクーヘンなどのケーキが綺麗に並べられていた。特にフルーツケーキは彩りも鮮やかで、ヤスミンはそちらばかりを見ていた。
レオンシュタインの乾杯と同時に、みんなは食べ物との格闘を始める。本格的な料理は久しぶりで何を食べても美味しい。卵のオムレツは特に絶品でイルマは何度もおかわりをする。スープに口をつけたレオンシュタインは、シュトラントとは違ったスパイスが口に広がるのを感じる。
(遠くに来たんだなあ)
郷愁の思いがレオンシュタインの胸に広がる。
食べ物との格闘が一段落した頃、レオンシュタインは傍らに用意していたケースからバイオリンを取り出した。
「食事がもっと美味しくなる曲を」
会場にゆっくりとしたバイオリンの調べが流れ始める。食事を邪魔しないような小さい音で弾いているにもかかわらず、会場中の耳目を集めてしまう。
「えっ? この演奏、凄くね?」
「かなりの腕前ね。とっても美しい」
この曲は作曲家エミル・オッフェンバッハの代表曲で、家族全員で食事をとる幸せを表現した曲として有名である。流れる音色の素晴らしさに食堂の客たちは食事の手を止めてしまい、レオンシュタインの演奏に聴き入っていた。
偶然、会場にいて演奏を聞いていた支配人は、給仕に華麗なるテーブルのことについて尋ねる。とんでもなく美しい乙女が3人に、比類なく美しい音色を出す凄腕の演奏家のいるテーブルのことだ。支配人は、たぐいまれなる幸運がこの宿にやってきたことを直感した。
(これを逃すわけにはいかない)
考えを巡らせると、目の前でスープに手を伸ばしていた妻に打ちあける。依頼内容についての相談が終わると、支配人夫婦は演奏が終わるのを待ってレオンシュタインたちのテーブルの前に立つ。
「レオンシュタインさま、私はこの宿の支配人をしていますクラウスと申します。お目にかかれて光栄です」
身長が高く、聡明な顔つきをした老紳士が手を差し伸べてくる。
立ち上がったレオンシュタインは差し伸べた手を固く握り、素晴らしい料理への賛辞を述べる。クラウスは続けて隣にいる金髪で上品な顔立ちの女性を紹介した。
「これは私の家内ヨハンナです。どうぞ、お見知りおきを」
挨拶がすむと、クラウスはレオンシュタインの隣に席を設け、早速本題に入る。
「素晴らしいバイオリンの音色ですね。お客さまは演奏に夢中で食事の手が止まっておりましたよ」
「いえ、そんな」
「実は今日、私と妻の結婚記念日なのです。何か1曲弾いてくださいませんか?」
「喜んで!」
レオンシュタインは笑顔のまま祝いの言葉を二人に述べると、バイオリンの音を響かせ始めた。なぜその曲を選択したのかクラウス夫妻にはすぐに理解できた。
(これは『愛の隣』。互いを思いやった老夫婦のこれまでを振り返った曲……)
演奏家泣かせの難しい曲として有名なはずなのにレオンシュタインは笑顔のまま弾いている。夫妻のために愛を込めた演奏は、幸せな音色を会場中に届けていた。老婦人はハンカチを取り出し、そっと目頭を拭いている。
(間違いない。この方は100年に一人の天才……)
そう確信したクラウスは全てを賭けることを決意する。ただ、性急にことを運んでは失敗しかねない。演奏が終わり拍手が響き渡ると、クラウスはレオンシュタインにある提案をした。
「レオンシュタインさま、明日から3日間、ディナー会場で演奏をお願いできますか? もちろん、出演代をお支払いしますし、その間の滞在費は全て無料とさせていただきます」
あまりの高待遇にレオンシュタインは恐縮したまま固まっていた。恐縮は消極的なYESだと支配人は自分に言い聞かせ、ここぞとばかりにレオンシュタインに迫る。
「やっていただけるのですね。光栄です。これはうちの宿にとって、とてつもない誉れとなりましょう」
「そんな大げさな」
興奮のために声が大きくなった支配人は、すぐにあるものを持ってくるようにメイドに命じた。
「ところで、レオンシュタインさまは誰のお弟子さんでしょうか? 演奏にエックハルトさまの音色を感じましたが」
エックハルトは支配人と同じコムニッツ出身のバイオリン演奏家でマエストロと呼ばれている。音楽通の支配人はエックハルトの大ファンだった。
「はい、エックハルトさまは私の師匠です」
「やはり、そうでしたか!」
そこにメイドがバイオリンケースを持って現れ、支配人は笑顔でそれを受け取りテーブルの上に置く。ケースを開くと、中から年代を感じさせるバイオリンが現れた。塗られているニスは透明感があり、丁寧に作り込まれている芸術品だ。
「レオンシュタインさま。明日からの演奏は、このバイオリンをお使いください。ゼムリンガーです」
ゼムリンガーのバイオリンは演奏家の中でも高名なプレイヤーしか持つことができないほどの高価な一品である。レオンシュタインの目が嬉しさのために輝きを増す。
「これがゼムリンガーのバイオリンですか。弾いてみてもいいですか?」
「はは、もちろんですよ」
レオンシュタインは早速、調弦して弓をかまえる。
音を鳴らした瞬間、周りにいた全ての人がレオンシュタインの方に身体を向ける。あのバイオリンで弾いたら、どんなに素晴らしい音色が響くのだろうと会場の人々の期待は大きく高まっていった。続けてレオンシュタインが曲を弾こうとすると、支配人は恐縮そうにそれを押しとどめる。
「レオンシュタインさま。それは明日の楽しみにしておきませんか?」
レオンシュタインは首肯し、それまで練習することを約束したのだった。
「それでは、またお目にかかりましょう」
そういうと支配人夫婦は去って行った。その後、すぐに6人は顔を見合わせる。
「すごいね、レオン。いつの間にか、ファンができちゃったね」
ティアナが輝く笑顔のまま褒め、フリッツやバルバトラスも祝福の言葉を述べる。レオンシュタインは恐縮しながらも、思っていることをみんなに伝えた。
「認めてくれる人がいるのは嬉しい。それ以上に嬉しいのは、お金を稼げるようになったことだよ。今までは、助けられてばかりだったからね。これからは自分が誰かを助けることができる」
イルマはその言葉を否定する。
「主、悪い癖だ! 自分が悪いみたいに言うなよ。私たちはみんな、主に助けられてるよ」
うんうんとうなずく全員には感謝しかない。それにイルマの不器用な優しさに、レオンシュタインは胸の奥が暖かくなる。フリッツは、食後の飲み物を注文し、とりあえず今の段階で決まっていることをまとめてみた。
「まずは、3日間は料金が発生しないこと、レオンさんが夕食後にバイオリンを弾くこと、出発が少し遅れそうだということ、ですね」
ヤスミンは続けて、
「偵察は毎日必要!」
と言葉少なに述べる。フリッツはそれに同意する。
「にしても兄ちゃんのバイオリンは凄えって、最初っから気付いていた俺も凄いよな」
バルバトラスが妙な褒め方をする。でも、レオンシュタインのバイオリンが褒められて嬉しいのは伝わってくる。
「それに、3日間もお風呂入り放題!」
「サウナ!!」
全員が右手を挙げて雄叫びを上げる。
「お静かに!」
給仕がテーブルに駆けつけてくる。それに笑顔で謝罪しながら、みんな自分の部屋に戻るのだった。




