第71話 地獄から天国へ
王国歴162年11月7日 早朝 潜伏している草原にて――
翌朝、フリッツはいつも通りの笑顔だった。馬を優しく世話し、飼葉を荷台の下から取り出して、たくさん食べさせている。いつも通りの朝、いつも通りの……。
彼に、誰が、何を言えるのだろう。
人間用の食べ物が心もとなくなってきたとフリッツから進言があり、補充も兼ねて町へ行く必要が出てきた。危険は伴うが、やむを得ないとレオンシュタインは判断する。
「では、私が調達に出かけましょう」
万が一のことを考えて郊外に馬車を止め、買い物は面が割れていないフリッツがすることになった。他のみんなは草原で帰りを待つことに決まる。町に着くと、フリッツは急いで食料を売っている店を探した。絶対の安全などないと、フリッツは用心しながら手早く買い物を済ませていく。
特に飲み水や野菜は多めに購入し3日ほどは大丈夫だろうと安堵しながら馬車に戻ろうとした。
その瞬間、前から辺境伯の紋章をつけた2人の騎士が歩いてくる。
平静を装いながらフリッツはその動きを伺うと、道行く人々に怪しい馬車を見なかったかを尋ねまわっていた。
(すぐ戻ろう。しばらく潜伏が必要だ)
そう判断すると気付かれないように馬車に戻り、急いでみんなのところへ戻るのだった。
焚き火の周りで、すぐに町の様子が共有される。
「辺境伯が警戒網を広げているようです。しばらくイェーガー沼に潜みましょう。2週間ほどは必要ですね」
フリッツを雇うだけのお金を捻出できそうにないレオンシュタインは即答できずに口ごもっていた。その様子を見ていたバルバトラスは懐から袋を取り出し、明るい声でみんなに宣言する。
「この金を使ってくれ。まあ、伯爵家三男への貸し付けなら取りはぐれることもないだろうしな」
フリッツが袋を開けると銀貨がたくさん詰まっているのが見え、それをレオンシュタインにそっと渡す。袋を押し頂いたレオンシュタインは、バルバトラスに心から感謝を述べる。
「なあに、俺は美味しい飯と美しい音楽があれば何もいらない男だ。ということでレオン。毎日、弾いてもらうぞ」
「任せてください」
§
それからイェーガー沼への滞在は2週間に及んだ。
焚き火の薪の準備は大変だったがフリッツがどこからか仕入れてきたし、ヤスミンたちも森で拾ってくるのが日課になっていた。日一日と沼の周辺は寒さがつのり、あっという間に季節は11月の半ばを過ぎていた。
食べ物はフリッツが馬で町まで出かけ、苦心して購入してくれるのだが、日ごとに量が減ってくる。馬車では発見される可能性が高く、馬だけのため運べる量は限られてしまうのだ。
「野菜はあまり出回らなくなりました。保存食を購入してきます」
そのたびに辺境伯家の家来がまだうろついている様子が目に入り、その執念深さに驚異を感じるフリッツだった。冷たい風の日が多くなり、ティアナたちは身体を拭くお湯を確保するのが大変になってきた。服装も冬用に変える必要がある。けれども、フリッツはあくまで慎重な姿勢を崩さなかった。
「今は我慢の時です。戦闘をしたとしても必ず私たちが負けます。組織的な部隊に個別の武勇で立ち向かうのは無理です。いくらティアナさんの魔法がすごくても、イルマさんの腕前が優れていても、ヤスミンさんに影足があっても、それを抑える魔法使いや騎士団を辺境伯家では雇っています。組織には組織での対応が必要です」
そう言って、みんなの逸る心を抑えるのだった。
§
フリッツが出発を宣言したのは11月も終わりに近づいた頃だった。
「敵の姿が見えなくなって3日になります。出発しましょう」
薄暗くなってから馬車は出発し、コムニッツの首都に向かって街道を進んでいく。みんなの顔に疲労の色が濃いのを見て取ったフリッツは、もう野宿も限界だろうと次の手段を考えていた。レオンシュタインやバルバトラスはまだ耐えられようが、ティアナたちが風呂に浸かれないのは気の毒過ぎた。
3人ともあの美貌なのに文句ひとつ言わずに指示に従っていた。それも愛かと3人を見るたびにフリッツは胸が温かくなる。
「今日は宿に泊まりましょう。ここのオススメは何と、お湯がふんだんに使えることです」
「わあ!」
ティアナは思わず歓声を上げてしまう。聞くと、その宿は山の奥にあり、お湯が川のそばに湧き出ているというのだ。サウナも併設し、温まったら川へという楽しみ方ができるらしい。ただ、料金は普通の宿よりは高く1泊一人銀貨5枚かかるとのことだった。
「えっ? そんなお金は……」
レオンシュタインは絶句するがフリッツは平気な顔だ。
「バルバトラスさんのお金を使わせていただきましょう。ちょうど、それくらい残ってますから」
「おいおい! 俺が無一文になるよ」
するとフリッツはニヤッと笑って断言する。
「伯爵家から返してもらいましょう」
それもありかとバルバトラスはあっさりと許可してしまった。レオンシュタインは笑顔がひきつる思いだった。
宿はこぢんまりとした造りの中に豪華な内装を誇っていた。
貴族のお忍びの客もよく来るとの説明に、自分も貴族なんだがなあと面白く思うレオンシュタインだった。2部屋を確保できて、みんな飛び込むように室内に入る。今までの野宿を思い出し、屋根のある建物がどれほど気持ちよく安全なのか、その感慨に耽る6人だった。
夕食ができるまであと2時間と聞いた6人は、すぐ温泉へと向かう。
「私はサウナだ!」
サウナが楽しみでたまらないレオンシュタインは服を脱ぐのももどかしく、身体を洗うと、すぐにサウナの部屋に入っていった。
中は薄暗く、ほのかに薔薇の香りがする。
「これは、素晴らしい施設だな」
手足を伸ばしながらバルバトラスは感想を述べ、レオンシュタインは汗をかいたまま満面の笑みになる。フリッツも額の汗を盛んに拭う。
「ここは高級な宿ですので滅多にこられないですね。食事と温泉の素晴らしさのため、忘れられない宿の一つです」
ひたすら汗をかきながら、ずっとサウナを楽しむ3人だった。
一方、ティアナたちは身体を念入りに洗い、すぐに湯船に飛び込んだ。
「あ~。温泉って最高ね」
ティアナはお湯を顔にかけているけれども、はたから見ると黒い仮面に全裸の姿は周囲に警戒されてしまう。
「ティアナ、温泉の時くらい仮面をとれよ」
ティアナは誰かが入ってきたら、そうすると約束した。結局、誰もやってはこなかったのだが。
ヤスミンは温泉が初めてで、その広さに驚いている。
「全部、お湯か……」
バシャバシャと軽く泳ぐヤスミンにティアナは注意する。マナー違反である。
「分かった」とヤスミンはその場に立ち、イルマも近くに寄ってくる。
(……大きい)
二人とも、かなり立派な胸を惜しげもなく晒している。思わず下を向いたティアナは自分の胸を見て思わずため息をつく。
「ねえ、どうやったらそんなに大きくなるの?」
真面目に聞いてくるティアナを見てイルマは思わず笑ってしまう。
「ティアナもそんなこと気にするんだな」
「気にするわよ、男の人って、そういうのが好きなんでしょ」
後半はゴニョゴニョと口ごもってしまう。イルマはティアナの近くに浸かる。
「主は気にしなさそうだけどな。以前、胸を何度もくっつけたのに全く反応がなかったし」
「えっ? それっていつのこと?」
「あはは、ウソウソ。気にしないで」
「ちょっとイルマ! 気になるよ!」
突っ込みができるくらいティアナは温泉でリラックスしていた。2時間はお湯に浸かった3人は、これまでの疲れを忘れる思いだった。
温泉の後は、豪勢なご飯を食べられる。
みんな、それを楽しみに夕食の会場に向かっていた。




