第68話 逃亡
門には今のところ2人の見張りしかおらず、フリッツはその死角に馬車を停める。安堵と疲労のため、その場にへたり込んでしまったバルバトラスは、ずっと肩で息をしていた。
「バルバトラスさん、本当にありがとうございます」
すぐに荷台から跳び降りたレオンシュタインがお礼を述べると、バルバトラスは水を受け取り、ぐびりと飲み込むと問題ないと右手を挙げる。
全員を馬車の後ろに誘導したフリッツは突破する方法を説明し始めた。
「女性陣は荷台の隠し箱に入ってもらいます。男性陣は寝そべってください」
隠れている箱の中を調べられるのではないかとレオンシュタインは懸念を伝える。するとフリッツは、その時は強引に突破するしかないときっぱりと話す。
「私が言いくるめます。ここは時間との勝負です」
そう言うとフリッツは急いで全員を馬車に乗せ、すぐに出発する。ガラガラと大きな音を立てながら、馬車は門の近くまで走っていった。フリッツにしては珍しいほどの速さだった。
「そこの馬車! 止まれ!!」
両手を大きく振りながら衛兵が馬車を止める。馬車を停めたフリッツは青ざめた顔で衛兵に話しかけた。
「城が大混乱です。ヘレンシュタイクが攻めてきたとのことで、すぐに逃げてきました」
衛兵は半信半疑だ。
「ヘレンシュタイクが攻めてきたというのはおかしい。攻めてきたなら我々に伝令がないわけがない」
「荷台の中を見せろ!」
素直に取り調べに応じたフリッツは、荷台の覆いを取り払う。荷台に座っていたレオンシュタインとバルバトラスは驚いたよう顔で衛兵を見つめる。
「一人は怪我をしています。早く医者に診せようと急いでいます」
レオンシュタインの傷を見せながらフリッツは衛兵に急いで説明をする。その間にも城の方面からの馬蹄が大きくなってくるのが分かる。城からの追っ手に違いない。内心の動揺を隠しながら、フリッツはのんびりと答えるように心がける。
「行ってよいでしょうか?」
通行料を手渡すと、親指で行けと合図をされる。フリッツが馬車を走らせるのと同時に追っ手が門に到着した。
「そこの馬車! 待て! 止まれ!!」
馬上の伝令が大声で怒鳴り、焦った衛兵は走って馬車の前に出ようとする。それを見たフリッツは馬に鞭をあて、がくん、という衝撃とともに馬車はさらに速度を上げて前に進んでいった。
「待て! 止まるんだ!!」
けれども、あっという間にフリッツの馬車はディベルツの町に入っていた。コムニッツ領に入ってしまえば容易に逮捕することはできなくなる。馬上の追っ手は忌々しげに、フリッツの馬車を眺めていた。どうやら追ってこないことを確認すると、フリッツは馬車の速度を落としていた。
「ごめんな。無理させて」
愛馬に何度も謝るフリッツに、いいんですよという風に鼻息荒く頭を振っている。フリッツの馬車は、午後9時を過ぎて人通りがほとんどないディベルツの町を、ゆっくりと進んでいった。
§
その頃、城はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。負傷者がいないのは不幸中の幸いだったがゲオルフの機嫌は最悪だった。目が覚めたのは5分ほど前で、頭がとても痛んでいる。
「逃げられただと? この無能!」
ゲオルフの頭には包帯が巻かれ、治癒師が治療を続けている。伝令に向かってグラスを投げつけると、彼の鎧が赤ワインまみれになり芳醇な香りがホールに広がる。
「私にここまで恥をかかせたのだ。ただでは済まさないぞ!」
別にレオンシュタインが酷いことをしたわけでもないのに、ひたすら怒り狂っていた。今までは何でも思い通りになったというのに、今回は一人の女も手に入らなかったという事実が怒りに拍車を掛けていた。ゲオルフの目が血走っている。
「刺客を放て!!」
「ゲオルフさま、刺客はあやつらの顔を見ておりません。まずは、馬車を探索してはいかがでしょうか」
軽く頭を下げた執事が冷静に答え、少し考え込んだゲオルフはそれを許可する。その後、もう少しで手に入ったティアナのことを思い浮かべる。今までに見たこともないような美少女だったと煩悶する。もう一人の女も自分のものにできていないことが信じられない。
全員まとめて、いつかは自分の奴隷にしてやると暗い情念を燃やす。
「レオンシュタインめ、このままですむと思うなよ!」
城の窓から町を睨み付け、そう自分に誓うゲオルフだった。




