第67話 お手柄ヤスミン
「お前のファーストキスは私の手」
ヤスミンの手のひらがティアナの口に当てられ、逆の手の甲にはゲオルフの口が押しつけられていた。
「何だ!?」
「汚い」
そう叫んだヤスミンはゲオルフの後頭部をダガーの柄で殴りつける。グボンという音と共にゲオルフは何も言わずにその場に倒れ込んだ。ヤスミンは魔法『影足』を使い、会場の隅からティアナの所まで忍び寄ったと、レオンシュタインに得意そうに教えてくれた。
「レオン!」
レオンシュタインの側に急いで駆けつけたティアナは、泣きながらレオンシュタインの胸に頭を擦りつけていた。赤いドレスが痛々しい。
「ごめんなさい。ごめんなさい。レオン!」
号泣という表現が相応しいくらい、おんおん泣いている。無事な右手を使い、レオンシュタインはティアナの頭を優しく撫でていた。
「ぐはははは!」
その瞬間、ドカンという音がホールに響き渡る。レオンシュタインに向かって弓をかまえていた衛兵と執事がバルバトラスの棍棒でなぎ倒されていた。
「全く野暮な奴らだ。人の恋路を邪魔するとは」
そう言うとレオンシュタインたちの側に寄り、むんずと二人を両脇に抱えてしまう。周囲を警戒していたヤスミンから「すぐ逃げよう」と進言される。見ると衛兵が集まりつつあった。
「その通りだ。行くぞ!」
バルバトラスの言葉と同時に、レオンシュタイン一行は中ホールを駆け抜け、大ホールの出口に向かって走る。
「逃がすな! 4人とも捕まえろ!」
衛兵たちが口々に叫び、4人に近寄ってくる。
「嬢ちゃん。頼むぞ!」
ヤスミンは無言で先ほど集めておいた果物ナイフを投げつける。そのナイフは正確に衛兵の手に当たり、持っていた武器がガリンガリンと音を立てて床に落ちた。
「前に3人!」
バルバトラスが走りながら告げる。
「分かってる」
呪文を唱えヤスミンの影が揺らめいたと思った瞬間、2人の肩が切られていた。周囲の人たちは「影足」を使っていることが分からない。残る1人が剣を振り上げた瞬間、バルバトラスが右足で残る衛兵を蹴り飛ばした。ぼくんと鈍い音がして、衛兵は3mほど後ろにふっ飛ぶ。
そのとき、大ホールの端から大きな声が響き渡った。
「みんな、逃げろ! ヘレンシュタイク公国が攻めてきたぞ!」
「きゃああああ!」
「出口はどこだ?」
大ホールは一瞬でパニックとなり、みんな、出口に向かって殺到する。
「皆様! 落ち着いてください!」
目を覚ました執事が声を張り上げるが、もはや誰の耳にも届かない。みんな出口に向かって殺到している。執事は落ち着かせることを諦め、別の指示を出した。
「衛兵! 招待客に怪我がないよう誘導せよ!」
「はっ!!」
バルバトラスがあっけにとられて室内を眺めていると、後ろから服の裾を引っ張られる。
「フリッツ!」
フリッツは口に指を当てたまま、皆が殺到している入口とは反対の窓を指さした。そして俺についてこいとみんなを誘導する。ここからは自分で歩けとばかりに、バルバトラスはレオンシュタインとティアナをドサリと降ろした。ティアナは座りながら、ずっと泣いている。
「いやあ、肩がこったな!」
肩をぐるぐると回すと、バルバトラスからゴキゴキと音が聞こえてくる。柱の後ろに隠れているヤスミンは警戒を緩めない。抱えられていたためレオンシュタインは言葉をすぐに発することができなかったが、何度も深く呼吸をし、ようやくお礼の言葉を口にする。
「ま、良かった。良かった。ぐはははは」
いつものように豪快な笑いを響かせるバルバトラスを、フリッツは慌てたように黙らせ、ここから外に出られると指で示す。その窓を乗り越えて庭に走り出ると馬車の待機場所は人々の怒鳴り声が響き、収拾がつかないほど混乱していた。
「主、こっちだ」
草の陰に待機していたイルマが手招きし待機場所から離れた林の中へ走っていく。その後に続くと、茂みの奥にフリッツの馬車が隠されるように置かれていた。
「みなさん、怪我はないですか?」
レオンシュタインが負傷しているためレオンシュタインとティアナを馬車に乗せ、他は馬車の横を走るようフリッツは指示を出す。
「現在、城は大混乱です。それに乗じて辺境伯領から脱出しましょう」
ガラガラと音を立てて馬車は夜道を疾走し、その横をイルマ、ヤスミン、バルバトラスが走りながらついてくる。
「暗くて道がわかりにくい。嬢ちゃん、灯りはないか」
軽口を叩くバルバトラスだが、大立ち回りの上に深夜の逃走劇は高齢のバルバトラスには酷過ぎた。その様子を冷静に眺めながらも、フリッツは馬車を止めることができない。
(ここで馬車を止めると、衛兵に発見される恐れがある)
祈るようにバルバトラスを見つめるフリッツは、そのまま馬車を走らせ続けていた。
荷台の中でティアナは再び泣き始め、レオンシュタインが何を言っても顔を振るだけだった。ティアナに近づいたレオンシュタインは怪我のない右手で彼女の頭をそっと触る。
「ティア。その衣装、すごく似合ってた。本当に」
揺れる馬車の中でレオンシュタインはずっとティアナの頭をなで、涙が止まるようにずっと話しかけていた。そのレオンシュタインの左手をティアナはずっとさすっている。
「レオン、私のせいで……」
泣きながらティアナは答えるとレオンシュタインは少し怒ったような声を出す。
「肩は大丈夫。ティアのせいじゃない!」
はっとティアナはレオンシュタインを見つめ直し、思い詰めたように言葉を発する。
「私、レオンに何かあったらって……。怖くて怖くて……」
「やっと、こっちを見てくれたね。ティア、大丈夫!」
ずっと頭をなで続けていたレオンシュタインに、ティアナが顔を近づけてくる。ティアナの桜色唇がレオンシュタインの唇にゆっくりと近づく様子を、誰かが横でじっと見つめていた。ヤスミンはイルマに中の様子を見てこいと厳命されたらしい。
「……続きをどうぞ」
「できるか!!」
そのとき馬車の後ろから大きな声が聞こえてきた。
「こんな重大事に何してんの? 余裕だねえ」
ニヤニヤしながら尋ねてくるイルマに向かって、ティアナは真っ赤になりながら何もしてないとプンプンしながら答える。フリッツとバルバトラスは苦笑しながらも、優しい目で二人を見つめていた。そうこうしているうちにディベルツへ抜ける城門が目前に迫ってくるのだった。




