第65話 パーティー当日
王国歴162年11月5日 昼頃 シュバンガウの宿屋にて――
パーティー当日の空は、町の雰囲気を表すかのように暗雲が広がり始めていた。ただ、辺境伯が出陣したことによって、人々に安堵の空気が広がったのは確かである。
「いらっしゃいませ」
午後1時、シャルロッティが笑顔でレオンシュタインたちを店に迎え入れる。ティアナが着付けをしている間、イルマはレオンシュタインにパーティーに行かないと話していた。
「主にドレスを見てもらったから、あとはどうでもいい。フリッツさんの馬車で寝てようかな」
レオンシュタインが何と言っても、意見を変えなかった。
「でも、レンタル料はいただきまっせ」
着付けに忙しいシャルロッティだが顔だけイルマの方に向けて宣言する。行きたくないものは仕方がない。すると、ヤスミンまでが行きたくないと言い出した。さすがに参加者が少ないと思ったのか、バルバトラスがパーティーの良さをヤスミンに力説する。
「嬢ちゃん、お城のパーティーともなると美味しいものが山ほど食える。わしはそのために行くようなもんだ。タダだしな、ぐはははは」
「……行く」
けれどもヤスミンまでがドレスの着用を断ったため、シャルロッティはドレスコードに引っかからない普段着をヤスミンに用意した。
「キャンセルでお金をもろても、うれしくないねん」
シャルロッティの好意でヤスミンはこざっぱりしたワンピースを用意してもらった。色もグリーンでヤスミンのお気に入りだ。
「楽しんできたってな~」
シャルロッティに見送られながら、フリッツの馬車は城へ向かってゆっくりと走り出す。城に来ている馬車はどれも華やかな外装をもち、フリッツのような業務用の馬車は見られなかったため、逆に目立っていた。
「あの、みすぼらしい馬車は何でしょう? 場違いですわね」
「まさか、招かれてもいない貧乏貴族が来てしまったのか?」
そんな噂が広がる中、ティアナ、ヤスミンがゆっくりと降りてくる。ティアナの頭は薄い白のヴェールで纏われていた。ヤスミンに至ってはターバンを口の方まで巻き付けている。目の辺りしか見えず、グリーンのワンピースには不自然だった。
「そないに目立ちたないなら、ティアナはん。ヴェールを被っていけばええんちゃう? 誰とも踊りたくないんやろ」
強烈に目立つティアナを心配したシャルロッティのアドバイスだった。ちゃっかりと銀貨1枚のお金を請求せしめていたけれど。
馬車を降り入場のため門をくぐろうとしたところ、受付で一悶着が発生した。受付では2人の美女が来るという連絡を受けていたのに、ドレスを着ているのは一人だけで顔もヴェールで覆われている。
「これでは中に入れるわけにはいかんな」
このままでは辺境伯の招待を断ったという悪評をレオンシュタインが被ることになる。
「どうしてもダメですか?」
「ダメだ、ダメだ! 辺境伯次男ゲオルグさまは美しい方しか招待しておらん! お前は顔を隠しているではないか」
傲慢な口調で受付の男が入場を渋ったため、レオンシュタインが会場に入れないことを心配したティアナは、さっとヴェールを取る。その瞬間、周囲の人々は急激に光が発せられるような錯覚に陥った。
「一人は具合が悪いのです。何とぞ、許可してくださいませんか?」
その憂を含んだ表情で見つめられた男は、ティアナの強烈な美に当てられてしまった。その場に立ったまま、放心したようにティアナを見つめ続けている。
「あ、あの?」
ティアナの言葉で目を覚ましたように気を取り戻すと心の声が漏れてしまった。
「合格!!!」
「はい?」
訝しげに眉をひそめたティアナが聞き直すと、受付の男は自分の間違いに気付き、早口で手招きをする。
「どうぞ、どうぞ!」
もみ手をせんばかりに中へと誘導した。フリッツとイルマは門の外で待つことにしたため、レオンシュタイン、ティアナ、バルバトラス、ヤスミンがパーティーに参加することになった。
案内人に導かれながら4人はゆっくりと城の廊下を進んでいく。
「さすがホーエンシュヴァンガウ城。堅牢の中にも優雅さがありますね」
周りを見渡しながら、レオンシュタインは廊下や壁に飾られた調度品を賞賛する。やがて、目の前にパーティーのメイン会場の大広間が現れた。夕方にも関わらず室内は明るく照らされており、シャンデリアの装飾が煌めきを放っている。
会場には多くの参加者がおり、足の踏み場もないくらい盛況であることがわかる。様々な地域の料理が所狭しと並べられており、異国のスパイスの香りやフルーツのかぐわしい香りが入り交じっていた。
レオンシュタイン一行は目立たないように会場内を横切り、隣に繋がっている中規模の広間を目指していた。そちらはサブ会場になっており、レオンシュタインが望むものが置かれているはずなのだ。
あった!!!!!
会場の一番奥にレオンシュタインが恋い焦がれる1台のピアノが見える。急ぎ足で近づいたレオンシュタインは、荒い息のまま全体の造形を鑑賞する。同行の3人のことを忘れたようにピアノの側ににじり寄っていき、おそるおそるピアノに触れる。
「こ、これが……。シュタインヴェークのピアノ!」
上気した頬でレオンシュタインは鍵盤にさわる。
「この鍵盤の手触りも……。イイ!」
椅子に腰掛け両手を鍵盤におき、全ての音を確認する。会場に流麗なピアノの音が鳴り響く。音はだいたい正常の範囲内のことを確かめると、音階の練習のためレオンシュタインの指が鍵盤の上を滑るように動いていく。
しばらくピアノに触っていない人間の出す音とは思えない。練習とは言いながら、既に素晴らしい演奏と言っても過言ではない。低音部から高音部まで、あっという間に指が走っていく。音に気付いた人々が少しずつサブ会場に集まり始めていた。
「ティア、何か聴きたい曲があれば弾くよ」
嬉しくて堪らないといった表情でレオンシュタインは尋ねていた。その笑顔がティアナの胸を躍らせる。
「シェーンベルクがいいな」
「悲愴ですね。了解です」
そういうと、ピアノの鍵盤が踊り始める。楽々弾いているように見えるけれども、この曲は左手の動きが特に難しい超絶技巧練習曲なのだ。聴いている方は楽しく弾く方は大変な曲なのに、レオンシュタインは平然と弾いていく。
感情が溢れる叙情的なメロディーに、レオンシュタインの嬉しさが入り交じった演奏となる。音が多重に響き渡り、気がつけば周りは観客であふれている。
「巨匠……」
周囲から感嘆の声ばかりがティアナの耳に入ってくる。最後の小節を弾き終わると、観客から賞賛の声がかけられ拍手が鳴り止まない。レオンシュタインは立って、ぎこちなくお辞儀をしたのだった。




