第64話 暗雲
王国歴162年11月4日 朝7時頃 レーエンスベルク領 宿屋にて――
ドレスを準備でき、明後日のパーティーに参加できる目処がたったレオンシュタイン一行は、朝から和やかな雰囲気に包まれていた。特にレオンシュタインは久しぶりにピアノが弾けると浮かれていた。
「で、今日はどうすんだ?」
食後のりんごに手を伸ばしたバルバトラスは、小気味よい音を立てながら咀嚼する。全員の目が自分に注がれているのを感じ、特に何も決まっていないとレオンシュタインは答える。パーティーを組んでいるわけでもないのに、いつの間にかレオンシュタインがリーダーのようになっていた。
「私は旅行の準備や馬の世話をしたいですね。1日中、出かけていると思います」
いつものように優しい声でフリッツはゆったりと話す。りんごの芯を皿に放り投げながら、バルバトラスはもう1つに手を伸ばす。
「わしは観光だな。山と湖が綺麗そうだしな」
レオンシュタインはティアナと一緒にバイオリンの練習、イルマとヤスミンは近接戦闘の訓練をすることに決まった。
「主が心配だから、主の近くで訓練を行うよ」
「なんで?」
不満を述べるティアナだったが安全と言われては返す言葉もない。
(せっかく二人きりで過ごせると思ったのに)
モヤモヤした気持ちを隠せないティアナだった。
フリッツとバルバトラスは食事が済んだ後、すぐに出かけ、レオンシュタインたちも続く形で宿を出る。空は曇り空で11月の肌寒さを感じる。秋も深まり、山の木々が黄色に変化しつつあった。
国境に近いシュヴァンガウの街並みは、華やかさよりは重厚さを感じさせる。城門も高く、バリスタ(据え置き式の大型弩)も数多く設置されている。城門を横目に見ながら、レオンシュタインは宿の近くにある湖と岩山の景観が気になっていた。そこは有名で観光客も多い。
街の中を抜け、川岸に沿ってレオンシュタイン一行は評判の湖を目指して歩いていく。緑の芝生を鴨の親子が並んで歩いている様子を見て4人は自然と笑顔になる。すぐに見えてきた湖の岸には石が並べられ、その向こうに湖と山々が反対に映り、綺麗なコントラストをなしている。
観光客が少なくなってきたのを見計らい、レオンシュタインはバイオリンを取り出して湖に向かって弾きだした。風が無く鏡のような湖面に白鳥が逆V字の波紋を立てながら泳ぐ。その波紋がまるでレオンシュタインのバイオリンによってつくり出されるような気がするティアナだった。
「それじゃ、どっからでもかかってきて」
近くで、イルマとヤスミンの戦闘訓練が始まっていた。木剣を使用し当たれば怪我は免れないのに、剣の速さはいつも通りだ。ヤスミンはイルマにいいようにあしらわれていた。
「本気だせ!」
憤るヤスミンを尻目にイルマは涼しい顔だ。剣の速さはヤスミンの方が早いかもしれないが、イルマはそれを全て払いのけた上で攻撃する。ぴたっとヤスミンの首にイルマの木剣が当てられる。何度やっても、ヤスミンの剣はイルマに届かなかった。
正攻法ではかなわないと悟ったヤスミンは、投げナイフに見立てた棒をイルマに投げつける。喉と腕を狙っていたのだが、こちらもあっさりと防がれてしまう。
「ヤスミン。飛び道具の威力は低いよ。まずはダガーの腕を上げな!」
ずっと稽古を続けた二人だった。
お昼過ぎにバイオリンの練習も終わり、ソーセージとフライドポテトを購入し、湖が綺麗に見える公園まで足を伸ばす。遠くの山々の白い峻厳さと近くの岩山の対比が美しく、緑の木々と湖の青さもそれに彩りを添えるのだった。
「ソーセージはリンベルクの方が美味しいわね」
冷静に味の分析をしたティアナは同行者に同意を求めようとするが、イルマとヤスミンはフライドポテトをひたすら口に放り込んでいる。ソーセージにかぶりつくと肉汁の量が少なく、ぱさぱさとした食感に閉口したレオンシュタインだった。
(流通に問題があるのだろうか?)
食事の間、周囲から聞こえてきたのは、隣国ヘレンシュタイク公国が侵攻してくるとの噂だった。その隣国との戦いに明け暮れている辺境伯は、安全のためと称して民に重税を課していた。戦は自分たちの生活に悪影響を及ぼすため、町の人々が気にするのも無理はなかった。
結局、物騒な気配を感じた4人は観光もそこそこに宿に戻る。宿ではさらに多くの噂が広がっており、辺境伯自身が前線視察に行くことが決定したという最新情報も流れていた。
夕方にはフリッツとバルバトラスも戻り、全員で夕食のテーブルにつく。
「いやあ、辺境伯が出陣とは物騒ですね」
フリッツが掴んできた情報では、辺境伯の出陣は事実だが敵国の侵入は噂に過ぎないとのことだった。薄い味のスープをすすりながら、フリッツは自分の分析を述べる。
「おそらくゲオルフ卿のパーティーを中止にさせたくなかったのでしょう」
辺境伯が次男を偏愛しているのは周知の事実である。長男は境界の砦に駐屯しており、辺境伯は次男と共にホーエンシュヴァンガウ城に滞在していることが多い。庶民の間では長男の人気が高く、辺境伯家の次期当主になってほしいという声がよく聞かれた。どの貴族にも闇はあるものだとレオンシュタインは軽くため息をつく。
「おそらく明日のパーティーはゲオルフ卿の人脈作りのために開かれるのでしょう。ただ、好色で有名なゲオルフ卿には注意が必要ですね」
フリッツは注意を促し、バルバトラスもそれに同意する。
「メイドとして雇用し、そのまま愛人として囲った例がありすぎるからな」
そっとレオンシュタインの側に寄ったティアナも内心の不安は隠しようもない。
「側室という名も都合よく使われ、実際は夜の相手ばかりという方も……」
そこまで話し、フリッツは女性の前ですべき会話では無かったことに気づき謝罪する。そこで、レオンシュタインが結論を述べる。
「失礼にならないようにパーティーへは参加しますが、短時間で帰ってきましよう」
ピアノを弾いたらすぐに帰ろうと決意するレオンシュタインだった。




