第61話 辺境伯次男 ゲオルフ
王国歴162年10月30日 朝9時頃 レーエンスベルク辺境伯居城にて――
「おいおい、何だこの手紙は?」
心底呆れたという顔つきでレーエンスベルク辺境伯ハイルヴィッヒが悪態をつく。強大な黄金のイスに座る彼の横には、巨大なオオカミの剥製が大きな口を開けている。
シュトラント伯爵家三男の馬車が辺境伯領を通るため、適正に処理を願いたいという内容だった。それほど大して親しくもない伯爵家からの要請に、先ほど食べた朝食が台無しになるのを感じていた。
一行は6人で、その対価として小金貨10枚を提示している。
「我が辺境伯家を馬鹿にした話ですな、父上。小金貨10枚程度の報酬で3人の男たちを処理とは。物騒にもほどがあります」
怒りを露わにする辺境伯次男のゲオルフが手紙をテーブルの上に投げ捨てた。薔薇の紋様が彫刻された大理石のテーブルは、武骨な石壁とは対照的に優雅な雰囲気をその場所にもたらしていた。
しかし、辺境伯はその手紙の文面に興味を持っていた。処理という言葉を使う一方、3人の女には手を出すなと厳命されている。ティアナとかいう女には絶対という言葉を使っている。
「おそらく美しいということだろうな。それほどまでに美しいなら、私やお前の側室にしてもよいのではないか」
醜悪な笑顔で辺境伯は提案し、ゲオルフは一も二もなく、それに賛同する。
「今週末のパーティーに出席できるよう便宜を図りましょう。まあ、相手は伯爵家の三男ですから、それほど不自然なことはないでしょう。楽しみになってきました」
自慢のひげを触りながら、辺境伯ハイルヴィッヒは皮肉めいた口調で結論を述べる。
「手紙の主には悪いが、それほど親しくもない相手にぶしつけな願いをしたと反省していただこう。どうせ、文句もつけられないであろうからな」
辺境伯はその名の通り、最前線で戦う伯爵家である。隣国と国境を接しているだけあって荒事には慣れている。二人のいるこの城は難攻不落と名高いホーエンシュヴァンガウ城であり、北と南側は絶壁となって敵の侵入を防いでいる。周りを森で囲まれ、崖の上にオレンジ色の城壁が美しくそびえ立ち、城下の湖や街の様子を一望できる。
また、城の一角には大広間が設けられており、居住用としての機能も高い。高い防衛力を持ちながら、迎賓館としての機能も持っている。彼らが今、話している場所は迎賓館横の応接室だ。10m四方の広さを持ち、剥製や武器など、優雅さよりも力強さを強調する調度品が並んでいる。
「早速、関所の取り調べを厳しくしましょう。手配をして参ります」
応接室から足早に出て行ったゲオルフの姿を満足げに眺めながら、辺境伯はテーブルの赤ワインを傾けるのだった。
§
そのような会話がなされていたとはつゆ知らず、レオンシュタイン一行はゆっくりと馬車に揺られていた。
風が頬に冷たくなってきた、王国歴162年11月3日のことである。
「フリッツさん、今日はどこに宿を取ろうとお考えですか」
レオンシュタインがのんびりと話しかけると、笑みを浮かべたフリッツがシュヴァンガウの町ですと話してくれた。崖の上にはレーエンスベルク辺境伯の居城が見られるらしい。
「でも、あの町にはいい思い出がありませんねえ。物価も高めでしたし」
そのまま、フリッツの馬車は宿を目指してゆっくりと進んでいった。特に大きな問題もなく、レオンシュタインのバイオリンの練習時間もとりながら、馬車はゴトゴトと音を立てて目的地に向かって行く。
ディペルツの町を出発してから2日がたち、ようやくシュヴァンガウの街に入る門が見えてきた。
「ずいぶん厳重な警備ですね。何かあったんでしょうか?」
門の近くに10名もの騎士が配置されているのを見て、フリッツは首をかしげる。戦争時でもこのような厳重な警備をしていなかった。
「次」
騎士の隊長らしい男がレオンシュタイン一行に来るよう促す。6人で旅をしていることを伝えると、しばらく待機するように命令され、10分くらい経ったろうか。馬に乗った3人の男がやってきた。一人はその服装から貴族であることが分かる。その両脇には、警備の騎士よりさらに屈強な男たちが控えていた。
貴族らしい男は馬を下りると優雅に一礼をする。年の頃は20歳前後、精悍な顔つきと2m近い体躯が自然と相手に威圧を感じさせる。髪の毛はダークグレーで目はブルーの美丈夫である。
「シュトラント伯爵家三男、レオンシュタイン殿とお見受けしました。私はレーエンスベルク辺境伯家次男、ゲオルフです」
ボウ・アンド・スクレープという貴族の挨拶にレオンシュタインも答礼する。頭を下げ右手は曲げて胸の前へ、左手は斜め下へ下げる。
「初めまして。ゲオルフさま。レオンシュタイン・フォン・シュトラントと申します。お目にかかれて光栄です」
どうして自分の名前が分かったのかレオンシュタインは不思議に思い、ゲオルフに思わず問いかけていた。レオンシュタインの兄から領土を通る際にはよろしく頼むという手紙が来ていたとゲオルフが種明かしをする。
「兄上が……。そうでしたか! 嬉しいです」
ただゲオルフの視線はずっと3人の女性へと向けられていた。その視線にレオンシュタインは不審の目を向けたが、ゲオルフは気がつかない。
「レオンシュタイン殿、こちらの女性は卿の奥さまでしょうか? 是非、ご挨拶をしたいのですが」
挨拶をするのであれば、スカーフやターバンを取らなければならない。ゲオルフに不審を感じていたレオンシュタインはどうしたらよいものか、決めかねていた。
「レオンシュタイン殿は私に女性を紹介するのがお嫌なようだ」
不機嫌な口調がその場に響き渡る。レオンシュタインにとって見慣れた貴族の振る舞いだ。自分の思い通りにならなければ不機嫌になり、本性が現れてしまうのだ。
「どうせ田舎の端女であろうに。もったいぶることもないだろう」
ゲオフルと供の騎士たちは露骨に3人に近づくような素振りを見せる。このままでは一触即発の事態を招きかねない。レオンシュタインに目配せしたイルマは、顔に纏っていたスカーフを取り除いた。ふわりとした赤毛の下から元気な声が響く。
「これでいいかい?」
用心棒として活躍しているイルマも何も話さなければ深窓の令嬢に見える。うっすらと上気した頬と、桜色の唇、切れ長の目が美しく調和して、周囲を圧倒するような美のオーラを発している。また、すらりと伸びた足と細い腰、その上に載せられた大きな胸が、いやが応でも男たちの目を引きつけて離さない。
騎士たちは仕事を忘れてイルマを見つめていた。
「レオンの未来の妻、イルマです」
レオンシュタインの横に立ち、肩に手を載せてウインクをする。
それを聞いたヤスミンは、聞き捨てならないとばかりにターバンを頭の後ろにはね除けて、イルマとは反対側のレオンシュタインの横に躍り出る。褐色の肌に銀の髪、生命力に溢れた生き生きとした目と悪戯そうな口元。少女から脱皮しそうな若々しさと、それに不釣り合いな大きな胸が強調されている。
すっと目を細めた瞬間の冷たい表情がクールビューティーを感じさせる。
「私はヤスミン。ずっとそばにいる。ね、マスター?」
そう言い、ヤスミンがレオンシュタインに目線を移した瞬間、顔全体がふわっとした愛らしい表情に変化する。そのギャップがさらに美しさを際立たせている。
ゲオルフはしばらく黙ったまま、二人を見つめていた。




