第51話 髭面の男
ティアナの機嫌を取りつつ教会を出ようとするレオンシュタインの前に、一番前に座っていた髭面の男が近づいてきた。
「兄ちゃん、凄い音だね。感動させてもらったよ。ぐはははは」
豪快に笑う男にあっけにとられたが、そんなことは全く気にせず男は自己紹介を始める。
「わしの名はバトラス。旅する農民だ!」
握手をしようとするバトラスをイルマが遮り、注意を促す。ティアナも控えめにそれに同意する。定住が理の農民なのに旅をするのはおかしいというのだ。けれども、バトラスはこともなげに答える。
「農場は家族がやってくれてるよ。まあ、俺をあきらめてるってことかな」
そういうと、また一人で大笑いをする。4人はあきれたようにバトラスを見つめる中、レオンシュタインは気を取り直して何か用事かと尋ねる。
「実はな。お前さんのバイオリンに、いたく感動したってわけだ。次の講演場所を聞き出そうと思ってな」
「いえ。私は音楽家ではないので弾く場所は決まっていません。演奏させてくれるところがあれば、どこへでも行きます」
屈託なく答えるレオンシュタインの言葉を聞き、バトラスは大きく首を振る。
「あれだけの腕がありながら、どの劇場でも弾かないのか。もったいない」
「もったいないと言われましても」
ひたすら信じられないを繰り返すバトラスに、レオンシュタインは笑顔でお礼を述べ、その場を立ち去ろうとする。バトラスは慌てて引き留める。
「いやいや、待ってくれ。これからお前さん方はどこへ行くんだ?」
「まだ、決まっていませんが王都へ向かおうと思っています」
自分も王都に用事があるためバルバトラスは同行したいと提案してきた。イルマは同行が難しいと即答し、ティアナも難色を示す。身元がはっきりしていない彼は盗賊かもしれない。その懸念を見てとったバルバトラスは背負っている袋から1つの巻紙を取り出した。
「こいつを見てくれ」
渡された紙を見たがティアナには何を書いてあるのか全く読めない。すぐにレオンシュタインに渡す。
「これは大学の博士号だね。法律学。バルバトラス・ザクセンフュラート。ポロニウス大学」
レオンシュタインは驚愕を押し殺して答える。
「あなたは、あの高名なバルバトラス先生ですか?」
「高名かどうかは知らんが本名はバルバトラス。普段は農家のバトラスと名乗っとる」
バルバトラスといえば大陸で一番有名なローマ法の大家であり、学びたい学生は引きも切らないほどである。ただ、かなりの変人ということでも有名だった。レオンシュタインはなぜ偽名を使っているのか質問してみた。
「実は大学を首になってなあ。別のところで働こうにも名前を出すと、みんなお断りすんだよな。だから偽名で新しい勤め先を探している最中ってわけだ」
あっけらかんと話すバルバトラスだが、イルマは警戒の目を緩めない。逆にフリッツは興味津々といった様子でバルバトラスを眺めている。少し考えてからレオンシュタインは問いかける。
「では、バルバトラス先生」
「バトラスで結構」
「バトラスさん。あなたが書いた本の名前は?」
「わしが初めて書いたのは『ローマ法と伝統的慣習法の調和』だよ。それ以外にもいろいろあるが」
「いえ、それで大丈夫です。私も読みましたので」
ほうっと言いながらバトラスは目を細める。自分が書いた本の読者がいるのは嬉しいのだろう。
「君はラテン語が読めるんだね」
「はい、家庭教師から教わりました」
レオンシュタインは突然、言葉を変えて語りかける。
「quid faciam? quo eam?」(一体私は何をしたらよいのか? 一体私はどこへ行けばよいのか?)
「deo duce, non errabis.」(神が導けば、あなたは誤ることがないであろう)
すらすらと答えるバルバトラスを見てレオンシュタインはイルマに警戒は止めるよう話す。ラテン語を自由に操れる詐欺師や盗賊がそんなにいるとも思えない。あらためてレオンシュタインはバルバトラスに語りかけた。
「先生。王都までご一緒しましょう」
「お、そうか? では、よろしくな。ぐはははは」
バルバトラスは大きな口を開けて豪快に笑う。イルマとティアナには、目の前の男がそんなに偉い学者だとは到底思えないのだった。




