第46話 快適な馬車
王国歴162年10月13日 午前8時頃 リンベルクの市街にて――
宿を出発した後、レオンシュタイン一行は乗合馬車が集まる場所を目指していた。
町に1ヶ月も滞在していれば、どこに何があるのかだいたい分かる。それだけ、リンベルクに馴染んでしまったのだ。レオンシュタインは毎日バイオリンを弾いて暮らすという、アリとキリギリスのキリギリスのような生活を送ったのだ。
(体重……変わってないなあ)
リンベルクは美味しい食堂も多く、しかも喪男同盟のみんなと酒まで飲んでいたのだから、体重が減るよしもなかった。
(出会いもないなし、お金も稼いでもらってばっかだしなあ……)
そう考え、軽い溜息をつくレオンシュタインだった。
町外れに近づくにつれて馬の匂いが強くなり、やがて数多くの馬車が並んでいる広場にたどり着く。全部で20台の馬車を数えることができた。
「喪男サイン、出しとけって言っといた。名前はフリッツ。すぐ分かるよ」
ケスナーのヒントがこれだけだったため、御者と出会えるかどうか不安になる。
ところが広場の中央から離れた馬の前で、親指を立てて直立している怪しい男がいた。まさか、あのヒントが役に立つとは思わなかったと、含み笑いをしながらレオンシュタインは近づいていく。
「喪!」
「喪!」
紹介されたフリッツさんで、どうやら間違いない。笑顔を絶やさない温和な顔つきで年齢は30代の後半、グレーの短髪と髭が綺麗にセットされている。全身から清潔さと誠実な人柄が感じられる。
「あなたがレオンシュタインさんですか。私はフリッツといいます。貸し切り馬車が必要だそうですね」
「はい、コムニッツ領(シュトラントの北に位置する公爵領)のエイムハウゼンまでお願いしたいんです」
それを聞くと、フリッツは馬の横に置いてある木箱に座り、到着までの期間を算出し始める。エイムハウゼンはここから馬車で5日はかかることを告げ、1日あたり1人銀貨2枚で行くことを提案してきた。
ケスナーからの紹介のため格安で行くことを決めたらしい。
宿代を考えると御者代はないに等しく、レオンシュタインは安さに驚きを隠せない。
「私は独身でしばらく仕事がないからこの見積もりですね」
フリッツは何でもなさそうに説明する。こんな好条件はめったにないとレオンシュタインは貸し切ることを即決した。
「女性が二人もいることを考えると、護衛が必要だと思いますねえ」
自分の戦闘力は皆無であるとフリッツは自嘲気味に告白する。近接戦闘に長けているイルマ、魔法戦闘に長けているティアナがいるため、護衛は無用だとレオンシュタインは説明していた。
「それは安心です。では私も買い物に行ってきます。1時間後に出発しましょう」
そう言うと大きなリュックを背負い、食料や水の調達に出かけてしまった。
フリッツがいなくなると同時に、周囲の同業者たちは大声で嘲り始めた。
「フリッツのボロ馬車を使う奴もいるんだな」
「馬は年寄り、荷台はボロボロ。俺なら金をもらっても嫌だね」
「まあ、安さだけが取り柄だからな」
本当だろうかと思ったレオンシュタインは、フリッツの馬車の周りをぐるぐると歩いてみた。
馬は年をとっているものの精悍で素直そうだし、馬車の荷台は古さを感じさせるものの、安全のために補強されていることが分かる。自分の目で安全を確認したレオンシュタインたちは、安心して買い物に出かけるのだった。
1時間後にレオンシュタインたちが帰ってくる頃、フリッツはすでに馬車の点検に取り掛かっていた。
「おかえりなさい。いい食べ物が手に入りましたか?」
たくさん購入したことを話すとフリッツは馬車の下から這い出し、荷物を受け取って荷台に積み込み始める。レオンシュタインたちが荷台の中を見ると、藁が敷き詰められており、その上に白いシーツが乗せられていることに気付いた。
「フリッツさん、この藁は?」
「馬車って揺れるじゃないですか。それを少しでも防ぐためのクッションです。古くなったら馬の餌にもなりますし」
人柄がよくわかる答えにレオンシュタインは思わず笑顔になる。荷台の下を覗いていたイルマは、車輪と御者台の下にCの字のような形の鉄がはめ込まれていることに気づいた。
「ねえ、フリッツさん。あの鉄の装置は何?」
「ハラルドさん考案の荷台クッション装置です。揺れが少なくなるんですよ」
良くぞ聞いてくれたとばかりに、フリッツは喜んで説明した。馬車の揺れに閉口しているレオンシュタインは、それを聞いて乗るのが楽しみになる。
「さあ、乗ってください。出発しますよ」
3人を荷台に乗せるとフリッツは馬車を静かにスタートさせた。見慣れたリンベルクの街中を馬車はゆっくりと進んでいく。魔法院も市場もいつも通りの佇まいで、ソーセージの焼ける匂いや揚げたポテトの匂いがするのもいつも通りだった。物売りの威勢のいい声が懐かしく聞こえるのは、町を離れる感傷がそうさせるのだろうか。
その風景を眺めながら、イルマは馬車の揺れが少ないことに感嘆の声をあげていた。流石、天才時計細工師ハラルドの発明である。快適である旨を笑顔でフリッツに伝えると、フリッツは頷いて嬉しそうに馬車を進ませていく。
リンベルクの門を通り抜け、どこまでも平らな平野を馬車はのんびりと進んでいった。荷台はハラルドの装置と藁のクッションのおかげで快適そのものだ。街道の両側には、緑と黄色で彩られたモザイクの丘がどこまでも続いている。
「さすがケスナーさんの推薦ですね」
ふかふかのクッションに顔をつけながらティアナはその匂いを楽しんでいた。太陽の匂いがするシーツに座って進めるなんて、今までの旅の苦労が嘘のようだ。
「やっぱり人との繋がりは大事ですね」
ティアナの言葉にレオンシュタインはうんうんと同意する。フリッツは馬に決して無理をさせず、1時間に1回は休憩をとる。
「大人を4人も乗せてますからね。馬だって疲れますよ」
そう言いながら人参や藁を食べさせ、たっぷりと水を飲ませている。フリッツの馬は嘶もしなければ、カツカツと地面を蹴ったりもしなかった。フリッツが近づくと、顔を近づけ甘えるのだった。
何度も休憩をとりながら、一行は1日目の宿営地に到着する。荷台は宿営地に置いたまま、フリッツは馬だけを宿屋の厩舎に連れていく。
荷台にはティアナとイルマが寝て、その近くでフリッツとレオンシュタインが交代で休む形になった。ただイルマはレオンシュタインと見張りを交代して、レオンシュタインを眠らせることに気を配るのだった。
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その日から快適な馬車の旅が続き、レオンシュタイン一行はゆっくりと目的地に向かって進んでいった。その間、レオンシュタインはフリッツと、とても仲良くなった。職業柄、様々な土地の面白い話を山ほど知っているフリッツの話を聞くだけで、レオンシュタインはその場所を旅行をしているような気分になるのだった。




