第37話 盲目の建築家
王国歴162年9月18日 17時頃 アドラー亭でのこと――
店に着いたレオンシュタインはケスナーともう一人の男がテーブル席に座っているのを見つける。テーブルの上にはビールのジョッキが2つと焼き鳥を並べた皿が3つ載っていた。
「レオンちゃん。こいつはディーヴァって言うんだ。盲目の建築家さ。今は呑んだくれだけどな」
がっしりした身体つきでオレンジ色の髪をもつ50歳くらいの男を紹介される。怪我のために両目とも見えないと教えてもらう。髪の毛は肩までたれていた。
「呑んだくれは余計だよ」
「今日はこいつの話を聞いてくれ」
面倒くさいとディーヴァは手を振って断るけれど、ケスナーが粘り強く促したためにポツポツと自分のことを語り出した。少し前まで建築家をしていたこと、事故のために両目が見えなくなってしまったことを、時間をかけてゆっくりと話す。
そこまで話すのにディーヴァは2杯のビールを胃に流し込んでいた。その運命に翻弄される話をレオンシュタインはじっと聞いていた。
話が途切れたところでケスナーが切り出した。
「目の治療には小金貨2枚(銀貨200枚=約200万円)が必要だ。同盟でも募金を募ってるけど、今のところ貯まったのは銀貨が20枚くらいかな」
ディーヴァを助けるために喪男同盟が活動しているのは嬉しいが小金貨2枚は遠い道のりだ。照れ隠しなのか、それとも諦めているのか、ディーヴァは荒い口調で話してくる。
「誰も金なんか持ってねえよ。だからこそ、喪男なんだろう」
「口が悪いな」
「ふん」
そう言うとビールをぐっと一息飲み、ドンとテーブルの上にジョッキを置くと、傍らにある大きな巻き紙を大事そうに両手で包む。
「ケスナー。お前は夢を語れって言うけどな。俺はな、この図面通りに街や公園を造るのが夢だった。もう造ることはできねえが……。それでも話すことはできる」
ケスナーに頼み、テーブルの上に図面を広げてもらう。
今までの概念を塗り替えてしまうような独特の形状の建物が、そこに広がっていた。曲線が多く鮮やかな配色をもつ建物が連なり、地上の楽園のような高揚感がその絵図面から感じられるのだった。
「これを作るには、べらぼうにお金がかかるんだ。でもな、頑丈で明るい室内と収納が多くとれる家なんだ」
ディーヴァの口調に少しずつ熱が帯びてくる。
「で、この下にある池が見えるか? 今までとは違った噴水施設があるんだ。水が追いかけるように順々に出る仕掛けなんだ。ま、仕組みはまだ考えつかねえけど」
身を乗り出してレオンシュタインは話に聞き入っている。相槌を入れながら聞くレオンシュタインに気を良くしたのか、ディーヴァは饒舌になる。
「休日にはこの公園で子供たちが遊ぶんだ。ここは動物広場だ。不思議な動物たちでいっぱいで大人だって楽しいんだ。柔らかな緑と湖面をこのボートで遊びながら眺めれば、寝ながらだって景色を楽しめるぜ」
喋る時のディーヴァの顔は輝き、見えなくなった目が今にも開かんばかりだった。けれども目はどうやっても開かず、少しずつディーヴァの口調が暗くなる。
「これが夢だったんだ。今はただの法螺話にすぎねえ」
今度はさっきよりも多くのビールをあおり、ラオホビールの燻製の香りがいつもよりもずっと苦く鼻を通り抜けていく。すぐにジョッキが空になった。
「酒、追加だ! 酒が足りねえ」
大きな声で店員を呼ぶ。少し眉を顰めながらも、店員はお代わりを持ってきてテーブルに置いた。
「ようし。か、乾杯だ。俺の酒が飲めねえ、のか?」
だいぶ呂律が回らなくなり、ディーヴァはついに突っ伏してしまう。軽いいびきがレオンシュタインたちのテーブルに響き始めた。
「こいつは腕のいい建築家だった。本当に」
上着をディーヴァに被せながらケスナーは話す。
「でも、1年前の事故で一番大事な目を両方やられちまった。酒に溺れて女房とも別れ、一人暮らしになっちまった。目が見えないと暮らしていけない。だから、今は俺ん家に居候ってわけさ」
そう言うとケスナーは、ぐっとビールをあおる。
「こいつの図面を見ただろ。こいつは天才だ。今までにない価値を世の中に生み出せる男なんだ。でも、目を治すためにはお金が足りない。小金貨2枚なんて、おいそれと貯められる額じゃない。俺が稼ぐためには十年くらい鳥を取り続けなきゃ無理なくらいだ」
ジョッキを固く握りしめたケスナーは陽気な彼とは思えない全く別の一面を見せていた。
「喪男同盟の奴らは金なんてないんだよ。金もなく、嫁もなく、ないない尽くしの連中だ。好きなことばっかりやってるからな」
ケスナーは自嘲気味に薄く笑う。
「すまんな、レオンちゃん。今日は嫌な思いをしたんじゃないか?」
とんでもないという風に手を振って、レオンシュタインは否定する。自分がすごく感動したこと、素晴らしい才能を持った人と出会えたことに心から感謝していることをケスナーに伝えた。
「ケスナーさんの目は確かで、ディーヴァさんは天才です。そんな方と知り合いになれたなんて本当に嬉しいです」
肩をビクッと震わせたディーヴァはテーブルの上にぽつぽつと涙を落とす。この出会って間もない若者はディーヴァをただの酔っ払いと扱わず、天才だと尊敬し、信じてくれている。目が見えなくなってからの1年間、ケスナーを除いてここまでディーヴァを信じた人はいなかった。
ディーヴァの嗚咽がだんだん大きくなる。
レオンシュタインとケスナーは顔を見合わせると、納得したようにうなずき合う。
「じゃあレオンちゃん。俺たち今日は帰るわ。また来週会おうぜ」
「分かりました」
そして、別れ際に互いに合図を交わす。
「じゃあ、喪!」
「喪!」
親指をぐっと立てる。
「じゃあ、おやすみ。レオンちゃん」
「おやすみなさい。ケスナーさん、ディーヴァさん」
ディーヴァは手を上にだるそうにあげる。
二人が去った後、そっとイルマが寄ってきた。
「主、世の中にはいろんな人がいるね」
ずっと二人の後を目で追っていたレオンシュタインは、ある決意を胸に秘めていた。
「ねえ、イルマ。今、僕たちの全財産はいくらかな?」
突然の問いにイルマはうまく答えられない。
「じゃあ、宿に帰ろうか」
何も話さないまま、イルマとレオンシュタインは宿へと帰っていく。レオンシュタインはずっと何かを考え続けており、イルマはその様子を心配そうに見つめていたのだった。
――これが、さっき鷲亭であった出来事なのだ。




