第30話 イルマの香水
王国歴162年9月13日 朝10時頃 リンベルクの施療院にて――
「ちょっとイルマ! レオンから離れて!!」
強引に二人を離すようにティアナは二人の間に割り込むと、レオンシュタインの顔の近くに自分の顔を寄せる。
「大丈夫? レオン」
一難去ってまた一難だ。
さらに強烈な美少女がレオンシュタインの前に迫ってきた。
その美しさに耐性がついてきたレオンシュタインだったが、ティアナの美しさは並外れていた。話すにしても側にいるにしても腰が引ける。でも、そんな様子を見せたらティアナが悲しむことをレオンシュタインは痛いほど分かっていた。
美を跳ね返すように腹に力を入れ、何でもなさそうに手を振る。
「大丈夫、大丈夫」
同時にイルマに鏡を見てくるように促した。
「はい、はあい」
壁に掛けられた鏡に近づいていったイルマが大声を上げる。
「ええ? これ私?」
盛んに顔を手で触っている。
「昔の私に戻ったみたいだ」
イルマの目から涙がこぼれ落ちた。驚きと嬉しさが混じり合い、どうにも止まらない。虎狼の口と散々馬鹿にされてきた口が綺麗に治っていた。ずっと見えなかった左目の傷が消え、壁にかけられたポスターの小さな字まで読むことができる。
しばらく、レオンシュタインはイルマをそっとしておいた。ティアナもレオンシュタインの側でおとなしく座り続け、沈黙を守っていた。
「主……。本当にありがとう」
イルマは鏡から離れ、ゆっくりとレオンシュタインの側に寄ってくる。そしてティアナの目の前でレオンシュタインに抱きつき、強引に唇を重ね合わせていた。
「んん」
びっくりしたレオンシュタインは動けないまま固まってしまう。ティアナも不意を突かれて、目を見開いたままその様子を眺めていたが、すぐに我に返って怒りを表す。
「イルマ! 神聖な教会で何てことを!!」
すぐに二人を引き離そうとするが、イルマはますますレオンシュタインを強く抱きしめて放さない。あまりのことに司祭も目を他の場所に移していた。
イルマは口を離したものの、改めてレオンシュタインの腰に手を回し、胸に顔を埋める。修羅場が近いことをレオンシュタインは察しつつ、全く別のことを考えていた。
(イルマさん、いい匂いがするなあ。でもレオンシュタイン、勘違いするなよ。これは感謝のキス……。こんなに綺麗なイルマさんは俺に相応しくない)
ライラックを主とした香水をつけているイルマからは、優しく甘い香りが漂ってくる。けれども、レオンシュタインはどこか他人事のように感じていた。イルマも運命の人ではないと少し寂しくなる。
ティアナの目がすっと細くなり、その美が引き立つような感じがしたが、その髪の毛が少しずつ逆立っていくのが分かる。そのただならぬ気配にレオンシュタインは、はっと我に返った。
「イルマさん、離れてください」
けれどもイルマは全く動かない。レオンシュタインは引き離そうとするが、がっちりと腰をホールドされていて全く動けない。
(神様)
詠唱が終わると二人は黄色い光に包まれ、教会の中はパリパリとした乾燥した空気に支配される。ズドンという重低音とともにレオンシュタインとイルマは感電して、その場に倒れてしまった。
(今日はいつもより……きつい)
しばらく意識を失い、教会内で眠っていたらしい。気が付いた時、その原因を作ったティアナは心配のために二人の近くを歩き回っていた。
「ティア。ごめんね」
「いいえ、私こそ、ごめんなさい」
むくりと起きたレオンシュタインは、まず謝った。むしろレオンシュタインは被害者なのだが……。ティアナはレオンシュタインが目を覚ましてほっとしたらしい。
同時にイルマも目を覚ます。
「主はティアナに、いつもこんなことをされてるんだな。きついねえ」
「そんな……。いつもじゃないし、レオンが変なことしたときだけ」
もじもじしながらティアナは抗弁していると、レオンシュタインは、大きく背伸びをする。
「もう大丈夫。さあ、今日はこれくらいで帰ろうか」
(さすが主。回復力が半端ないな)
イルマは、そのことに驚きを隠せない。
会計に行き、支払いの合計を尋ねると、銀貨220枚(約220万円)と告げられる。すぐに袋から銀貨を取り出したレオンシュタインは、全額を会計の窓口にドンと置く。大分、懐が寂しくなった。
「だいぶ減りましたね」
「必要なお金だから。いいよ」
財布の重さが気になるティアナだったが、レオンシュタインは気にしなかった。何度もお礼を言うイルマとティアナを引き連れ、3人は教会を出ていった。ただ、レオンシュタインは告解室へ行ってくると二人へ告げ、教会内に引き返そうとした。
「レオン。私も行くよ!」
「主、私も一緒に」
けれどもレオンシュタインは聞かれたら恥ずかしいからと強引に二人を納得させて、同行を拒むのだった。二人は渋々、外のベンチで待つことになった。
レオンシュタインは告解室へ入ると、そこから若いシスターの声が聞こえてきた。
「迷える人よ。神のいつくしみを信頼して、あなたの罪を告白してください」
何でまたシスターなんだと思いながら、レオンシュタインは両手を組み合わせて罪を告白する。
「私は『自分に相応しい』んじゃないかと思っていた女性が、実は釣り合ってないことに気づきました。それに、心のどこかで『自分を好きなんじゃないか』と思い上がっていました。その傲慢な罪をお許しください」
レオンシュタインは悲しいまでにティアナやイルマの思いには気付かないままだった。扉の陰からは、優しい声が響いてきた。
「そうでしたか。わたしは父と子と聖霊の御名によって、あなたの罪をゆるします」
そこで終わるはずなのに、レオンシュタインはまたしてもシスターに話しかけてしまう。
「私はどうしたら、自分に相応しい伴侶に巡り会えるのでしょうか?」
「あ、あの、告解はそのような恋愛相談をする場では……」
「どうすれば巡り会えますか!!!」
あまりの真剣さにシスターは一つ咳払いをする。
「自分の全てを捧げるのです。愛とは与えること。神の愛と恵みを信じるのです」
レオンシュタインの顔がようやく明るくなる。
「そ、そうですか。全てを捧げることが素敵な出会いにつながるのですね。ありがとうございました」
「神の祝福があらんことを」
シスターの新たな教えを胸に意気揚々とレオンシュタインは教会から出て行く。レオンシュタインの表情が妙に明るいことに気付いたティアナは、何があったのかを尋ねていた。
「いや。愛とは与えることなんだね。これから心がけようと思うよ」
ティアナとイルマはいぶかしげな表情になるのだが、レオンシュタインは気にしなかった。二人は気を取り直して、今まで自分たちが話していたことをレオンシュタインにも伝えていた。
「レオン。何だか、いつもと景色が違って見える気がする!」
「主、私は傷が治ったことを今でも信じられない」
外の光が眩しいので手で光を遮りながらティアナが話すと、その横で顔を触りながらイルマも相づちを打つ。
周囲の視線が二人に集まっていることを嫌でも感じるレオンシュタインだった。
たしかにとても美しく、光り輝いているような気さえする。その上、二人はとても優しくて、思いやりがあることをレオンシュタインはよく分かっていた。
(でも、二人は自分に相応しい女性じゃないんだよな……お告げ的には……)




