第293話 東部戦線、異常なし
一方、東部戦線にも動きが出ていた。
王国歴165年10月9日午後2時、ユラニア王城東方トイフェルスベルク丘陵はその沈黙を破ろうとしていた。この丘陵からユラニア王城や王都シュバーリンの街並みが一望できる。王城からは直線距離で10kmほどにある標高120m程の丘陵である。
歴史的にも、この丘陵は激戦地になることが多かった。この丘陵にグライフ公爵ウルリッヒの歩兵部隊2800が展開していた。丘陵の下には敵としてベルンハルト伯爵率いる歩兵1200、ビッテンベルグ伯爵率いる歩兵1500、そして、ファルケンハウゼン侯爵率いる歩兵3000が展開していた。
「敵は約6000。我が軍の2倍ですな。しかも、全て敵対派閥の面々ですね。交渉が難しそうですなあ」
グライフ公爵軍の執事兼参謀のクルトは冷静に分析する。特に主将であるファルケンハウゼン侯爵は、ヴェルレ公爵と意見が対立することが多かった。
「魔族の話が伝わっていないはずはないのに、愚かな……。人間同士で争っている場合ではあるまいに」
ウルリッヒは大きく溜息をつく。
「伝令を出せ!」
その頃、ファルケンハウゼン侯爵の陣では諍いが起こっていた。
「侯爵! 西部戦線から連絡がありヴェルレ公爵の配下武将アルムゲイルが魔族だったことが判明しております。ウルリッヒ卿の檄文に一理あるのではないでしょうか?」
憤りを込めてベルンハルト伯爵は進言する。ウルリッヒ卿は敵対派閥ではあるものの別に戦争を起こすほど敵対しているわけではない。それ以上に魔族の脅威が現実となった今、停戦して情報収集に努めるべしというのがベルンハルト伯爵の言い分だった。ファルケンハウゼン侯爵はその意見を鼻であしらった。
「停戦? それは思いもよらぬ事。それこそがウルリッヒ公爵の謀略である。ヴェルレ公爵も気をつけるように言っておったではないか」
「そのヴェルレ公爵が怪しいのです、侯爵。我が情報網にも、ノイエラント軍が魔族を倒したこと、エルネスティン辺境伯と停戦したことが伝わっております。辺境伯は『これは魔族と人間の戦いだ』と各方面に檄文を飛ばしております。我々が魔族の片棒を担いでいると思われるのは心外。我が伯爵家の名誉に関わります」
普段はあまり主張をしないビッテンベルグ伯も、顔を赤くして同様の意見を述べる。魔族の仲間と思われてしまうのが耐えられないのだ。
「卿ら、冷静になれ。ヴェルレ公爵が魔族であるという話は荒唐無稽ではないか」
ファルケンハウゼン侯爵は宥めようと話を続けるが、二人の伯爵はますますいきり立つ中、使者が乗り込んできた。
「ファルケンハウゼン侯爵、ベルンハルト伯爵、ビッテンベルグ伯爵。即座に停戦し、ともに魔族との戦いに赴いてもらえないかと我が主グライフ公爵ウルリッヒは願っております。人間同士、争っている場合ではない。魔族との戦いに全力を尽くすべきだと」
二人の伯爵は大きく頷く中、侯爵は苦り切った表情のままだ。すると、ついにベルンハルト伯爵は業を煮やす。
「これまでヴェルレ公爵から多額の支援を受けてきたため支持をしておったが、今となってはその金の出所ですら怪しいわ。我が軍は静観させてもらう」
と、停戦に合意してしまう。
「私はウルリッヒ卿とともに行動する。どうか魔族討伐に同行させてもらいたいと公爵に伝えてくれ」
ビッテンベルグ伯爵も同行する旨を伝えていた。
「卿ら……」
憤るファルケンハウゼン侯爵の前に、もう一人の使者が現れる。その使者は3人の度肝を抜いた。
「ウルリッヒ卿……」
敵軍の首魁ウルリッヒ卿が本陣まで乗り込んできていたのだ。
「ファルケンハウゼン侯爵。どうか共に魔族と戦ってもらえないか。いや、静観でもいい。もし、わしが魔族ではなく簒奪者の振る舞いをしたなら、遠慮なく攻撃してもらってかまわない。魔族に支配されたユラニア王国を……正しい姿に取り戻したいのだ」
明らかに動揺しているファルケンハウゼン侯爵との会話を二人の伯爵は食い入るように聞いていた。
「侯爵、この通りだ。ユラニア王国を助けてくれ」
頭を下げたウルリッヒ卿の姿はファルケンハウゼン侯爵の態度を軟化させた。
「……分かった。卿の言うことが正しいかもしれぬ。ただな……」
「懸念があるのか? 侯爵」
「結婚式のために、すでに妻や息子たちが王城に入っているのだ。ウルリッヒ卿の妻子は帰国しているのだろうが……」
妻子が人質にされていることを伝える。主要な貴族は全てそうなっていた。
「エルネスティン辺境伯は檄文を出せるだろう。あの軍には妻子が部隊長として従軍しているからな。でも、我が侯爵家は無理だ。妻と息子2人、娘3人が人質なのだ」
その立場に心から同情したウルリッヒ卿は1つの提案をする。
「魔族退治はノイエラントの面々とエルネスティン辺境伯、我が息子ルドルフに任せようと思う。我々はここでにらみ合いを続けているふりをして、国の混乱に乗じる輩を排除すればよのではないか」
「分かった。それが良かろう。ここであれば王城の動きもすぐに分かる」
ウルリッヒ卿は傍らに控えている2人の伯爵に目を移す。
「侯爵。卿の配下の2人は、自分で考え、決断できる有能な若者のようだ。これから王国で活躍してもらいたいものだな」
ウルリッヒ卿はファルケンハウゼン侯爵に笑顔で語りかける。背筋を伸ばして話を聞いていた二人の伯爵は嬉しさを隠せない。何と言っても王国の良心であるウルリッヒ卿からの言葉は何よりも嬉しい。
「今まで世話になっている侯爵にも反対の意を伝えられるくらいだからな。これからは派閥などにこだわらず、様々な場所で学ぶべきだろうな」
公爵と侯爵は、従卒がもってきたワインを差し出し、合意の乾杯を行った。
東部戦線では密かに停戦が合意され、いつでも王城に突撃できる体勢を整えたのだった。




