第287話 レオンシュタインの脱出
「そこまでだ!!!」
部屋の中にヴェルレ公爵オットーが乗り込み、憎々しげな声で吐き捨てる。
「こんなところに進入するとは、油断も隙もない!」
「待ちなさい! この人は!!」
レオンシュタインとオットーの間にティアナは立ちはだかり、大きく手を広げる。それを見ていたオットーは大きく舌打ちをすると隠し持っていた香炉に火を付けて地面に置く。その目は赤く異様に光っていた。
「こいつ! また私たちに何かしようと!!」
オットーの魔眼をレジストしたティアナは雷の魔法を詠唱し始め、フラプティンナも氷の魔法を唱えようとする。その瞬間、異様な早さでティアナに近づいたオットーは、刀の柄でみぞおちを突いていた。ティアナが音もなく崩れ落ちていく。フラプティンナにも近づいたオットーは、すぐに気絶させて床に横たえる。ヤスミンに攻撃する間を与えなかった。
「オットー卿、無事ですか!」
兵士たちが部屋に次々と乗り込んでくる様子をヤスミンは冷静に眺め、ポケットから退魔香を取り出すとすぐに火をつける。煙が立ち上がった瞬間、オットー卿は赤い目の光を弱め、レオンシュタインを指さす。
「その男が敵の首魁レオンシュタインだ! 討ち取って名を上げよ!! 褒美は望むだけ与えるぞ!!」
「おお!」
シュラという音が部屋の中に響き渡り、兵士たちは色めき立って剣を抜いていた。顔を手で覆っていたオットーは、なぜか部屋の外に走り去ってしまう。意外に思いながらも、先頭の兵士が大声を上げながらレオンシュタインに斬りかかってくる。ギャリという音を立てて、その刃をヤスミンのナイフが受け止めた。
「マスターに何をする!」
そう言うとナイフの刃を相手の腕にめり込ませる。ガラガランという音を立てて兵士の剣が落ち、腕を押さえて呻き声を上げる。二人が同時に斬りかかってきても、ヤスミンは余裕の表情で刃を防いでいた。その二人を床に倒しながら、ヤスミンはレオンシュタインに窓の側に移動するように叫ぶ。兵士は次々と増える中、ティアナたちをどうにもできない。
「マスター! 逃げて! 私もすぐ行く!」
そう叫んだヤスミンはナイフを左手に持ち替え、ポケットから丸い玉を取り出すと、思い切り地面に叩きつける。シュオッという音を立てて玉から煙が吹き出し始め、その煙は室内全体を覆い、前が見えにくくなっていった。
「逃がすな! 追え!!」
ドアの外からのオットー卿の声を聞きながら、ヤスミンはレオンシュタインの脱出を助け、自身も窓の外に逃げる。そこには大きなワイバーンが羽を休めて二人を待っていた。
「ヒメル! 逃げるよ!」
人間の声を理解するかのようにワイバーンは鳴き声を上げる。レオンシュタインを自分の前に乗せたヤスミンは、操縦する革の腰掛けに腰を下ろす。
「飛び立って!!」
大きく羽根を広げたワイバーンは翼をはためかせると、すぐに空中に舞い上がっていた。部屋の中から追っ手が出てきたときには、レオンシュタインたちの姿は遙か上空の点となっていた。
「命冥加な奴め!!」
吐き捨てるようにオットーが叫ぶとのと同時に、兵士たちに窓を全開にするよう命じていた。兵士たちはすぐに床に落ちていた退魔香を拾うと外へ放りだす。空気の入れ換えがすむと、オットーは兵士たちを部屋から下がらせ、ティアナたち二人をベッドに眠らせる。なぜか部屋の中に一つの香炉を置き、室内に先ほどとは違った煙を充満させる。二人の薬指には、あの指輪が鈍く光っていた。
「危ないところだったが、指輪がある限り、お前たちは逃れられないぞ!」
そう話すとオットーは静かに部屋を出て行くのだった。
§
王国歴165年10月3日 早朝 ユラニア城 月の王女の部屋にて
襲撃の翌日、隣り合ったベッドに寝ていたティアナとフラプティンナは、同時に目を覚ましていた。ゆっくりと身体を起こし、気怠そうに互いを見つめていた。目は霞がかかったように弱々しい灰色になっていた。
「あ? あの人……は?」
声を上げたティアナに、傍らに立っていた宰相のマザリンが口を開く。
「ティアナさま。おはようございます。昨日はよくお眠りになっておられましたね」
マザリンは傍らの水差しを手に取り、2つのカップに水を注ぎ込む。部屋の中にトプトプという音が異様に響く。なみなみと注がれたコップをティアナに差し出しながら、
「何か夢でも見たのでしょうか、ティアナさま」
と、笑顔で質問する。
「え? 夢……」
訝しげに頭を振りながらティアナは記憶を呼び起こそうとしていた。コップを手に持ちながら、飲むのも忘れて眉をひそめている。隣のフラプティンナも声を上げる。
「……私、あの人と一緒にバイオリンを弾いたことがある気がするんです。まわりには子どもたちがいっぱいで……」
フラプティンナにも水の入ったコップを差し出したマザリン卿は、
「フラプティンナさま。それは夢です。夢の中の話なのです。現実は世界一のユラニア王が貴方を愛しておられるのです」
と優しく語りかける。そうして、二人に手元にあるレモン水を飲むようにうながした。
「その水に混ぜているレモンは遙か南方から取り寄せたもの。王の愛情がこもっております。飲むと落ち着きますぞ」
そう言われて二人はレモン水を口に含む。爽やかなレモンの香りが口いっぱいに広がり、なぜか心臓の鼓動が早くなる。
「もっと一息に飲むんだ!」
そう言われて、二人は言われるがままに全てを飲み干してしまう。二人は目の前に赤い目が光るような感じがし、傍らの机にコップを置くとベッドに倒れ込んでしまった。
「お二人とも疲れたのですよ。しばらくはゆっくりお休みください」
二人が眠りにつくのを確かめると、
「早く全てを支配したいものだ。人間にしては美しすぎる雌だからな。歓喜の声を上げさせるのが待ちきれないわ」
そう話すとマザリンは赤い目をランと光らせるのだった。




