第280話 出発前夜
王国歴165年9月19日 夜21時 ホーエンシュバンガウ城 大広間にて――
「みなさんに大切な話があります」
珍しく改まった口調になったレオンシュタインは、周囲に座っている重臣たちを一人一人、見つめていく。フリッツが窓を開けると、湿った風が埃っぽい石壁の匂いを運んでくる。もうすぐ夏が終わるのだ。小さな羽虫が蝋燭の光の中に飛び込み、ジュッと溶ける音がする。
「ヤスミンが掴んだ情報から、ティアはユラニア王城にいることが分かりました。また帝国のヴィフト卿から王城の魔族退治を依頼されています。だから私は王城に行きます」
あくまで淡々と話すところがレオンシュタインらしい。重臣たちは皆、レオンシュタインの話す内容に集中している。フォルカーが冗談めかしてメンバーを見渡す。
「花嫁を取り戻すために、この大陸で一番でかい城に乗り込む……。物語の主人公みたいッスね」
「そうですねえ。書店の店先に伝説として全10巻の小説が並ぶかもしれませんね」
みんな同意の笑顔になる。周囲にいるメンバーはみんなリラックスしたままだ。テーブルの上にビールやオレンジジュースを並べている。レオンシュタインも、いつも通りの話しぶりだ。
「一緒に行ってくれる人に声を掛けました。フリッツさん、イルマさん、シノさん、ヤスミンさん、ゼビウスさん、フォルカーさん、アリカタさんの7名です」
呼ばれた瞬間、メンバーはその場に立つ。
「もし私たちが戻らなかった場合、ノイエラントの領主はレネさんにします。宰相はバルバトラス先生、その他はみんなと話し合って決めてください」
さらっと失敗した時のことを言及され、メンバーの顔に一瞬だけ緊張が走る。
「グブズムンドル帝国とヘレンシュタイク公国には、友好の手紙を書いておきました。レーエンスベルク領のアルフレド殿には話を済ませてあります」
いつものレオンシュタインに似つかわしくない手際の良さだ。手紙はケスナーに手渡される。
イルマは立ち上がり、後ろで控えていた副長のコンラートに隊長印を放り投げる。コンラートが空中でキャッチしたのを見て、イルマは顔を引き締める。
「コンラート。これからはお前が中隊長だ。第2中隊を頼む」
ウインクしながら親指を立てるイルマを見ながら、コンラートは隊長印を握りしめる。
「あの荒くれ者をまとめるのは隊長しかできませんよ。しばらく預かっときます」
いつものように笑顔で本心を隠す副長に、イルマはデコピンで感謝の意を表す。副長は悪態をつきながら、心から無事を祈っていた。
ゼビウスも副長ハルトマンに隊長印を渡しながら、別れを告げる。
「隊長、次に会うときは下克上ですよ。私が実力で第一中隊の隊長になりますから」
「やれるもんならやってみろ」
「勝ち逃げだけは止めてくださいよ」
「馬鹿言うなよ、青二才が」
がっちりと握手を交わす。
一人で腕を組みながらザゼンをしているアリカタに、レオンシュタインは近づいていく。それに気付いたアリカタは金色の片目を光らせる。
「レオン。ノイエラントに、俺の寺、造ってもらえるんだよな」
「はい、生きて帰ったらディーヴァさんに依頼します」
「よっしゃあ! これで俺も寺持ち住職か!」
数珠を掴んだ右手を大きく空中に伸ばす。
「レオン。俺の夢はな、魔族を滅殺し、毎日、寺の縁側で猫を撫でることだ。どう思う?」
「素敵な夢ですね」
「だろう?」
レオンシュタインはその光景が目の前に浮かぶ。同時にミリアが亡くなってしまったときのことを思い出していた。
「魔族で泣く女を見るのは、もうごめんだからな」
アリカタはレオンシュタインの気持ちを察したように肩に手をやり、軽く力を入れる。
「では、作戦を説明します」
一通り挨拶が終わったところで、フリッツがみんなに着席を促し、王都までの行き方と、王城での隠れ家について説明する。
「隠れ家は2カ所です。1つ目はルドルフ卿の農園、2つ目はヴィフト卿が提供する船です。ヒメルの世話はルドルフ卿の農園にお願いしてます」
地図で隠れ家の場所を全員で確認する。
「増援としてルドルフ卿の私兵約800と、ウルリッヒ卿の兵士2000が存在します。グブズムンドル帝国からは、魔法兵団副団長アントリ殿が協力してくれるそうです」
王城内の詳しい地図はウルリッヒ公爵の使者に依頼しておいた。あとは状況に応じて対応するしかできない。それぞれが別れを惜しみながら会話を続ける。もうすぐ深夜の0時になる頃、レオンシュタインが解散を命じる。
「じゃあ、明日に備えて、みんな寝るッスよ」
フォルカーの声で最後に乾杯をする。その日はそれぞれが眠れぬ夜を過ごしたのだった。
§
「まだ、ダメか……」
ユラニア城の一室でヴェルレ公爵オットーと宰相マザリンが嘆きつつ前を見る。前には2人の美少女が無表情のまま立っていた。自我が弱まってきた二人だったが、まだ抵抗する精神力を保っている。裸にして行為に及べば目的が達成できるのだが、二人はその命令に必死に抵抗して指一本触ることができない。ユラニア王ですら髪の毛しか触れないのだ。
「よほど心に思っている男がいるのだろう。やはり結婚式しか手が無いか……」
マザリンは冷静に分析し、うんざりするような表情でオットーを振り返る。
「宣誓の力を使うしかありません。それは絶望に繋がり、諦め、全てを受け入れることになります。大々的に行うとしましょう」
「準備にどれくらいかかる?」
「最短でも2週間はかかりましょう」
オットーはすぐに準備に入る旨をマザリンに告げた。2週間後に結婚式を行うことに決定し、マザリンはその準備を配下に手配していた。オットーは気になっていた事柄を口に出していた。
「ところで、ノイエラントのことですが……」
「ティアナが手に入った今、そんな場所に全く興味はない。ただ人間同士、互いに殺し合えばいいではないか。その方が我々にとって都合がいいからな」
マザリンの顔が一瞬だけ青黒くなる。
「ニンゲンなど女以外は奴隷でいいだろう。もうすぐそんな世の中になる」
マザリンが退出するのを頭を下げながら見送るオットーだった。




