第279話 ユラニア王城にて
王国歴165年9月18日 朝10時 ユラニア城近くの空から――
王城が近づき馬車は城の門をくぐり抜けていく。王城内に侵入することを考えたヤスミンだったが、ずっと弓で狙いをつけられている。ぐるぐると王城上空を旋回するけれども、気付かれずに侵入するのは、最早不可能に近い。
(ティアごめん)
ヒメルを高く舞い上がらせ、ヤスミンは進路を南へ向ける。
(ホーエス城へ)
陽が沈む前に、ヒメルを安全な場所まで連れていきたいヤスミンだった。
§
王都シュヴァーリンの本城ユラニア城まで連れてこられたティアナは、とにかく疲れていた。魔族に掴まれて空を運ばれ、それから逃れたかと思うと敵国まで馬車で運ばれてしまった。気が休まる暇がない。けれども王城はそんなティアナに休息を与えてはくれなかった。
「ティアナさま、一旦、迎賓の館までおいでください」
執事の先導でティアナは迎賓館の謁見の間まで案内される。ユラニア城の廊下は光が多く差し込む構造のため、ホーエンシュバンガウ城より明るい雰囲気がある。少しだけほっとしながら、ティアナはこれからの展開を考える。敵国ではあるけれども魔族から助けてもらった礼はしなくてはならない。
謁見の間に到着すると、そこには見慣れた顔の女性がこちらを見つめていた。
「ロス(フラプティンナの愛称)!!」
笑顔でティアナを迎えたフラプティンナだったが、その笑顔は姫には似つかわしくない暗さと妖艶さが混じっていた。部屋の中は異様な匂いに満ち、ティアナは鼻が曲がりそうになる。
「ティアナさん、よかった」
抱きしめるフラプティンナからは以前のようなローズマリーの匂いがしなかった。それどころか、よく貴族が用いている高価な香水を付けている。いぶかしげな表情のティアナを尻目に宰相のマザリンが口を開く。
「魔族にさらわれていたのがティアナ殿だったとは。お救いできて何よりでした」
「ヴェルレ公爵の弓兵に助けられました。心からお礼を申し上げます」
礼を述べ顔を上げるとフラプティンナが老人の横に座ったではないか。そうして、その老人の胸に頭を預けると老人の手がフラプティンナの髪を愛おしそうに撫で続けていた。
「ロ、ロス?」
驚きの表情を見て取ったマザリンは、その疑問に答えていた。
「ティアナ殿はご存じなかったのですか? 姫は我がユラニア王と婚約したのです。両国はこれから共に繁栄することでしょう」
「そ、そうだったんだ」
妖艶な眼差しのままフラプティンナはティアナを見つめている。祝賀を述べつつも、ティアナは心の中で警戒を強めていた。
(噂は本当だった……。グブズムンドル帝国が饑餓の改善のために王国へ婚約を申し入れた? でも、あのロスを溺愛していたシーグルズル7世が許可なんてするかな?)
様々な考えを巡らし、じっと考え込んでしまう。
「ところでティアナ殿にも、我が王から婚約の申し出が届いていたはずですが、そちらの返事はどうなったでしょうか?」
ノイエラントに進撃しておきながら図々しい物言いだ。
「お断りしたとレオンシュタインから聞いております」
「では、この場で再度申し込むとしましょう。ティアナ殿、どうか我が主とともに繁栄の道を歩んでいただけないでしょうか?」
無表情のまま頭を下げたマザリンは、ティアナに婚約をすすめてくる。ふざけるなと言いたい気持ちをぐっとこらえ、冷静に言葉を選ぶ。
「いえ、それは私の一存では決められません。一度領土に戻って協議した上で決めたいと思います」
何度か同じ問答が繰り返されるがティアナはそれを全てはねのける。途中でフラプティンナが、ユラニア王の素晴らしさを伝えてくるのだけれども納得はできない。
「ならば仕方がありませんな。一度、戻っていただいて、それから返事をいただくとしましょう。今日は王城でお休みください。出発までフラプティンナ姫と旧交を温めるとよいでしょう」
そう言うとマザリン卿とユラニア王はゆっくりと退出していった。ティアナもフラプティンナに先導され、隣の小さな部屋に歩いていく
「ロス! あんたどうしたの?」
「何かしら?」
「あんな爺と婚約した事よ。何か弱みでも握られてんの?」
入室してすぐにフラプティンナに詰め寄るが姫は首をひねるだけだ。言いたい放題のティアナだったがフラプティンナは透明な笑いでそれをかわす。
「いえ、私からお願いしたの。ユラニア王は素晴らしい方よ。一緒にいると心が安らぐし、私をとても大切にしてくださるの。年齢なんか関係ない」
「ロス……」
熱に浮かされたように話すフラプティンナに、何度か説得を試みるも姫の態度は変わらなかった。さらわれた疲れが抜けないティアナは次第に口数が重くなる。その二人の様子を隠し窓から覗いている男がいた。マザリンである。
(先ほどからずっと精神に訴えているというのに、全て抵抗するとは……。アルプレヒト一族の血はやはり侮れん)
そのためマザリン卿は作戦を変更することにする。フラプティンナを別室に呼び寄せ、小さな小箱を手渡す。
「これを友達にプレゼントするといい」
「……はい」
生気の無い目で姫は頷き、そのままティアナの待つ部屋に戻っていった。
「ティアナ。実は貴方にプレゼントがあるの」
「ん? 何?」
「指輪なの」
そう言うと手元の小箱を開く。中には金色に輝く小さな指輪が入っていた。
「きっと似合うわ。ティアナ、左手を出して」
「左?」
差し出すティアナを見てフラプティンナは怪しい笑みを浮かべる。
「ティアナ。目を瞑って」
「えっ? 何で?」
「驚かせたいから」
そんなものかと思いながらティアナは目を瞑る。フラプティンナは指輪を持ちティアナの指にはめようとするが、抗うような素振りを見せる。
(ダメよ。ティアが……)
けれどもドアの向こうから眺めていたマザリンの目が怪しく光った瞬間、姫の目から生気が失われ、ゆっくりと指輪を近づけていく。そして、それは薬指にはめられるのだった。
「ん? 薬指?」
その瞬間、マザリンが部屋に入ってくる。
「ティアナ殿、我が主ユラニア王の妻となっていただけますか?」
「何を馬鹿な……な?」
そう言いながら、少しずつティアナの目から生気が失われていく。顔に邪悪な笑みが浮かべたユラニア王が入室し、手でこちらに来るよう手招きをする。すでにフラプティンナは、王の横に立って肩に手を添えている。
必死に指輪を取ろうとするティアナだったが、どうしても指から離れない。
「く!」
何度も何度も外そうとするティアナの目から少しずつ光が失われていく。5分も抗っていただろうか。ついに、指輪を外すのを諦めてしまった。
「さ、ティアナ殿。王の隣に」
小さく一歩進むが身体が抗ってしまう。それでも少しずつ近づいて、ついにフラプティンナと反対側に立ってしまう。
「ティアナよ。もっと俺の側に来い」
「……はい」
王とマザリンの哄笑が城内に響き渡るのだった。




