第278話 ティアナの誘拐
王国歴165年9月16日 朝9時 ホーエンシュバンガウ城門前にて――
謎の男が、つかつかとティアナの方に近づいてくるではないか。何が起こっているのか分からず呆然としているティアナの隣で、イルマがすぐに抜剣する。
「お前たち、ティアナを守れ! 敵を殲滅せよ!!」
敵が12名以上であることを視認した副長のコンラートは、敵の正体を確かめようとする。その歩き方だけで、かなりの手練れであることにコンラートは気付いていた。
「敵一人につき3名以上で戦うんだ!!」
鉄のぶつかり合う音が広場に響き渡り、次の瞬間、敵がマントを投げ捨てる。深紅の鎧を纏った兵士がそこに現れた。
「王国親衛隊……」
斬り結んでいたゼビウスが思わず口にしてしまうほど恐るべき敵だった。ユラニア王国全土から選抜された剣の達人集団、それが王国親衛隊である。
「ティアナさんを守れ! 防御陣!」
敵との間にゼビウスが入り込んでティアナを後ろに逃がす。激しい戦闘が続いているにも関わらず、王国親衛隊には誰一人として倒れた者がいない。逆にノイエラント側は5人の犠牲者を出していた。この善戦は意外だったようで親衛隊の隊長は、軽い苛立ちを含んだ声を上げる。
「この程度の兵士に何を手こずる? 作戦変更だ! レオンシュタインを抹殺せよ!」
その瞬間、王国親衛隊はレオンシュタインの方へと向きを変える。イルマはその声を聞き逃さなかった。
「イルマ隊! レオンを死守せよ!」
イルマの目が髪の毛よりも赤く燃え盛っていた。
「王国親衛隊だが何だか知らねえけど」
切り込んできた親衛隊の一人を一刀のもとに斬り捨て、剣を相手に向ける。
「主に剣を向けたこと後悔すんなよ!!!」
宣言したイルマは猛然と親衛隊に切り込んでいった。副長のコンラートはレオンシュタインを後ろに逃がしながら王国親衛隊の前進を阻む。全員の視線がレオンシュタインに集まる中、後ろで女性の悲鳴が響き渡った。
「あ、あれは何だ?」
「魔族!?」
城門付近が大騒ぎになる。獄車の中にいたはずの辺境伯が、いつの間にか外に脱出していた。辺境伯の顔が中央から破れ、一つ目の青黒い牛頭が中からはみ出している。ティアナの腰を抱えたまま、その牛頭が広場の中央に立っていた。
「ティア!」
レオンシュタインの叫び声と同時に、翼の生えた牛頭がティアナを抱えたまま空中に浮かび上がる。一声咆哮した牛頭は、ティアナを抱えたまま空へと舞い上がった。皆が見守る中、魔族はゆっくりと北に向かって羽ばたいていった。
「撤退!」
その声と同時に王国親衛隊は戦闘を止め、近くに繋いであった馬に乗り、広場から走り去っていった。シノが弓を放つも全て防がれてしまう。短時間に事が起こりすぎ、目の前の出来事が現実のこととは到底思えない。
けれども夢ではない証拠に、いつもレオンシュタインの側にいるはずのティアナがさらわれ、地面には8人の兵士と一人の王国親衛隊が血を流して横たわっているのだった。
§
飛び去る魔族に視線が集中する中、獄車の中から黒い影が飛び出し一瞬で城壁の上まで飛んでいった。被っているフードの奥から、赤い目で飛び立つ魔族を眺めている。
「早く王城へ連れてきてほしいものよ」
そうつぶやくと、自身も羽を広げて北を目指して飛び立っていった。ノイエラント側の面々は一様に放心状態のままだった。
「マスター! しっかりして!!」
ヤスミンがレオンシュタインの両頬を叩いて叫んでいた。
「ヒメルと一緒に追いかける!!」
そう言うと城の中庭に向けて走り出し、ヒメルを休ませている場所にたどり着くと、ヒメルは寝床から眠そうに首をもたげていた。
「ヒメル! ティアナを助けるよ!」
ヒメルはきょとんとした顔でヤスミンを眺めている。ポケットから林檎を1つ取り出したヤスミンは、ヒメルの嘴に押し当てる。優しく林檎をついばんだヒメルは両翼を一度大きく羽ばたかせ、ヤスミンはその背中にとび乗った。そこにフリッツとレオンシュタインが息を切らして走り込んでくる。
「ヤスミン! これ持ってけ!」
林檎を詰め込んだ大きなリュックを投げ渡される。
「無茶しないでくださいね」
「うん。でも……」
ヤスミンの両頬を手で挟んだレオンシュタインは、おでこをヤスミンのおでこにつけていた。
「いつも無理しすぎなんです。頼むから自分を大切に!」
「おけ」
ヒメルの手綱を引き、あっという間に空に駆け上っていく。遙か先に小さな点のようになった魔族を望遠鏡で確認し、一定の距離を取って後をつけていく。
(見つかったら大変。見失っても大変)
境界を過ぎてユラニア王国に入ると、魔族は高度を下げ、時折、地面に降りて休憩するようになった。森の中だと見つかりにくいと判断したようだ。それに合わせてヒメルも地上に降りて羽を休め、林檎をもらうのだった。
ユラニア王城が遠くに見えるところまで飛んでくると急に森が消え、下に王国の兵士がひしめいているのが目に飛び込んできた。歩兵と弓兵が目立ち、ヴェルレ公爵領の旗をなびかせている。空を飛んでいる何かに気がついた弓兵は、それが魔族であることを理解する。
「魔族がいるぞ! 射て! 射て!」
羽根で矢を防いでいた魔族だったが、やがてティアナが目を覚まして暴れ始めると、地面にティアナを放り投げて飛び去ってしまった。
(やった! ティア。今すぐ助けるよ!)
けれどもワイバーンを見た弓兵は、今度はヒメルに狙いを定める。
「ワイバーンも狙ってるぞ! 被害者を収容だ!」
ティアナを馬車に乗せ、そのまま王城方面に向かって走り出す。魔物に運ばれた疲労が抜けないティアナは、すぐに荷台で横になってしまって動けない。ティアナを救出しようとヤスミンは馬車に近づこうとするが、そのたびに弓矢が雨のように飛んでくる。馬車から距離を取って追跡するしかない。
馬車が2日かけてティアナを運んだ先は、何とユラニア王城なのだった。




