第275話 仮面の婚約
王国歴165年9月8日 昼12時 ユラニア城 迎賓館にて――
2時間が過ぎても戻ってこないフラプティンナ姫の身を案じていたヴィフトのもとへ、姫がようやく帰ってくる。マザリンだけではなくユラニア王までが応接の間に入ってきた。ヴィフィトが見守る中、王は中央の巨大な椅子へと腰掛け、姫はその巨大な椅子に王と一緒に座るではないか。
ヴィフトは自分の目が信じられず、ようやく声を振り絞る。
「姫さま……? いったい?」
それを聞きマザリンが暗い笑顔でヴィフトに喜びを表す。
「ヴィフト卿。フラプティンナ姫は我が王の寛容とその偉大さに心奪われ、喜んで婚約してくださると申しましたぞ」
(馬鹿な!!!)
平伏していたヴィフトは思わず立ち上がるが、喉のところまで出かかった『馬鹿な』の言葉を辛うじて飲み込む。王の横に座る姫は妖艶な笑顔でヴィフトに話しかける。ヴィフトが今まで見たことのない笑顔だった。
「ヴィフト、本当よ。私はユラニア王の妻となり、両国の親善を図ろうと思います。王は早速、50万人分の小麦の輸送を快諾してくださいました」
うっとりとした目で王を眺め、その胸にしなだれかかる。
「ヴィフト卿。そういうわけだ。皇帝陛下にはよろしく伝えてほしい」
ユラニア王はそのライトブルーの髪を優しく撫でながら、歪んだ笑みを隠さなかった。思わず殺意をもったヴィフトだったが相手に悟られてはいけない。
(もしや……薬を使ったか? とにかく情報が必要だ)
「何と素晴らしいことでしょうか。王国と帝国に結びつきが生まれ、また帝国への援助もご快諾くださるとは。このヴィフト、喜びに胸が張り裂けそうです」
悲しみで胸が張り裂けそうな気持ちを偽りの笑顔で隠す。
「それでは、婚礼には盛大な演奏をするといたしましょう。姫の師匠でもあるレオンシュタイン殿に依頼しましょう。素晴らしい演奏をしてくださるはずですよ」
レオンシュタインの名を聞いた瞬間、姫の目に一瞬光が宿る。
「し、師匠へ? そ、それは……」
混乱する姫を苦々しそうに眺め眺めながらマザリンは苦言を呈す。
「ヴィフト卿。そんなに先の話をされても姫は困るだけではないか」
「は、あまりの嬉しさに先走ってしまい、申し訳ありません」
よく見れば姫の左手の薬指に金色の指輪が光っている。それを尋ねようとしたところマザリンに阻まれてしまう。
「ヴィフト卿、今日はこのまま戻ってほしい。そして、すぐにこの喜ばしい出来事を皇帝陛下に伝えてほしい」
そう言うと姫を伴い謁見の間を出ようとした。
「お待ちください! 姫との打ち合わせもありますので、一旦、迎賓の部屋に戻りたいのですが」
「……ヴィフト卿。フラプティンナ姫は王と過ごしたいと仰せである。野暮なことは言わぬものぞ」
色をなすヴィフトにマザリンは冷たく言い放つ。こんな馬鹿げたことがまかり通っていいのかと、絶望の眼差しで3人が去って行くのを見つめるヴィフトだった。
うなだれながらヴィフトは迎賓の部屋に戻っていく。胸の中の怒りが抑えられない。
(帝国へは……帰れない。俺の命と引き替えにしてでも姫を取り戻す)
ふらふらと歩きながら、途中で首都長官のルドルフにぶつかってしまう。
「大丈夫ですか?」
ルドルフが手を差し伸べ、ヴィフトはその手を取りながら立つ。けれども悲しみにくれるヴィフトは、ろくに挨拶もせず再び歩き出すと手の中に何かあることに気付いた。目で周囲を探すも、既にルドルフは立ち去っていた。ヴィフトは何も気付かないふりをしながら自分の部屋に急ぎ、周囲を十二分に確認して個室に入る。
震える手でゆっくりと手紙を開く。
「監視に注意。宰相は魔族。2日後、船で会おう。手紙はすぐ燃やせ」
容易には信じられないことがそこには書いてあった。
(まさか……)
けれども、首都長官でありグライフ公爵ウルリッヒの長男でもあるルドルフが、そのような戯れをするだろうか? 相手は『王国の良心』の息子なのだ。
(そこに希望を見出すしかない)
個室を出て、皿の上に紙を載せて蝋燭の火をつける。燃えて全てが黒くなってしまってからも、手で粉々にし洗面所に流す。全てを水に流すと、これからの計画について考え始める。
(まずは船に戻る。監視も弱まるはず)
シーグルズル七世のもとへフラプティンナ姫を取り戻すことに、自分の能力の全てを使うことをヴィフトは誓うのだった。
§
そんなことになっているとはつゆ知らず、レオンシュタインはホーエンシュバンガウ城で戦後処理を行っていた。
王国歴165年9月6日、城の向こうに夕日が沈む頃のことである。
戦後処理の合間を縫ってアルフレドと毎日のように話し合い、その志や度量の広さに圧倒されるレオンシュタインだった。けれども、それはアルフレドも同じだった。
(この御仁は、心の奥底に大きな悲しみと幸せへの渇望を抱えている。それが周囲に寛容と優しさとなって現れる。そのため彼を助けたい、その夢を叶えたいと人々は集い、力を尽くすのだろう。王の器だ)
牢屋から出されたレーエンスベルク軍の主任参謀イグナーツも、レオンシュタインの陣営をつぶさに観察し、分析を行っていた。
(恐るべき陣容だ。武として死神ゼビウス、帝国騎士扱いのイルマ、弓のケスナー、イアイのキヨマサを備え、参謀として、今回の大軍略を考え出したグラビッツ、その補佐として砦で我が軍を敗北させたシノ、知力だけでホーエンシュバンガウ城を落城させたフォルカーを備えている。彼らは今は中隊長程度の兵しか与えられていないが、いずれはもっと多くの兵を率いる将となるだろう)
今は同盟軍として助け合う約束をしていることを、心から喜ぶイグナーツだった。




