第272話 ラグニット平原の戦い3
王国歴165年8月29日 午前7時 ラグニット平原にて――
朝靄のかかるラグニット平原は静寂に包まれ、全てが白い幕で覆われていた。昨晩、ヘレンシュタイク軍との合流を果たしたレオンシュタインも白い霧に戸惑っていた。シノの作戦では補給隊につられたジグモント隊を撃滅する予定だったのだが、肝心のジグモント隊の姿が見当たらない。斥候を放ちつつ戦場をさまようことになったレオンシュタインとアルタンツェの合同軍だった。
一方、レーエンスベルク軍でも戸惑いが広がっていた。
「まだジグモント隊は戻らんか」
辺境伯ハイルヴィヒは忌々しそうに呟くと、その横で参謀長はまだですと小さな声で答えていた。自分に怒りの矛先が向かっては堪らない。
「貧乏男爵では仕方ないか……」
けれども、その略奪に参加しているのはジグモント隊だけではなかった。しかも、いっこうに食料を運搬してこないのだ。そのため昨夜は、なけなしの食料を食べて一夜を過ごしたレーエンスベルク軍だった。今朝は朝餉をかしぐ煙も上がっていない。
そのような悪条件の中でも、レーエンスベルク軍はすでに陣立てが終わっていた。右翼はハイルヴィヒ率いる1200の重装歩兵隊、左翼はミクローシュ率いる歩兵隊800が整列していた。
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その頃、後陣のジグモント隊1000は、本陣から離れたアルテナ砦方面で野営をしていた。奪った食料を自分たちだけで食べてしまったため、本陣へ輸送することはできなかった。そのため十分な食料を得られていないレーエンスベルク軍の本陣では、疲れないように目を瞑って空腹を堪えていた。
そこにへ、突如ノイエラント軍が突入する。
「一番乗りはこのゼビウスだ。死神の戦いぶりを覚えておけ!」
「敵襲!!」
敵襲の声より早くゼビウス隊1000が躍りかかり、奇襲が成功する。辺境伯ハイルヴィヒ隊の兵士たちは何が起こったのか分からない表情のまま、次々と斬られていった。
「何をしておる。反撃だ!」
辺境伯ハイルヴィッヒの罵声が戦場に響く。このように5日目はノイエラント軍の奇襲から始まった。右翼のキヨマサ隊もミクローシュ男爵率いる800の歩兵に殴り込んでいた。
「またキヨマサか。ゴート族ながら自分と互角に斬り合える豪の者。今日こそ雌雄を決してくれる」
白兵戦により剣の響きが戦場に響き渡る。依然として白い霧のカーテンは戦場を覆っていたが、そのカーテンはやがて血で赤く染められることになる。無口な武人のキヨマサは、シキシマでも比類ないほどのイアイの達人だった。
「サムライブレードの切れ味を見よ!」
先陣のサムライたちは抜刀し血煙を上げつつあった。
一方、左翼でも激戦が始まっていた。
「とにかく前進だ! ゼビウス隊を倒せ!」
辺境伯軍は猛然と突撃を開始する。しばらく斬り合いが続くが、やがてゼビウス隊が突き破られる。
「そうだ! 前進だ!」
辺境伯の隊が前進を続けるが、あまり敵がいないことに気付くのは100mほど前進してからのことだった。その時、平原の白い霧が風でちぎれ始める。前方に敵はおらず、辺境伯軍は左右をゼビウス隊に挟まれていることに気付いた。しかも後方からは馬蹄が響いてくる。
「ようやく敵が見えたね」
戦場に到着できたことを喜ぶレオンシュタインだが何だか様子がおかしい。
「あの旗は……辺境伯本陣?」
白地に赤い双頭の蛇の三角旗は、まごう事なき辺境伯本隊の印であった。しかも、その左右にゼビウス隊が展開しているではないか。
「レオンさま、間髪を入れずに攻撃です!」
「あ、あれ? ジグモンド隊は?」
「それは放っておきましょう! そこに敵の本隊がいるんですから!」
シノはすぐに部隊に命令する。
「連合騎馬隊、敵の首魁である辺境伯ハイルヴィヒを攻撃せよ!」
「おう!」
図らずも騎馬隊はハイルヴィヒ隊の後ろから奇襲することになったため、ゼビウス隊はその攻撃に連動することにする。
「三方向から攻撃だ! この期を逃すな!」
辺境伯軍は、みるみるうちにその数を減らしていった。特に重装歩兵の重い武装が体力を奪い去っていき、動きが鈍い。
「スティボル男爵、討ち死!」
初めて高級将校に犠牲者が出る中、次々と減っていく兵を信じられない思いで眺めている辺境伯ハイルヴィヒだった。
一方、ミクローシュ男爵の軍はキヨマサの軍と互角に渡り合っていた。さすがに猛将と名高いミクローシュは兵の扱いに慣れており、キヨマサはどうしても陣を突破できずにいた。
そこに、突如、馬蹄が響く。
バラバラの鎧を纏った兵はみすぼらしく正規兵であるとは思えなかった。ただ、動きは統率がとれているため、ミクローシュは敵味方の判断に迷う。辺境伯長男アルフレドの隊だと気付くまでには、しばらく時間がかかった。先頭にいるのは剣を抜いたマルティンで、目を怒らせながら突撃してくる。その後ろに続くのはアルフレドと参謀のイグナーツ、そしてヨシアスだった。
イグナーツの指揮のもと農民兵たちの士気も上がる。
「後背から攻撃だ! 俺たちの領土から敵を叩き出せ!」
「おう!」
大きな声を上げた農民兵には、今まで虐げられてきた恨みが積もりに積もっている。その思いを全て剣に乗せて振るっていく。ミクローシュ隊も後背からの攻撃を受けては戦線を維持できない。歩兵のために鎧が薄く、騎馬隊の攻撃を防げないのだ。
「アルフレドさま……」
ミクローシュの声が苦い。もともとミクローシュ男爵はアルフレドとの縁が深く、昔、剣の指南役として近侍として仕えていたこともある。その頃のアルフレドの聡明な姿が瞼に浮かぶ。
「今更、言っても詮無いこと。武人としての責を全うする」
血刃を振るってミクローシュは事態を打開しようと試みるのだが、無傷のアルフレド隊と交戦するには部隊の力が足りなかった。周りにいた護衛もみるみるうちに倒れていき、ミクローシュだけになる。
「ミクローシュ男爵、剣を捨てて投降せよ」
懐かしい声が響き、アルフレドが目の前に立っていた。ミクローシュは剣を構え直し、アルフレドに最後の攻撃を加えようとする。
「ミクローシュ。昔、卿には剣は民のために振るえと教えてもらった。卿は今、民のために振るっているか?」
剣を防ぎながらアルフレドは臆せずにミクローシュに話しかける。
「……アルフレドさま。もう遅いのです」
「遅くない! 道を踏み外したなら戻って正しい道を歩むべきだ。民のためと教えてくれた卿ならば」
手を差し伸べたアルフレドの姿を見たミクローシュは地面にガクリと膝をついていた。
「……投降します」
結果、ミクローシュ隊は壊滅することになった。
「ミクローシュ男爵、敵に投降の模様」
「馬鹿な、血迷ったか」
凶報が次々と舞い込む中、ついにゼビウスの剣が辺境伯ハイルヴィヒに届く距離まで近づく。最早守る兵もなく、ついにハイルヴィヒは白旗を上げる。レーエンスベルク領の領主が変わった瞬間だった。




