第271話 ラグニット平原の戦い2
王国歴165年8月28日 午後2時 ラグニット平原にて――
「あのレオンさまが、敵将ゲオルフを押しつぶしたぞ!」
「伊達に太ってはいませんなあ。ボディプレスっていうのがらしいな」
「戦闘力0のご当主さまにここまでされては、護衛の俺たちの立つ瀬がない。気合い入れろよ、お前ら!」
「おう!」
微妙に失礼な噂が平原に広がっていく。ノイエラント軍には笑いが広がるのと同時に士気が大幅に高まっていた。やがて、その昂揚はレオンシュタイン全軍に広がっていった。
「レオンさま、万歳!」
「ノイエラントに栄光あれ!!!」
雄叫びが収まるのを見計らいシノは次の命令を隊に出す。
「辺境伯軍と無理に戦わず、かわして時間を稼ぎなさい!」
辺境伯次男ゲオフルを取り返そうと決死の勢いで迫ってくる兵士を、シノは遠巻きに矢を射かけながら、まともにぶつからないようにと指示を出す。恐れによって必死になる兵士は要注意だ。シノの奮戦と指揮にも関わらず、レオンシュタイン隊への被害が少しずつ広がり始めていた。
「報告します。左翼ゼビウス隊は敵本隊との交戦によって後退しつつあり。ケスナー隊は敵スティボル騎兵隊の攻撃を受け、多くの犠牲が出ております」
「右翼キヨマサ隊も敵ミクローシュ隊に押し込まれております」
次々と悪い戦況が届けられ、主任参謀長グラビッツの口は横一文字に結ばれたままだ。しかも、自分も部隊を動かさなければならない。レオンシュタインがゲオルフを捕らえるという僥倖はあったが、戦況は時間がたつに連れてどんどん悪くなっていった。
そんな中、ゲオルフ隊だけは動きに精彩を欠き始めていた。レオンシュタインの騎兵隊をどうしても打ち破れない参謀ゼルゲルトは冷静な判断力を失っていた。一時の決死の勢いはすぐに失われ、ゲオルフが拘束されたという状況に兵士が浮き足立っていた。
(兵士を落ち着かせるために後退するか)
ゲオルフ隊が後退した瞬間をグラビッツは見逃さなかった。
「将のいない隊を攻撃する! 後退する部隊の左翼に突撃せよ!!」
ゲオルフ軍が後退したことで敵右翼のスティボル騎馬隊の側面ががら空きになり、シノはレオンシュタイン隊に側面攻撃を命令する。挟撃された敵騎馬隊は徐々に数を減らしていった。さらに後退していくゲオルフ隊を確認したグラビッツ隊は、キヨマサ隊の後退を防ぐべく敵左翼と交戦に入った。戦線は膠着しノイエラント軍は後退を止め、必死に戦っていた。
その戦いに、突然乱入した軍が存在した。
「後背にヘレンシュタイク軍が接近中」
辺境伯軍の後衛ジグモントは、その接近を冷静に眺めていた。ヘレンシュタイクの騎馬隊は1000、ジグモントの隊は200。防ぎきれるものではない。
「なめるなよ、女狐が! 後背には既に細工を施してある! 200人と思って侮るなよ!!」
ジグムントは部隊を落ち着かせるように、大声を出す。同時に横に控える伝令に本陣に連絡するよう命令する。ジグモント隊から本隊へ伝令が飛び、連絡を受けた本隊の辺境伯ハイルヴィヒは、すぐに出陣の命を下す。
「女狐狩りだ! 後ろ備えの部隊600はすぐに出撃せよ」
前面でゼビウス隊との交戦をしながら、部隊の半分を後背に回すだけの余裕があるハイルヴィヒの部隊はさすがに強い。さらに本隊近くまで後退していたゲオルフ隊に新たな命令を下す。
「ゲオルフ隊はゼビウス隊の横腹を攻撃せよ。ゲオルフを取り戻すのは後だ」
ゼビウス隊は前面と右翼からの攻撃を受け、さらに後退している最中だった。
「部隊を再編しゲオルフ隊を本隊へ編入する。急げ!」
慣れた作業のように再編成を命じる辺境伯ハイルビッヒの横で、ゲオルフ隊参謀ゼルゲルトは恐怖で震えていた。ハイルヴィッヒはゲオルフには甘いが、配下の武将には苛烈極まりない命令を下すことで有名だ。
「命をかけてゲオルフを奪われた責任をとってもらう。すぐに兵200を率いて女狐狩りに参加せよ。女狐の首を持ってくれば、その罪を許すことにする」
「命に代えましても」
200の兵を率いたゼルゲルトは後背を守るジグモント隊に向かっていった。アルタンツェ率いるヘレンシュタイク軍は、その再編をもどかしい思いで眺めていた。ジグモント隊が馬の突撃を封じる丸太を戦場に散らばせており、容易に接近できないのだ。
結局、ジグモント隊は合流して1000名となり、丸太を設置していないエリアからヘレンシュタイク軍に襲いかかった。
「応戦せよ!」
アルタンツェの命で矢が放たれるが、ジグモント隊は盾でそれを防ぎつつ、槍で馬を突き刺す戦法を繰り出した。その結果、アルタンツェの軍は前後を分断され、前の軍団はノイエラント軍の方面へ、後ろの軍団はアルテナ砦の方へ逃げ帰っていった。その際、後方にいたアルタンツェの軍の補給部隊は攻撃にさらされてしまった。
「おい! 食べ物がこんなに!!」
食べ物の他にも鎧や高価な貴金属を狙って、略奪が始まりつつあった。ジグムントは略奪を抑えようと
するが、どうしても止めさせることができない。弱ったジグムントは本隊に連絡する。
「ヘレンシュタイク軍を撃破し、現在、補給部隊から糧食を手に入れております。その量は膨大です」
その噂は全軍にすぐに伝播した。同時に『稼げる』という噂もこっそりと伝わっていった。宝石で有名なヘレンシュタイク公国の武具や剣には、高価な宝飾が散りばめられていることが多いのだ。そのため、本隊からも1人、また1人と後方へ移動する兵が現れる。
ついに太陽が沈んだため、両軍は戦闘を終了して互いの陣に引き返していった。ノイエラント軍はすぐに軍議を開き、死傷した軍の再編成が話し合われる。
「ゼビウス隊とケスナー隊は合流し、左翼はゼビウス隊1000名とする。右翼はキヨマサ隊とグラビッツ隊が合流し、キヨマサ隊900として再編する。私は本陣に移動し、そこで全体の指揮を執る」
「主席参謀。実はレオンシュタインさまの軍が帰っていないのだ……」
「何?」
本陣が蜂の巣をつついたような話になる。
と、そこにシノのサイサクであるカエデがひょっこりと帰って来た。
「あの……シノさまから伝言です。レオンさまの軍はヘレンシュタイクの騎馬隊と合流し、北方で待機中とのことです」
その瞬間、本陣にどっと安堵のため息が漏れる。
「よくぞ報告してくれた! シノ殿には思うように動くよう伝えてくれるか」
「分かりました」
すぐにカエデは夜の闇に紛れ込んでいった。
兵の半数が後方に移送されている状態だが、治療をしている数が多く死者の率はそれほど多くない。
「明日が決戦の日になる。作戦はほとんどない。もう前に突き進むのみだ」
本陣のテーブルでグラビッツは小さな酒の瓶をぐっとあおる。戦闘が始まってから、大陸最強の軍を相手に戦線を崩壊させなかった手腕は驚嘆に値する。それどころか次期当主候補まで生け捕りにしている。
「うちの当主殿は今頃何をしてるんだろうな」
横に座っていたゼビウスが肉を頬張りながらグラビッツに尋ねる。
「当主殿はヘレンシュタイクの美女と逢い引きだ。隣にシノ殿を伴ってな」
グラビッツは酒臭い息を吐き、ゼビウスは肩をすくめて、そりゃ羨ましいと嘆息する。兵士全員に補給が滞らず、みんなが腹一杯食べられるのは、後方で食料を手配するルカスやローレたちの働きによるものだ。グラビッツは補給の任にあたっている人たちに心から感謝するのだった。
「ルカスの奴、畑の土が悪くなるって嘆いてるだろうな」
ランプの下で弓の手入れをしながらケスナーは友人に思いを馳せる。リンベルクの酒場で一緒に不遇を託ち合っていた二人が、一人は軍の中隊長となり、もう一人は全領土の食料を統括する大臣となっている。全ては、あの小太りの男との出会いから始まったのだ。
酒をテーブルに置いたグラビッツは珍しく真面目な顔になる。
「なあ、こんなこと言うのはガラじゃねえんだが……。我が当主さまはこの大陸で一番の男だ。あいつが望む甘っちょろい「みんなが幸せになる」は、無理じゃねえってことを証明したい。みんな! 明日は全力で敵を撃破してくれ」
「主席参謀、顔が怖いよ。いつも通り『楽して勝とうぜ』でいいんじゃね?」
ケスナーがグラビッツと肩を組み、酒を高く掲げる。
「俺たちのノイエラントに乾杯!」
「素晴らしい、当主さまに!」
「おう!」
「乾杯!!!」
全ての杯が頭上に掲げられるのだった。




