第270話 ラグニット平原の戦い1
王国歴165年8月28日 午前11時 ラグニット平原 レーエンスベルク辺境伯軍の本陣にて――
「今日こそ、ノイエラント軍を壊滅させるぞ!!」
「おう!」
「さすが戦上手のゲオルフさまです。あと一歩です!!」
「ノイエラント軍など平地では我がレーエンスベルク辺境伯軍の相手にはならぬ。撤退してばかりだからな」
圧倒的に有利な状況に辺境伯次男ゲオルフは意気込んでいた。出陣前の会議に集まった部隊長たちの顔は一様に明るい。すでにレーエンスベルク領の境界付近までゲオルフの軍は進出し、ノイエラント軍は撤退に撤退を重ねている。
しかし副長は浮かない顔のまま、作戦地図を眺めていた。昨日の徴発の様子が頭から離れない。
「お待ちください。それまで持っていかれたら、子どもが食べる分がなくなってしまいます」
「うるさい! 戦に負けたら、お前たちもそれどころではないぞ!」
「し、しかし、全て持っていかれては……」
「軍への供出を拒むとは……さては、貴様ノイエラント軍のスパイだな!!」
「そ、そんな!!」
スパイと呼ばれた男の腕が切り落とされ、悲鳴が響く中を徴発部隊は食料を強制的に奪い取っていた。それは一箇所だけのことではなく、村のあちこちで悲鳴や怒号が飛び交い、副長はその様子を悲しみの表情で眺めていた。徴発は辺境伯がシュパレン城に到着してからずっと続いており、副長はその悲鳴が耳から離れない。
作戦会議の終わりに、辺境伯ハイルヴィッヒが部隊長たちの前で戦勝祈願の祈りを捧げることになっている。その手には銀の十字架が握られ、副長の目にはやけに光って見える。
「レーエンスベルク辺境伯軍に神の祝福がありますように」
「アーメン」
厳かに儀式が終了し、部隊長たちは戦の準備のために本陣を離れていった。副長も本陣の天幕から出て空を見上げると、山々に灰色の雲が垂れ込み、じめっとした空気が肌に粘つくようだ。
(自分たちの領民を苦しめている我が軍に、神は祝福を与えてくださるだろうか……)
やりきれない表情のまま、副長は出陣の準備に取り掛かるのだった。
§
「進撃せよ!」
ゲオルフの声と共にゲオルフの歩兵部隊1200が前進する。陣形は変わらず、中央前列がゲオルフ、左翼はミクローシュ、右翼はスティボルが担っていた。後衛部隊は攻撃部隊へ一部を編入したため、800から200に減っていた。これまでの戦いで中央本陣の辺境伯ハイルヴィヒの部隊も1500から1200へ兵士を減らしていた。
U ジグモント隊 後衛
○ 辺境伯ハイルヴィッヒ隊 中衛
右翼スティボル隊 ■■ ■■ ■■ 左翼ミクローシュ隊 前衛
ゲオルフ隊
ノイエラント軍は、V字陣形の左翼にゼビウス隊800、ケスナー隊800が展開し、右翼はキヨマサ隊600、グラビッツ隊600が展開している。V字の一番奥にレオンシュタインの本陣400が控えていた。
「敵中央、前進しつつあり!」
「全軍、陣形を保ちつつ左翼に移動せよ!」
左翼ゼビウス隊 ■■ ■■ 右翼キヨマサ隊 前衛
ケスナー隊 ■■ ■■ グラビッツ隊 中衛
○○ レオンシュタイン隊 後衛
参謀長グラビッツから全部隊に伝令が出される。V字型でゲオルフ隊を挟み込むように陣形が移動する。ゲオルフはその動きを鼻で笑う。
「何を小賢しい! ミクローシュに伝令。敵右翼を攻撃せよ!」
接近してくるミクローシュ隊の攻撃をかわしつつ、右翼キヨマサ隊はゆっくりと後退していく。後退するキヨマサ隊を攻撃するために、ゲオルフ隊もキヨマサ隊に接近しつつあった。近寄ってきた2部隊に向けて、グラビッツ隊の兵士は弓を構える。
「引きつけろよ、あと少し、少し……。よし、斉射!!」
ビュオウビュオウと次々と矢が放たれ、剣を抜いて迫っていたミクローシュ隊の兵がばたばたと倒れていく。また、接近するゲオルフ隊の右側面へゼビウス隊が突撃を始める。中列のケスナー隊も狙いをゲオルフ隊に定め、接近しつつ弓を構える。
「ゲオルフ軍の左部隊を狙え! 撃ち方、始め!!」
ケスナー隊は白兵戦は苦手としているが、隊長のケスナー同様、弓の扱いに慣れている。弓が次々に当たり始め、ゲオルフ隊は徐々に兵士が倒れていった。本陣で様子を見ていた辺境伯ハイルヴィヒは、被害が大きいことを憂慮し全軍に部隊に後退を命じる。スティボル騎馬隊がゼビウス隊に突撃している間に、ゲオルフ隊、ミクローシュ隊が後退していった。
「ゲオフル隊を後退させたぞ! 勝ち鬨だ!! 万歳!!」
「万歳!!」
「ノイエラントに栄光あれ(エーア・ザイ・ノイエラント)!!!」
ノイエラント軍の士気が上がり、平原にその勝ち鬨がこだまする。今まで後退ばかりだったのだから無理もない。一方、レーエンスベルク軍の本陣では、ゲオルフが自分を撤退させた理由を辺境伯ハイルヴィヒに問い詰めていた。
「父上! なぜ後退の命令を出したのです?」
「部隊を再編しようと思っただけだ、ゲオルフ。風向きが悪かったからな」
確かに南から北への風が吹いており、レーエンスベルク辺境伯軍に不利ではあった。ゲオフルをなだめる辺境伯だったが、実際は形勢の悪さを感じていたからに他ならない。ただ、ハイルヴィヒはこのところずっと顔色が悪く、会話がめっきり減っていた。辺境伯の体調の悪さもあり、その日は軍議を行わず、部隊長に休むように話すゲオルフだった。
その夜、ノイエラント軍に朗報が舞い込んできた。小雨が降り出す中、一人の伝令がノイエラント軍の本陣で膝を突いている。
「ヘレンシュタイク第一部騎馬隊1000は、レーエンスベルク辺境伯軍の北5kmの地点に到達しました」
伝令に仮眠を取るよう話したグラビッツは、レオンシュタインたちに戦闘の流れが変わるかもしれないと興奮していた。
「敵軍をヘレンシュタイク軍と挟撃できれば我が軍が勝つ! それまで陣を崩壊させないことに全力を尽くす作戦です」
強兵のレーエンスベルク辺境伯軍はノイエラント軍により多くの損害を与えていた。そのためノイエラント軍は予備兵力も全て投入している。楽観はできないが、少しだけ明るさが見えてきたことを部隊長たちは感じていた。
「みなさん。ついに決戦になりそうです。ノイエラントに平和をもたらすために、力を貸してください」
「おう!!」
「任せてください!」
ノイエラント軍の士気は少しずつ上がっていくのだった。
翌朝、レオンシュタインが目を覚ますと本陣の屋根に雨が降り続いている。ラグニット平原を見渡すと、やや靄がかかり視界が悪い。ノイエラント軍が陣立てを済ませている中、敵軍から大きな掛け声が響いてくる。
「敵の士気は高いようですね」
横にいるシノは温かいお茶を差し出し、レオンシュタインに飲むようすすめる。そして自分は戦支度をし始める。
「大丈夫です。シノがレオンさまを守ります」
「……心強いです」
長い髪を後ろで結び、大きな和弓を持つシノは、まるで戦の女神のように見えるのだった。
「前方に敵影! レーエンスベルク辺境伯軍と思われます!!」
雨が降り続く中、両軍の戦端が開かれた。昨日と同じようにゲオルフ隊が前進を続けている。グラビッツはV字陣形で包囲するべく、前列の2部隊で挟み込もうと命令を出すが、ゲオルフ隊はさらに速度を上げて突っ込んでくる。
「同じ手を食うかよ!!」
「全軍、ノイエラントの本陣に突っ込め!!」
「おおおおお!!」
視界が悪く、足元がぬかるむため、グラビッツの思うような連携ができない。
「まずい!」
さらに悪いことに中列のケスナー隊とグラビッツ隊は、それぞれ側面から攻撃を受けて中央を開けてしまった。スティボル隊やミクローシュ隊も大きく迂回していることに、ノイエラント側は気付かなかった。そのため、レオンシュタインの本陣まで空白ができる。
「敵の首魁レオンシュタインを討ち取れば報酬は望みのままぞ! 命を捨てよ!」
雄叫びを上げながら突撃してくるゲオルフの歩兵部隊にノイエラント騎兵部隊が攻撃を始める。けれども、騎馬隊はその機動性を奪われ、思うように歩兵を駆逐できない。レオンシュタインの周りにいた護衛兵がみるみるうちに少なくなっていく。
そこに黄金の鎧を身につけたゲオルフが飛びだしてきた。
「レオンシュタイン! お前の命もここまでだ!!」
剣を抜いたゲオルフはレオンシュタインを守る護衛を一刀のもとに斬り捨てる。
「レオンさまを守りなさい! 近衛兵!!」
シノが命令を叫ぶが、すでに近衛兵は周囲で戦闘を始めている。レオンシュタインも剣を抜くが、似合っていないこと甚だしい。
「覚悟!」
突撃してくるゲオルフに向かってシノが弓を引き絞る。矢がうなりを上げながら、ゲオルフの革鎧を貫き、右腿に突き刺さる。前進が止まったゲオルフに、シノはさらにもう一射を放つ。狙いは違わず、ゲオルフの左腿を射抜いていた。
「ぬおおおお!」
足が止まったゲオルフの兜に闇雲に振り回したレオンシュタインの剣が偶然当たり、大きな音を立てる。甲冑が吹き飛び、ゲオルフの顔が露わになる。さらにシノが第三射を放つとゲオフルの右肩に当たり、バランスを崩してゆっくりと前に倒れていく。同時にレオンシュタインもバランスを崩し、倒れたゲオルフの上に全体重でのし掛かってしまう。
「ぐえっ」
圧迫されたゲオルフは息が出来ない上に、泥にぬかるんで身体を動かすことができない。その瞬間、シノが可愛らしくも大きな声で周囲に宣言する。
「ノイエラント当主レオンシュタイン! 辺境伯爵次男ゲオルフを生け捕ったり!!」




