第269話 動員
場所は変わって、
王国歴165年8月29日 午前9時 ユラニア王国 閲兵広場にて――
「オットー卿、この兵はいったいどういうことか?」
グライフ公爵ウルリッヒは、ひしめく兵に声を荒げる。閲兵広場には多くの地域から集められた兵士が並んでいた。広場外の平原にも、動員された兵が遠くまで広がっている。
「ウルリッヒ卿、何を驚く?」
「これが驚かずにいられるか。この兵は何のための兵か?」
「勿論、ノイエラント軍を討伐するためだ。同盟国のレーエンスベルク辺境伯領が侵略されていると聞いては兵を出さねばならない。当たり前ではないか」
「それはいつ決まったことなのだ!? 法務官の私が知らないのは不自然ではないか」
ヴェルレ公爵オットーは薄笑いを浮かべたままだ。戦争の大義については閣議決定することによって法務官はその正当性を他国に主張できる。ところが閣議は開かれておらず、命令の出所が曖昧になっている。さらに詰問しようとするウルリッヒの後ろから冷徹な声が響く。
「王がお決めになり私も賛同したのだ。緊急ゆえ、やむを得ない判断だった」
宰相のマザリンが現れ、ウルリッヒを牽制する。
「王が……」
何と言って良いのか分からないくらいウルリッヒは混乱していた。これでは国としての態をなさない。王といえども法を遵守すべきではないか。
「では宰相。なぜノイエラントを攻めるのか理由を明らかにしてほしい」
冷徹な声をさらに冷えさせた宰相はウルリッヒに答える。
「王がアルプレヒト公の娘を欲するからだよ、ウルリッヒ卿」
それだけ話すと、宰相も自分の陣に戻っていった。
(馬鹿な……。どうしてしまったのだ宰相)
遺恨があるにせよ、ただ一人の娘を求めて10000を超える兵を動員するなど正気の沙汰とは思えない。古の暴君を目の前で見るかのようだ。ウルリッヒはすぐに、首都長官でもある息子のルドルフを呼び寄せた。
「ルドルフ。お前、何か掴んでいないか?」
いつも快活なルドルフが珍しく沈み込んでいる。城の一室にウルリッヒを誘い、ほとんど聞き取れない声で父に告げる。
「父上、魔法兵団副団長が自死し一族が滅ぼされた件ですが……。関係者の遺体はオットー卿の領地ヴェルレ領に運ばれた後は……行方不明になっております」
「何? その大量の遺体はどうなったのだ?」
「分かりません。ただ西側に向かったとの報告があります」
西側には険しい山がそびえ、魔族が生息しているとの噂のあるゲドロカンタウ山脈が連なっている。
「あ、あと父上……。私はおかしくなってしまったのでしょうか? マザリン卿は……」
「マザリン卿がどうした?」
「彼は……魔族です。その証拠を私は掴んでいます」
§
その少し前、王国歴165年8月21日 午前10時 グブズムンドル帝国 大会議場にて――
「もう一度、報告してくれ。農務大臣……」
力なくシーグルズル七世が報告を求める。
「今年も我が国は凶作です。一部の地域では、すでに飢餓が発生しております」
「飢餓……」
シーグルズル七世は力なくうなだれ、周囲の王族、大臣たちも一様に顔を曇らせる。ノイエラントの好意で昨年度の飢餓は辛うじて防ぐことができたというのに……。外務大臣となったヴィフトは、食料提供を匂わせるユラニア王国からの要請を、ためらいながら皇帝に報告する。
「現在、ユラニア王国より親善のため、フラプティンナ姫に訪問の要請がございます」
「そんなもの断れ!」
すると横に控えていた長男ヨウハンが立ち上がり発言する。
「父上。我が国は昨年に続き今年も凶作となれば、民に多数の犠牲者がでるものと思われます。王国との友好は必要です」
「何だと?」
「陛下……。私も同じ意見にございます」
宰相も重い口を開く。
「フラプティンナ姫を食料と引き替えにするということではございません。あくまで友好でございます。今年の凶作は……未曾有の飢餓をもたらすとの予測です。少しでも食糧確保に動くべきでございます」
「ヴィフト卿。ノイエラントのレオンシュタイン殿に連絡はとれんのか?」
「……ノイエラントは現在、レーエンスベルク辺境伯軍と交戦中です。レオンシュタイン殿も遠征中とのことです」
シーグルズル七世の問いかけに、ヴィフトは苦い口調で答える。レオンシュタイン殿であれば、必ずや帝国のために便宜を図ってくれると思っていたヴィフトだったからだ。
それを聞いたヨウハンは苛立ちを隠さない。
「父上、帝国の未来をあのような小国に託すべきではありません。王国との繋がりこそが、この危機を打開できるのです」
会議の大勢は姫を派遣することに傾き、話し合いを聞いていたフラプティンナが発言を求める。
「父上、私を王国へ派遣してください。国のため、民のために、友好を結ぶのであれば私も本望です」
「ロス(フラプティンナの愛称)……」
時折、笑顔になりながらフラプティンナは必死に訴える。シーグルズル七世はしばらく苦悩した後、一つの決断を下す。
「ヴィフト卿、親善の使いとしてフラプティンナをユラニア王国に派遣する」
「命に替えても姫をお守りします」
その意を受けたヴィフト卿は深く頭を下げる。会議場に姫を案じる雰囲気が広がる中、一部は姫に向かって冷ややかな視線が向けていた。長男ヨウハンは小さな笑みを手で隠していたし、その横では長女エメリアが喜びを抑えた不自然な表情で立っていたのだ。ヴィフトはその表情を見逃さなかった。
(あの二人、王国から何らかの働きかけがあったのか?)
以前から王国との接触が多く、最近では頻繁に訪問を受けていた二人だ。
(用心しなくてはならない。ただ、まずはフラプティンナ姫をお守りせねば)
すぐに友好の船が準備され、使節団は王都の港へと向かうのだった。




