第267話 嵐の前
王国歴165年8月23日 朝9時 ファルケン城 謁見の間にて――
その日の会議には新たに一人の男が参加していた。エバーハルトだ。
昨日もアルフレドは牢屋の前で熱弁を振るっていた。
「私はレーエンスベルク領を豊かな領土にしたい。みんなが幸せに暮らしていける領土だ。貴族だけが豊かになるんじゃない! そのためには卿の力が絶対に必要なんだ」
自分のことより民のことを考えるアルフレドの熱意に、ついにエバーハルトも協力することを約束したのだった。アルフレドが、しつこかったというのも確かだけれども。40歳という若さでファルケン城の参謀となっていることから、その軍事的な有能さはよく知られていた。
グレイの短髪をきちんとそろえた優しげな相貌は、軍の関係者と言うより商会の番頭さんのように見える。まずアルフレドが口を開く。
「エバーハルト卿に一つお願いしたいことがあります。それは、北部地域の支配権の確立です。貴方とその手の者で各区長に会ってほしいのです」
「それはかまいませんが、何を伝えるのですか?」
「2つあります。1つ目はこれから統治するのはアルフレドであると知らしめること、2つ目は税率を半分にすることです」
エバーハルトを見つめながらアルフレドは言葉に力を込める。エバーハルトは思わず息をのんでいた。今は戦争中であり、軍資金はいくらあっても足りないくらいだろう。控えめに懸念を述べる。
「心配はありがたいですが領民の生活を改善させることが第一です。領民を大切にしない領主がどうなるのか、よい実例を見ることができたではありませんか」
現レーエンスベルク辺境伯体制をアルフレドは痛烈に批判する。エバーハルトは改めてアルフレドの志の巨大さに心を打たれていた。その会話の様子を眺めていたヨシアスは、半笑いになりながら横から混ぜっ返す。
「でも、いいのか? こういっては何だがエバーハルト卿が裏切ったら?」
「領民のために働けないのであれば、すぐに立ち去ってもらってかまわない。私は何も気にしない。それぞれの信念に従って行動すればいいのだ」
ぶれないヨシアスの力強さにエバーハルトも思わず笑ってしまった。
「アルフレドさま。このエバーハルト、領民のために全力で働く所存です。すぐに北部地域の領民を安堵させて参ります」
「期待している」
アルフレドの笑顔を背にエバーハルトはすぐに配下を呼び寄せ、手順を確認する。そして馬を手配してもらうと、すぐに出発するのだった。
「いい奴じゃねえか」
「ま、お前ほどじゃないよ」
ヨシアスの笑顔にアルフレドも軽口を返す。軍事訓練はマルティンに任せ、支配権の確立と兵士の募集を呼びかける独立軍だった。
§
一方、ノイエラント軍はシュパレン城の南側に陣取り、訓練に明け暮れていた。明日遅く辺境伯軍がシュパレン城に入るとの報告を受け、次席参謀長シノは遠くを眺め、胸に手を当てる。
(モミジ、カエデ。頼んだわよ)
夜も更けた頃、シュパレン城の城壁に2つの影が取り付いていた。シノのサイサク(諜報活動や工作活動をする忍び)として、モミジとカエデが壁をよじ登っている。10mほどの煉瓦の壁を登るなど、二人にとっては造作も無いことだった。屋上に立つと赤々と燃える松明を避け、目的の貯蔵倉庫を目指して2つの影が走っていった。
2日前にも一度忍び込んでいる2人は、迷いもなく倉庫に近づいていく。城内は明日の受け入れに控えて、喧噪に包まれていた。辺境伯のハイルヴィヒを迎えるにあたって、落ち度は絶対に許されない。掃除や料理の準備は欠かせない。
そのため、ちょくちょく倉庫の入口から見張りがいなくなる。カエデとモミジはその隙を見て中に入り、燃えやすい亜麻の袋などを見つけては、腰の入れ物から油を垂らしていく。夜の12時を過ぎ人の気配が無くなった頃2人は油に火を付け、あっという間に燃え広がるのを確認し、すぐに倉庫から出て屋上へと走り去った。
「大変だ! 食料倉庫で火事だぞ! 水をもってこい!!」
「……ダメだ! 全体に広がってる」
城内の混乱を眺めた2人はゆっくりと城壁を降りていった。
翌朝、シュパレン城の動きが慌ただしくなり、早朝から四方八方に馬や馬車が走っていく。ノイエラントの斥候は近くの村や町から食料を収奪している様子を確認し、本陣へと報告する。グラビッツはシノの作戦が成功したことから、ついに最後の作戦を話し合うことに決める。本陣には、レオンシュタインをはじめ、ノイエラント軍の全員が集められた。
「現在、レーエンスベルク辺境伯軍は5000の兵力をもっています。シュパレン城には兵糧がないため野戦をしかけてくるでしょう。それも必ず我が本陣を狙ってきます」
地図上のレーエンスベルク軍のコマを移動させ、ノイエラント軍の手前に展開させる。
「3方向からの包囲戦はどうでしょう」
第1中隊副長のハルトマンはタイミングを合わせた包囲殲滅戦を提案する。よい案だとグラビッツは褒めるがタイミングを合わせるのが難しいと懸念を述べる。しかも目の前の平原には兵を隠す場所がほとんどない。ハルトマンの隣にいた第4中隊副長のレンドルフが控えめに手を挙げる。
「全軍ホーエンシュバンガウ城に籠城しては?」
「籠城は援軍があって初めて効果を発揮する。俺らが籠もったら、辺境伯軍は北上し、アルフレド独立軍と交戦を始めるだろう。それによってユラニア王国の侵攻が早まってしまう」
「では、どうするのですか?」
「我々は負けてはいけないし、勝ってもいけない。敵が油断をするまでは」
グラビッツは目を瞑り、しばらく沈黙した後、全員に作戦を説明するのだった。




