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追放された貴族の三男。得意なバイオリンの音色が美人さんや有能配下を引きつけて、気がついたら巨大王国と大戦争をしてた件について  作者: ちくわ天。


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第26話 キスの波紋

 王国歴162年9月12日 7時頃 宿屋の部屋にて――


 翌朝、眠っていたレオンシュタインは顔の近くに人の気配を感じる。


「ん?」


 何かが自分の頬に触れたような気がして目を覚ます。


 ふわっとライラックの香りがして、目をゆっくり開けるとすぐ近くにイルマの顔があった。吐息が聞こえそうな距離だ。ベッドの横に肘をつきながら、イルマはずっとこちらを見つめていた。


あるじ、おはようございます」


 そういうと、少しはにかんだような表情を見せる。確かに口の傷跡は気になるが寝ぼけ眼で見たイルマはとても美しく見える。


「目が覚めました?」

「あ、うん」


 何だか様子がおかしいためレオンシュタインは警戒を緩めない。イルマから強く感じるのは潤んだ瞳の美しさだった。しばらく見つめ合い、静寂が続く。


 その静寂を破るように、イルマは1つの報告をする。


「先ほど頬にキスをしてしまいました」

「ええっ!?」


驚く間もなくイルマは告白してくる。


「私、今まで誰かにキスをしたことも、されたこともないんです。だから、だから、どんなものかなって」


 彼女の生い立ちを考えるとそうに違いない、とレオンシュタインは胸の奥が締め付けられそうになる。


 『おはよう』や『いってらっしゃい』が生活の中になかっただろう。考え込んでいるレオンシュタインを見てイルマは1つのお願いをした。


「主、はしたないお願いだとは分かっていますが……私にもおはようのキスをしてもらえませんか?」

「え!!」


 イルマは指をレオンシュタインの唇に当てる。


「し・ず・か・に。ティアナが起きてしまいます」


 いつもの口調がなりを潜めて、今日のイルマは淑やかな感じがする。それに妖艶さも感じるし、いたずらっぽい口調に胸がムズムズする。


「さあ」

「さあって言われても……」


 すると形の良い眉を少しひそめ、

「ティアナだと、いいんですね」


 と咎めるように話す。


 昨日の件が思い浮かんだレオンシュタインは、そうじゃないと否定したかった。そうして迷っている間に少しずつイルマの顔が近づいてくる。


「お願い。今だけ……」


 どうしよう、どうしようとレオンシュタインは混乱してしまう。イルマを否定して傷つけたくないけれど、ティアナの悲しそうな顔を見るのも嫌だ。このままでは……。

 

「お・は・よ・う! 朝っぱらから二人は何をしてらっしゃるのかしら?」


 いつの間にかティアナが仁王立ちのまま、こちらを見下ろしていた。


 イルマは怯まない。


「あら。昨日、レオンにキスした人に言われたくないですね」


 ずばりと昨日のことを皮肉った。まさか、そのような返しが来るとは思わなかったティアナは真っ赤になり、口ごもりながら答える。


「あ、あれは、その……レオンが元気なさそうだったから」


 その答えを聞いたイルマも、ずけずけと答える。


「私も主を心配したんです。元気を出してもらいたいから、おはようのキスをしたんです。何か問題が?」

「問題だらけよ!」


 その言い合いに挟まれて、レオンシュタインはずっとおろおろしていた。まず、その場を和ませるために朝食に行くことを宣言する。ティアナとイルマはにらみ合ったままだったが、早く来るように二人を急がせる。レオンシュタインはこんな雰囲気が何よりも苦手だ。それを察した二人も、互いに頷き合って下に行く準備を始める。


「二人とも遅いよ! もう行くからね」


 二人を待たずにレオンシュタインは逃げるように食堂に降りていった。二人は黙ったままレオンシュタインについていった。


 ただテーブルに着いたとき、イルマはいつも通りの振る舞いに戻っていた。ティアナも普通の態度で食事をしている。


「ティア。そこの塩、とって!」

「はい。あんまりかけないほうがいいよ」


 それを見ながら、朝はいったい何だったんだろうと不思議に思うレオンシュタインだった。二人が普通に過ごしているなら大丈夫だと考え直す。


「お! この、目玉焼きはおいしいね」


 二人に話しかけてみると賛同の意見が返ってくる。ほっとしながらレオンシュタインは食事を楽しんだ。イルマやティアナは表面上は笑っていたけれど、心の中は別の感情が渦巻いていた。


(イルマはなぜ今日に限って?)

(昨日、ティアナはレオンとの距離をいきなり縮めた気がする)


 互いの目が合うと二人とも乾いた笑いになってしまう。


 そして、同時に一つのことを思うのだった。


(油断できない)


 食事を終え、旅の準備のために町の露店に出かける。しかし、そこでも3人はぎこちなかった。


「このオレンジは新鮮ね」


 ティアナが手を伸ばしたところにレオンシュタインの手があり、少しだけぶつかってしまう。


「あっ」


 後ろからイルマがジロジロと眺めている。すぐに手を引っ込めるティアナだった。


 また、別の買い物をしようと店の前で眺めていたイルマは、後ろにいるレオンシュタインに気がつかず、お尻をぶつけてしまう。


 振り返った瞬間、レオンシュタインとの距離が近い。


「あっ」


 近くからティアナがじっと様子を眺めている。二人の様子を見ていたレオンシュタインは変な雰囲気を敏感に察知する。


「あのさ、何だか二人とも様子が変だよ。肩に力が入りすぎてるよ。リラックス、リラックス!」


 レオンシュタインは和ませようと笑顔で話しかけてくる。


(誰のせいだと思ってんだよ)

(レオンのせいだよ)


 けれども、3人は顔を見合わせて「ははははは」と、乾いた笑いを出すだけだった。


 買い物の最中に同じようなことが12回も続き、さすがにまずいと思ったのかイルマとティアナはレオンシュタインから離れてひそひそと話をする。


「イルマ、このままじゃまずいよ。とりあえず休戦しない?」

「まあ、私は戦ってないけどレオンがあんな感じじゃね」


 心配そうにちらちらと二人を眺めているレオンシュタインを見て、イルマは分かったという風にうなずいた。


「ま、いろいろ思うことはあるけど、とりあえず普通に過ごそうか」

「そうね。でも、イルマ、いきなり変なことは控えてね」

「お前もな」


 二人とも両拳をぶつけ合い、休戦協定を結ぶ。二人がニコニコしながら近くにやってくるのを見て、レオンシュタインはようやくホッとする。


(何だかわからないけど、まあ、良かった)


 3人は買い物を済ませ、次なるリンベルクへの道を進み始めた。昼が過ぎ、リンベルクの街並みが見えてきた時、後ろから馬車が大きな音を立てて近づいてくるのが分かった。


 レオンシュタインたちを追い越すと、少し前でピタッと止まる。


「あの馬車、シュトラントの紋章が付いてるよ」


 ティアナが目ざとく見つける。レオンシュタインは何か良くないことが起こりそうな予感がするのだった。

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