第21話 嫁が強すぎる件
王国歴162年9月9日 朝 スコップ亭の前にて――
ピルネの街についてから6日が過ぎ、ついにスコップ亭を離れる日がやってきた。急ぎの旅ではないが、ティアナの仮面がとれるかもしれないリンベルクへ向かうことになったのだ。看板娘と化していたティアナの出立を聞いて、昨日、主人や女将さんからさんざん引き留めにあったのだが、ティアナの気持ちは変わらない。
「おかみさん、本当にありがとうございました」
ティアナの声に湿った感情が混じり、おかみさんは涙が頬を伝って流れるほど悲しんでいた。
「じゃあ、元気でな」
名残惜しそうに宿の主人は別れの言葉を述べ、おかみさんも笑顔をつくって別れの言葉を伝える。ついに3人は宿を離れ、新たな旅がまた始まるのだ。その姿を宿の2人はいつまでも見送っているのだった。
「ついに護衛任務につくのか。気を引き締めないとな」
イルマの出で立ちは「これぞ傭兵」といった言葉がぴったりと当てはまる格好で、もう少し可愛らしさがあればいいのにとレオンシュタインは思う。ティアナに負けないくらいイルマはスタイルが抜群なのだ。しかも、胸が大きい……。
少しだけ頬を赤らめるレオンシュタインの横で、ティアナがイルマの肩を叩く。
「イルマ、よろしくね」
「もちろんだ。未来の旦那さまに指一本触れさせないから、安心して」
片目をつむって答えるイルマにティアナは不満そうに押し黙り、仮面を隠すようにスカーフを巻き付ける。今日は我慢することに決めたらしい。
「ティア、行き先はリンベルクだね」
空にはレンズのような雲が重なるように浮かび、その後ろに広がる青空が目に痛いくらい透き通っている。自然に足取りも速くなり、あっという間に3人はピルネの門にたどり着く。
門につながる眼鏡橋の下を今日もレグニッツァ川がゆったりと流れている。青緑色の水面がとろりとして眼鏡橋の灰色と調和している。近くの水門は巨人で無ければ動かせないくらいの大きなハンドルがあり、水門を開けるときに使われるはずだ。
橋の真ん中にレオンシュタインは立ち止まり、この6日間のことを思い出していた。
(いろんなことがあったな)
この6日間は、今まで過ごしたどんな時よりも刺激的で、また忘れられないものとなるに違いない。レオンシュタインは空を見上げながら、そう確信していた。
「レオン、何ぼんやりしてるの? 行くよ!」
ティアナに背中を押されレオンシュタインはピルネの門の前まで移動する。門番に通行料を支払い、ついにピルネの町を出発した。
「さすがに王都への道は賑やかだね」
周囲には行商のキャラバンや巡礼団が何隊も通っている。しきりに感嘆していたレオンシュタインだったが、少し進んでいくとあっという間に荒れた草原が広がっている。しゃがんでみると小さな赤い花をつけた草花が群生し、野原を赤く染めている。
荒野の木々は低く幹がうねり、小さな昆虫が群れをなして飛んでいる。所々に沼が存在し、じめっとした風を感じる。さらに3人が進んでいくと、低い丘が大地に滑らかな盛り上がりを見せ、何も生えていない白黄色の大地が見渡す限り広がっているのだった。
古来からこの場所が絵画のモチーフに選ばれるのも無理はないと、レオンシュタインは納得する。
「この景色は珍しいです。ゆっくり楽しみながら歩きましょう」
そのレオンシュタインの言葉を途中で遮ったイルマの目つきが険しくなる。
「どうやら、そんなわけにはいかないらしいね……」
剣を抜いたイルマが前方を睨みつけると、レオンシュタインの前方を歩いていた3人組が、いきなり剣を抜いたのだ。そのまま何も言わずにこちらに走り寄ってくる。
間違いなく一般人を装った盗賊だとイルマは判断し、盗賊に向かって素早く走り寄った。音も立てずに抜いたイルマの剣が、あっという間に盗賊の剣に向かっていく。
ガンガンと大きな金属音が響いたかと思うと盗賊の剣が空中に跳ね上がる。
「何だあ?」
盗賊のリーダーらしき男が声を上げながら剣を構え直し、迫ってくる。イルマは動じずに剣を一閃させると、ガギンという甲高い音が響き、盗賊の剣が根元から折れて空中を舞う。イルマはすぐに盗賊の喉元に剣を突きつけていた。
「物盗りか? それとも命を狙ったものか?」
「あ、……金が欲しかった」
そこまで聞くと刀の柄で3人を殴り、あっという間に気絶させてしまった。
「全く、幸先が悪いな」
剣を鞘にしまったイルマは3人を紐で木に縛りつけながら毒づいている。レオンシュタインとティアナはイルマの強さに声もなっかった。ようやく落ち着いたレオンシュタインがイルマに声をかける。
「イルマさん、ありがとう。とても強いんだね」
「そう? でも主を守れて良かった」
ウインクをしながらレオンシュタインに笑いかけるイルマを、レオンシュタインは頼もしそうに見つめる。盗賊の3人をピルネの警邏隊に引き渡し、なんと治安協力金の銀貨3枚を受け取ったのだった。
「しばらくは美味しい物が食べられそうだ」
屈託無く笑うイルマを見て、レオンシュタインたちも、つられて笑ってしまう。
視線を前に向けると、真っ直ぐな街道は馬車の轍で草が生えず白い土がむき出しになっている。その轍は草が膝まで生い茂った道のずっと先まで続いている。
「この道が王都まで続いている」
レオンシュタインが立ち止まって王都に思いを馳せる。王都までは徒歩で1ヶ月程度の行程で、馬車でも2週間はかかると宿の主人から聞いていた。今のところ、レオンシュタインたちにとって歩く以外の方法はない。
イルマは盗賊を引き渡したとき警邏隊から宿泊地の情報も得ていた。
「リンベルクに行くためには、キースバッハとミルブッフで各1泊するのがセオリーらしいね」
次の町キースバッハまで大人の足で5時間という情報から考えると、午後3時頃には着きそうだと目星をつける。
「じゃあ、ここで3時間、練習をしたいんだけど」
この荒野の中で演奏することに興味がわいたレオンシュタインは、二人に右手を挙げて控えめに主張する。
「レオンの好きなように。夕方には町に着きそうだし」
「主のしたいようにしたらいいよ。私も剣の練習かな」
ティアナとイルマは笑顔のまま答える。
荒野の中でレオンシュタインはバイオリンを取り出し、顎の下にバイオリンを挟みこむ。
「この寂寥な風景にはエッフェンベルクの「魔の山」が相応しい」
突如、流麗なバイオリンの調べが荒野に響き渡る。剣を振っていたイルマはレオンシュタインの奏でる音楽に次第に引き込まれ、彼に近づいた。
(こんなに凄いのか)
圧倒的な曲想とテーマが際立っており、音楽にそれほど興味の無いイルマでさえ音の凄さが分かる。そのため近くに座る石を見つけて剣をしまい、演奏を聴くことにした。
ティアナも素晴らしい音色に感動しつつ、自分の魔法力アップの練習に余念がない。
(お婆さんは魔力が高ければ仮面が取れると言ってた。じゃあ、私が父様より高い魔力を身につければいい)
光球の呪文を唱えると、ティアナの目の前に50cmほどの白く光る球が浮かびあがる。
(今日は60cmに拡大)
玉が大きくなるにつれて身体全体に負荷がかかり、力がどんどん抜けていくのが分かる。倒れそうになるのを足に力を入れて必死でこらえ、荒野の向こうの山を見つめながら唇を噛みしめた。そのままの状態を維持しながら魔力を調節し、続けていく。
(魔力がなくなったら大変)
さっきの盗賊はイルマが倒したけれど敵に魔法使いがいないとも限らない。自分も戦えるようになりたいと考えながら、きつい練習に挑むティアナだった。
3時間はあっという間に過ぎ、3人は簡単な昼食をすませてから再び歩き始める。先頭はイルマ、その後ろにレオンシュタイン、最後尾はティアナという隊列を維持して、ひたすら歩いていく。
「レオン、痛みはない? 無理は絶対にダメだよ」
常に自分の足を心配してくるティアナの言葉に、レオンシュタインの胸はいつも暖かいもので包まれる。
「ま、悪いときには私が背負うよ。妻の役目でもあるしな」
「全然違うけど」
レオンシュタインが軽く突っ込みながら3人の会話は続いていく。少しずつぎこちなさがとれて、笑顔も多くなってくる。
やがて遠くにキースバッハの門が見え始め、3人は小走りでその門に近づくのだった。




