第2話 期待はずれの贈りもの
顔を上げたレオンシュタインの目に、新シュトラント伯爵マヌエルの笑顔が映っていた。その笑顔が何よりも苦手なレオンシュタインは、すぐさま顔を伏せてしまう。
「レオン。お前にバイオリンを贈ろう。腕を磨けよ」
(えっ。それだけ?)
隣室から召使いの女が音も立てずに黒いバイオリンケースを運んできて、マヌエルの前で捧げたまま直立していた。そのケースは遠目にも破れた跡が目立ち、もの悲しさを感じさせる。
侮蔑を隠そうとしない顔つきの召使いがレオンシュタインの前にケースを運ぶ。それを受け取ったレオンシュタインは、安っぽい革の匂いでさらに気持ちが沈んでいく。
「レオン、お前が無事に帰ってきた暁には領地を与えよう。せいぜい励め!」
マヌエルは新しい伯爵としての威厳を見せたいのか、力強く、昂揚した声で宣言する。
(帰ってきたら……か。思ったより悪くない)
言い聞かせるように、その言葉を心の中で繰り返すレオンシュタインだった。
続いて子爵となった次男マインラートの前にレオンシュタインは移動する。6歳違いの兄マインラートと仲良く遊んだ思い出は1度もない。
その灰色の髪の奥にブルーの瞳が光り、口元を歪めている表情に性悪な性格がにじみ出ていた。
灰色の煉瓦で囲まれた大広間の中央で、マインラートが右手をかざし甲高い声をあげる。
「旅には従者が必要だ。誰か一緒に行く者はおらぬか?」
大広間にしんとした静寂が広がり、みんな一斉に横を向く。それはそうだ。このような追放される三男に、ついていこうという物好きはいない。
「誰もいないのか? では、レオン。ティアナを連れていくがいい」
全員の目が大広間の隅に立つ黒い仮面の少女に注がれる。ティアナは故大魔道士アーベルの一人娘と噂されていたレオンシュタイン付きのメイドだ。常に黒い仮面を被っているため、誰もその容貌を見たことがなく、呪われた子と城内では忌み嫌われていた。
成長すれば母親似の美女になるに違いないと次男マインラートは期待していたが、何を試しても仮面は外れることはなかった。業を煮やした彼は、失望の腹いせに取り巻きを使って嫌がらせをするなど、了見の狭い男っぷりを発揮していた。
「兄上。ティアナに旅の苦労をさせたくありません。私だけで行って参ります」
「何を言う、レオン。いざとなれば結婚すればよい。似合いの夫婦ぞ」
全く人気のない2人の結婚と聞いて、力のない笑いが大広間に広がる中、それを打ち消す美しい声が大広間に響き渡った。
「寛大なご提案、ありがとうございます。マインラートさま。私はレオンシュタインさまと一緒に行こうと思います」
優しさを含んだ元気な声は、陰鬱な城の中を明るく照らすかのようだ。
「レオンさま、お認めいただけますか?」
レオンシュタインの方を振り向き、ティアナは手を胸の前で組む。よく見れば彼女の両手は微かに震えている。彼女の不安を見て取ったレオンシュタインは、安心させようと大きく頷く。
「感謝します。レオンさま」
その様子を見ていたマインラートは忌々しそうに顔をゆがめ、宣言する。
「みなさん。似合いのカップルが誕生したようですぞ。祝福の拍手を!」
乾いた拍手が響く中、城から出て行くことになった現実を、レオンシュタインは、どこか他人事のように感じていた。
拍手に追い出されるようにレオンシュタインは自分の部屋へと向かっていく。薄暗い石壁がひんやりとした冷気を伝え、無機質な足音だけが廊下に響く。
今日と変わらない明日がやってくると信じて疑わなかったのに、翌朝には城を出なければならない。そんな物思いに耽るレオンシュタインの後ろを、ティアナがバイオリンケースを持ちながら歩いている。
その足音だけが、これが現実だと自覚させてくれた。
部屋に着いたレオンシュタインはベッドに倒れ込みたい気持ちを抑えて、旅の準備に取り掛かった。何といっても出発は明日なのだ。
「ティアナ、その背負い袋をとってくれない?」
壁に掛けてある麻袋をレオンシュタインに手渡したティアナは、自分も準備があるからと頭を下げて出て行こうとする。それを慌てて引き留めたレオンシュタインは真剣な顔つきになる。
「ティアナ、城に残った方がいい。追放同然の旅は危険も多いし金も稼げない。辛いだけだと思う」
「私は同行します。レオンシュタインさま」
「さま? 普段はそう呼ばないくせに」
仮面の奥でくすくすと笑うティアナは、いつものようにレオンシュタインをからかっていた。
「私は本でしか知らない景色を見るのが楽しみ。レオンは不安なの?」
「不安だよ」
「城にいるより百倍いいと思うけど」
声のトーンを落としたティアナの声は愁いを帯びた口調に変わる。
「……私が一緒だと迷惑?」
「そんなことない!!! 一緒に行けるのは凄く嬉しい」
軽くうなずいた彼女は驚くべき提案を口にした。
「餞別をいただいたら家を買って、のんびり暮らしませんか?」
なかなか悪くない提案だが、家が買えるほど餞別は出ないはず。それなのにティアナは仮にも伯爵家だからワンチャンありますと断言する。
「その家でレオンは好きなピアノやバイオリンを弾いて暮らすんです。私が働いて養って差し上げます」
「悪くない提案だね……」
まさかのヒモ提案に呆れつつ、レオンシュタインは目の前が明るくなるのを感じた。
「肩の力、抜いていきましょ」
楽しそうな声を残してティアナは扉の外へと姿を消す。
頭から心配を追い出したレオンシュタインは、背負い袋にバイオリンケース、パン2つ、革の水袋を詰め込み、紙とペンを隙間に無理矢理押し込んだ。
夜も更けて準備が終わると、猛烈な眠気がレオンシュタインを襲う。大きな環境の変化に心と身体が悲鳴を上げ、ベッドに倒れ込んでしまう。
1年間、生きていけるだろうか……。
そんなことを考えながら、レオンシュタインの意識は少しずつ遠のいていった。




