第197話 はじめての体験
王国歴164年12月5日 午前7時 クリッペン村 ティアナの家にて――
「ロス、おはよう。朝だよう」
ベッドの上で手を伸ばしたティアナが眠そうな声で呼びかける。寝つについたのは、ついさっきの気がする。夜遅くまで話し続けるというのはフラプティンナにとって初めての体験だった。しかも同年代の女子が5人だ。
「おはよう、ティア」
あくびをかみ殺しながらフラプティンナは微笑むが、やはり眠い。今までは決まった時間に起き、侍女たちに髪や服などを整えてもらっていた。今日は自分でやるからと宣言したため、侍女は別の場所で休んでいる。
「ロス。眠いなら寝てていいよ。イルマやヤスミンも寝てるでしょ」
傍らで寝ている二人は目を覚ます様子がない。ただシノだけは起きて朝食を作っていると伝えられる。
「やりたいようにするといいよ」
そう言うとティアナは布団に潜り込んでしまう。それを見ていたロスも布団を頭から被り、顔を枕に押しつけた。あっという間に二人に睡魔が襲ってくる。そっと様子を見に来たシノは、寝室が静けさに包まれることに気付く。
(ご飯はお昼にまわそうかな)
音を立てずに扉を閉め、とんとんと階段を下りていった。
ティアナの部屋の中には、太陽の光が優しく差し込んでいた。
お昼少し前になると少しずつ部屋に動きが出始める。最初に目を覚ましたのはヤスミンだった。
「……あれ? 私が一番?」
ベッドからとんと下り窓の側まで歩いて行く。観音開きの窓を開けると、爽やかな海風が部屋の中に吹き込んでくる。空には青空が広がっていて気持ちのよい初夏の昼だ。ヤスミンは、この匂いが何よりも好きだった。
「……ヤスミン? おはよう」
ベッドで両手を挙げたイルマが眩しそうに窓の外を眺める。昨日は久々にお酒を飲んで大騒ぎだった。イルマにとって、ようやく心の平安を感じることができた1日となった。
「ティア! もう昼だぞ! いつまで寝てんだよ」
イルマがティアナの布団を剥がすとティアナは身体を丸めたまま眠っていた。
「ほら、ロスも!」
イルマは姫であっても容赦が無く、ロスは驚いた表情でベッドの上に起き上がった。
「おはよう、皆さん」
「全然、早くないけどな。おはよ。よく眠れた?」
「ええ、とっても!」
そう言いながら髪を整えようとするが自分で髪をすいたことがほとんど無い。見かねたイルマはフラプティンナの髪をすき始める。
「綺麗な髪だなあ。ライトブルーって初めて見たよ」
器用に髪を整えながらイルマは屈託なく話しかける。それが新鮮でフラプティンナは口元が緩んでしまう。
「イルマさんの髪も整えて差し上げますよ」
「お、そうか?」
イルマはフラプティンナと交代して椅子に座り鏡を見つめる。フラプティンナはぎこちなく櫛でイルマの髪をすいていく。
「イルマさん、綺麗な赤ですね」
「そっか? 何だかお淑やかに見えなくてさあ」
そうは言うけれどもイルマは黙っていれば深窓の令嬢と言ってよいほどの美貌をもっていた。すらりと伸びた脚と鍛えられた身体、胸は大きく、フラプティンナは思わず自分と比べてしまう。
「ありがとう。人に髪をさわってもらうのっていいな」
お礼を言いながらイルマは着替え始める。ヤスミンとティアナは既に準備ができていた。フラプティンナもティアナの服を借りて、たどたどしく着替えを済ませる。
「じゃあ、食事に行こうか」
イルマの一言で一緒に下の台所へ移動していった。
「おはようございます。みなさん」
笑顔でシノが挨拶をする。シノは黒髪が似合う、お淑やかな女性で、昨夜のお風呂でフラプティンナは見とれていた。漆黒の黒髪と、均整の取れた肢体。愁いを帯びた眼差しと、控えめな笑顔は強烈に美を感じさせ、優しく微笑む姿に強く目を引きつけられてしまう。
「さあ、私の作った昼餉をどうぞ召し上がってくださいね」
すぐにテーブルの上には、パンと野菜のスープ、卵と野菜のサラダが並べられていた。飲み物はシノが入れてくれたグリーンティー(緑茶)だった。初めての緑茶にフラプティンナは恐る恐る口をつける。
「苦! でも美味しい」
その後、5人で仲良く会話と昼食を楽しむのだった。その会話の中で、午後は街をブラブラと歩くことが決まる。準備をしてすぐに出かけた5人は人目を引き過ぎるくらい引いていた。イルマやヤスミン、シノは買い物に来ているため見慣れているのだが、今日はティアナは仮面を取っていたために、慣れない村人たちは一様に驚いてしまう。
また、ライトブルーの髪を持つ、見たこともない美少女がその横を歩いているのだから、注目を集めても仕方がないのだった。
コーヒーショップに入って好きなコーヒーを注文し、ヤスミンが毒味をしてからロスに渡す。チーズケーキも毒味をしてもらってから食する。どちらも、これまで味わったことがないくらい美味しいとフラプティンナは感じる。
国事ではない、たわいもない話をして、ずっと笑顔で過ごすことができた。
さっきの店の人形が可愛いとか、あのシャルロッティさんのお店の服はどれもみんなステキだとか、そんな話ばかりだった。相手の歓心をかうために無理に笑顔でいることもなかった。
§
フラプティンナは帰国するまで、ずっと5人と一緒に過ごしていた。レオンシュタインとバイオリンの練習をするとき以外は、ずっとそうすることに決めていた。
こんな機会はもう二度とないかもしれない。
1つ1つの出来事が、全て輝いて見えるフラプティンナだった。




