第185話 計略と突撃と
王国歴164年11月8日 夜11時 ナレ砦周辺にて――
突如、砦の方から響いてきた異様な歓声に連合軍は耳をそばだてる。
「ついに、やけになったか」
シュトラント伯爵マヌエルは馬鹿にするように砦を眺める。エッシェベルク子爵マインラートも飲んでいたワインを空中に掲げた。ただ一人、参謀のイグナーツだけは警戒していた。
(この絶望的な状況で士気が上がるのはおかしい。ここは防御陣形を敷いた方がいい)
そう考え、3人に進言する。
「ゲオルフさま、敵は何やら士気が上がっている様子。ここは防御陣形を敷き、様子を見るべきです」
けれども圧倒的な勝利を目前にした3人はそれを否定する。
「イグナーツ殿。相手はもう戦う力は残っていない。叩きつぶすべきだろう」
マインラートが私見を述べると、辺境伯次男ゲオルフもそれに言葉をつなぐ。
「イグナーツ。ここは攻めの一手だ!」
そう言うと、ゲオルフは兵士たちの前に歩いて行き、宣言する。
「皆の者、あの砦に一番乗りができたものには大金貨5枚(約5000万円)を与える。それに荘園もだ! この機会を逃すな!」
「おお!」
「こりゃあ、一生働かなくていいぜ!」
連合軍の士気が高まり、満足そうなゲオルフは剣を抜く。
「全軍、突撃せよ!」
その声と同時に連合軍の全軍が砦に殺到していく。雄叫びを上げながら、とどめを刺そうと勝利へ向かって走る。ところが、先頭を走る兵士の勢いが鈍り始め、声も次第に弱まっていった。ついに足が止まり、信じがたい異様な光景にうろたえ始めた。
燃え盛るたいまつを角にくくり付けた化け物が、うなり声を上げながらこちらに突っ込んでくるのだ。黒い悪魔がたいまつをかざして、こちらに向かってくるかのようだ。
「お、おい、何だ? ありゃ?」
「化け物だ!」
「逃げろ!!!」
その瞬間、牛の角が先頭の兵士を突き飛ばす。
「うわああああああ!!!」
叫び声を上げながら兵士が崖下に落ちていく。
「撤退しろ! 撤退だ!」
前にいた将校は恐怖に駆られて撤退を叫ぶのだが、後ろから勢いづいた兵が隙間なく突撃してくる。撤退の声は歓声にかき消されていた。そのため、混乱を避けようとした多くの兵が崖から落ちていくのだった。
人の悲鳴を聞き凶暴になった牛たちは、さらに大きく吼えながら、ひたすら前進を続けていく。連合軍は組織的な動きができず、ひたすら逃げ回っていた。牛が通り過ぎた後、呆然としている兵にゼビウス隊が突っ込んできた。
「死神ゼビウスの相手は誰だ! すぐに冥府へ送ってやる!」
「ゼビウス殿に続け!」
「一兵も逃すな!!」
阿修羅のように荒れ狂う第1部隊は、次々と兵士を切り払っていく。既に戦意がなくなっている兵士の目には、まさに死神が剣を振るっているように見える。ゼビウスのツヴァイヘンダーが唸ると、複数の兵士から血煙が上がる。一層恐怖を高めていたのが深い暗闇だった。
「逃げろ! 死神が……」
馬蹄が響きゼビウス隊は前進を続ける。それが通り過ぎた後、ほっとする間もなく別の一団が突撃してくる。もはや連合軍の戦意は、ほとんど失われていた。
「狼口のイルマの相手は誰だ! その喉笛を食いちぎってやる!」
「イルマ隊、見参!」
「敵を撃滅せよ!!」
さらに多くの剣が兵士に振り下ろされ、敵は攻撃を避けようとして、さらに崖の下に落ちていく。思うままに軍を突き崩していくイルマ隊だった。
(やはり奥の手を隠していたか。あれは火牛の計……)
懸念が現実になったことにイグナーツは忸怩たる思いを抱いていた。
(けれども、まだ負けたわけではない!)
イグナーツ隊の150人はまだ戦意を保っており、敵の数はそれほど多いわけではない。牛をやり過ごせば、挽回のチャンスは大いにある。
「重装歩兵、前へ! あの畜生どもを焼き肉にしてしまえ!!」
10名×10名の密集陣形を作り、本陣前で待機する。
「逃げる味方はやり過ごせ! 牛が近づいてきたら、槍衾を作るんだ! 大丈夫!! お前たちは止められる!」
「おう!」
半数の50名は逃げる味方を安全に誘導しながら反撃の機会を待っていた。ついに火牛が近づいてくる。
「密集陣形! 槍を前に突き出せ!!」
牛は重装歩兵に突っ込んできたが第2陣までは突き崩すことができない。逆に槍に貫かれて、その場に倒れてしまう牛も出てきた。
「よし! 牛の勢いは止まってきたぞ!!」
密集陣形を作り直して、さらなる牛の突進を防ごうとする。ゼビウス隊もこちらへは向かってこない。
「あと少しだ! 勝利の女神は、あと少しで我が陣営に!!」
5頭ほどの牛を倒すと味方が少しずつ落ち着いてきた。イグナーツは戦の流れが変わったことを、はっきりと意識した。
「よく戦ったがゲオルフさまの勝ちだ」
そう呟くと、イグナーツは右手を挙げ反転攻撃の命を下そうとした。




