第182話 こりゃあ、まずいぜ
王国歴164年11月7日 午後8時 ナレ砦付近の連合軍駐屯地にて――
少しずつ連合軍の野営地へ近寄っていったヤスミンは、懐から望遠鏡を出し様子を確認する。
(梯子?)
10mを優に超える長い梯子が何本も運ばれてくる。もう少し近くで偵察するために、さらに前進を続ける。と、上からのし掛かるような圧を感じる。
(ここ、魔法は使えない)
魔法結界の存在に気付いたヤスミンは自分の目だけを頼りに野営地に近づいていった。様子を見ていると、おかしな事に気付く。
(夜9時なのに、人が多い)
野営地に多くの人がうごめき一向に人数が減らない。梯子を立てかける練習を繰り返し、その梯子に次々と上る練習も確認できた。
(いつ攻撃か分かれば)
「誰だ!」
その瞬間、ヤスミンの足元に矢が突き刺さる。
「武器を捨てろ! 少しでも動いてみろ。この矢がお前を貫くぞ!」
ダガーを前に放り投げヤスミンは恭順の意を示す。
(あとナイフが4本)
足に取り付けているナイフだけが頼りだ。けれども、その男はそれを見逃さない。
「足につけているものも一緒に捨てるんだ!」
弓で狙いをつけたまま男は厳しい声で話す。黙って足のナイフを外そうとした瞬間、ヤスミンは男にナイフを投げつけていた。それをかわすのと同時に弓矢を放った男の矢は、正確にヤスミンの右手を貫く。ヤスミンの顔が激痛に歪む。
男は素早くヤスミンに近寄りナイフを蹴り飛ばすと、顔を確かめようとフードに手を掛ける。
フードをとると銀髪の美少女がこちらを睨んでいた。男は、ややうろたえながらも尋問を開始する。
「名を聞こうか」
「……ヤスミン」
男は黙ってヤスミンの矢を抜く。ヤスミンは痛みに耐えながら黙って男を睨んでいる。
「ゲオルグ様が側室にしたいと言っていた女の一人だな……」
あのゲスな男の部下に捕まるとは一生の不覚、とヤスミンは舞踏会での出来事を思い出していた。すると男は意外なことを話し始める。
「我が陣は見られて困ることはない。お前の砦はもうすぐ陥落する。仲間たちに降伏を呼びかけ降参してくれれば、村長以下、命を助けることを約束する」
意外な申し出にヤスミンは動揺する。
「……お前は、誰だ?」
「俺の名はイグナーツ。連合軍の参謀をしている」
「参謀……」
目の前にいる男がそんなに偉い人物だとは思えなかった。そんなに偉い男がなぜ歩哨のようなことをしているのだろう。
「とりあえず砦に戻れ。人が集まれば、お前は逃げられないぞ」
遠くから何人かが走ってくるのを見てヤスミンはすぐにきびすを返す。
「降伏の件、検討してくれ!」
背中に聞こえる声を振り払いながら、ヤスミンは山中に戻っていった。
§
「ヤスミン、大丈夫だった?」
ヤスミンが戻ってきたのは、それからすぐだった。手が使えないため腰に紐を巻き付けて、引っ張り上げてもらったのだ。
「連合軍は梯子がたくさん準備されてた。あと、夜中に活動する兵士が多かった。見張りが厳重だった」
拙い言葉ながらシノに大事なことを報告する。
「ありがとう。それで、だいたい分かりました。すぐに怪我を手当てして」
ヤスミンを宿舎の治療室へ送ると、司令室に詰めていたメンバーと対策を話し合う。残っていたのは、シノ、ゼビウス、イルマの3人だった。ディーヴァは臨時の宿泊施設の建設、ジーナ姉妹は負傷者の運搬で忙しい。
「ヤスミンの情報から考えると敵は夜間に攻撃をしてきます。波状攻撃でしょう。今日から警戒した方がよさそうです。村から何も連絡はないですか?」
何もないとイルマは首を振る。
「油を大量に送ってきましたが……」
「そう、まずはそれを相手に使いましょう」
その日は夜間攻撃に備えて、交代で警戒するようシノは命令を出した。けれども、その夜は全く物音一つせず、時間が穏やかに流れていったのだった。
§
「敵、接近中!」
朝の5時に敵の急襲が告げられる。まるで部隊が眠るのを見透かしたかのように攻勢を仕掛けてきた。弓隊の対応が遅く、砦にはりつかれる。
「全員、起床! 敵の攻撃だ!!」
ゼビウスの声に眠りについていた第2弓隊も準備を始める。第1弓隊は長弓で攻撃を始めていたが、敵は砦下から梯子を3か所掛け少しずつ登ってきた。
「敵は眠りこけてるぞ! 一気に砦を落とせ!!」
「おう!」
ずっと眠っていた連合軍の士気は高く、逆に砦の軍は疲労が蓄積している。
「油の用意だ!」
ゼビウスの言葉に2つの樽が運ばれてくる。桶にオリーブ油を汲み、梯子のそばまで駆け寄る。
「順次、上から掛けるんだ!」
バシャリバシャリという音を立てて、梯子に油がかけられる。上まで登ってきた敵が弓で射抜かれて梯子の下に落ちていく。滑りやすくなっている梯子は、明らかに登ってくる勢いを弱めていた。
「上から射抜いてやる」
しびれを切らした味方が梯子の側に立って登ってくる敵を射とうとする。
「待て! 立つな!!」
その瞬間、その兵士はハリネズミのように矢で射抜かれてしまう。弩隊の攻撃だ。
「相手の射線に入るな。後ろからの攻撃を徹底! 敵が上がってきたら1列目、
水平射撃だ!」
ようやく弓隊は連続して矢を放つ準備ができたため、ゼビウスは矢継ぎ早に命令を繰り出す。
「松明で油のかかった梯子に火をつけろ!」
油は松明の火でよく燃え、上から下に向かって燃え広がっていった。よく燃えた梯子は、脆くなった部分から折れてしまい、使えなくなってしまった。
「矢をもっと早く射るんだ!」
敵の損害が少しずつ増え、敵はすぐに撤退を始めた。
「動きが早い」
撤退を見ながらゼビウスはヤスミンに話しかける。砦側の被害は10名ほどだったが100名しかしない部隊の10%だ。
敵の被害は50名ほどだが、3000人のうちの1.6%でしかない。
「こりゃあ、まずいな」
ゼビウスは圧倒的な不利を実感した。村の軍は砦の上から離れることはできないため、敵が波状攻撃をしてきたら、いつかは破られてしまうだろう。暗い表情のまま警備につくゼビウスだった。
§
「うちが圧倒的に有利です」
参謀のイグナーツがゲオルグに報告する。
「現在、戦いの主導権はこちらにあります。敵は出撃できず、できることは遠距離攻撃のみです。早ければ、今日の夜、最低でも明日の夜には砦は陥落するでしょう」
イグナーツの報告にゲオルグは笑顔で立ち上がりイグナーツの肩を叩く。
「さすがイグナーツだ。常勝に星が1つ加わるのだな」
けれどもイグナーツは気を緩めない。
「無理な攻撃はせず、兵士の損害を最小限にしましょう。夜間であっても長弓は脅威です」
「分かった。そのようにしよう」
報告が終わるとイグナーツはすぐに負傷者のところへと急ぐ。小屋の中は血の匂いが漂っていた。
イグナーツは一人一人の枕元に行き、手を握りながら声をかけ勇気づける。
「すまん、お前ら。俺の作戦が悪いせいで」
謝るイグナーツを負傷兵が逆に励ましていた。
「イグナーツさま、謝らないでください。イグナーツさまの作戦で戦えることは死んでも本望。もうすぐあの砦は陥落します。作戦成功です」
「もう、喋るな。死ぬなんて言うな。すぐに後方へ移動だ。そこで、ゆっくり休め」
イグナーツは一般兵から参謀まで上り詰めた苦労人であり、下級兵士たちの気持ちが痛いほどよく分かっていた。ヴァルデック城を接収した際も、兵士たちの不満を聞き、酒などの差し入れをしたのはイグナーツだった。そのため現在も士気が高いままなのだ。
「怪我人は最小限だ。まして死亡者など」
見舞いが終わると、イグナーツは兵士の詰所に向かうのだった。




