第180話 厳しい状況
王国歴164年11月4日 午前8時 ナレ砦にて――
「開門! 開門!」
カエデとヨシアスがナレ砦に到着した日、30人の一団がナレ砦の前に現れた。馬に乗っているところを見ると、ただの避難民とも思えない。サムライが素性を尋ねると、ヴァルデック領の執事フォルカーの部下だと名乗っていた。
「何? フォルカーの部下? なら、私が会おう」
ヨシアスは気軽に砦の上から声を掛けていた。
「おうい。フォルカーの部下らしいが、顔を見せてくれるか?」
「あ! ヨシアスさま。ご無沙汰しております!」
「おう、お前らか」
どうやら顔見知りらしい。早速門が開けられヨシアスは再会を喜んでいた。30人はヨシアスの前にひざまずき、重そうな書類の束を差し出していた。
「ヨシアスさま。ご無事で何よりです。実はこの書類を届けるようにとフォルカーさまから言付かっております」
「ん? 書類?」
ヨシアスが書類を受け取ると、そこにはびっしりと名前と住所が書かれてある。
「こ、これは……」
「ヴァルデック領の戸籍でございます。フォルカーさまの一大事業の」
見ていたシノとゼビウスから驚嘆の声が上がる。
「戸籍だと! ヴァルデック領は戸籍を完成させていたのか?」
「素晴らしい仕事ですわ。しかも避難民がやってくる今、これほどありがたい書類はありません!」
ヨシアスが何がそんなに凄いのか、という顔をしているため、シノはその説明をし始める。
「この名簿を使って避難民の素性を確認できるのです。避難民に紛れて工作員が紛れ込むのは常套手段。私の懸念が一つ消えましたわ」
輝くようなシノの笑顔を眩しそうに見つめながら、
「シノ殿のお役に立てて、このヨシアス、歓喜の念に堪えません」
と、胸に手を当てながら喜びの表情となる。
「あ、そういうのいいですから」
シノは全く取り合わない。
「では、ヨシアスさま。宿泊小屋に簡易の行政施設を開設します。書類に照らし合わせて、名前がある人だけ受け入れてください。それ以外は帰ってもらうように」
「おう。分かった。ただ、シノ殿。俺を警戒するのは分かるが、この仕事が成功したら、一度くらい食事をしてくれてもよいのではないか」
「お戯れを。私はレオンさまの正室です。他の男と食事など考えたこともありませんわ。まあ、みんなで先勝祝いをするときには、同じ会場で食事をすることはやぶさかではありません」
「むう。相変わらずつれない方だ。ただ、このヨシアス。燃えて参りました! つれない瞳が逆にいいまでありますぞおおおお!」
「……」
呆れて物が言えない表情を尻目に、ヨシアスは30名を引き連れて小屋の準備に取り掛かるのだった。
§
翌日、ヴァルデック領からの避難民が続々とナレ砦に入っていった。ヨシアスたちの活躍で名前の照合はスムーズに進んでいく。
「あ~。ヨシアスさま、久しぶりです。元気でしたか?」
「おう、レンベルク。お前も逃げてきたのか!」
「ヨシアスさまがいてくださって安心です。フォルカーさまは?」
「あいつも、これから来るよ」
意外な人気っぷりを発揮しつつ、1万人ほどの受け入れは夕方には完了していた。
「いやあ、疲れたがいい仕事をしたなあ。肩がこったなあ。誰ぞ、肩を揉んでくれる方はいないものか」
確かに素晴らしい活躍だったのだが、この一言で女性陣はドン引きしてしまう。声を掛けられては一大事とばかりに、視界の外へと身を潜めるのだった。それでも、この一件でヨシアスの株は大いに上がり、クリッペン村の発展に大きく寄与していくことになるのだった。
避難民が村へと歩みをすすめている頃、砦に急報が入る。
「連合軍、接近中。その数3000」
ついに連合軍がやってきた。司令部に緊張が走り、すぐにゼビウスの命令の下、第1部隊が砦の屋上に展開する。空には久々の太陽が輝いている中、11月にしては暖かい陽気となり、昨日までの雨がむあっと蒸発する様子が確認できる。
「弓の準備を忘れるなよ!」
弓の弦を引いたり矢の数を確認したりと、みんな意外に落ち着いていた。イルマの第2部隊は、弓の準備をしつつ敵の矢が届かない場所に陣取る。矢の補給は行うが、今は身体を休めておくことが仕事だ。
「敵が来たら休みなんて取れないからな!」
副官のコンラートに命令し、必要以上に緊張しないよう飲酒も許可する命令を出す。
船着き場の小屋に移動したジーナとレベッカは、運搬に備えて準備を始める。船着き場に係留している船は2艘。12名乗りの運搬船である。ジーナは運搬船の船底を触りながら思わず目を瞑っていた。
(どうか1人でも多くの命を救えますように)
刻一刻と戦いが迫ってきた。
§
その頃、シノは砦の司令室でヤスミンからの報告を受け取っていた。
「敵の持つ弓は弩ですか。ラッキーです」
シノが独り言のようにつぶやく。弩は矢が直線で発射されるため砦の上には当たりにくく、逆にこちらの長弓は放物線を描いて遠くまで届く。その独り言に、ゼビウスもまた小さくうなずく。
「連合軍さらに接近。距離約1km」
望遠鏡に目を当てたままのサムライがシノに報告する。砦周辺の空気が急激に乾いているような気がする。
ナレ砦に近づくにつれて道幅は狭くなり、敵の進行方向右側は急峻な崖、左側は岩山という状況だ。地形から考えると攻め落とすのが難しい難攻の砦である。右側の崖は落ちると200mは落下してしまう、目も眩むような高さだ。
砦を視認したレーエンスベルク辺境伯次男ゲオルグは、全軍に進軍停止を命じる。
「我が軍は後方で待機する。まずはシュトラント勢で砦を攻撃せよ」
そのゲオルグからの命令にシュトランド伯爵マヌエルとエッシェベルク子爵マインラートは顔を見合わせる。まずは強兵で名高いレーエンスベルクの兵士に攻めてほしかった2人なのだ。レーエンスベルク辺境伯の兵は歩兵1800名に対して、シュトラント伯爵領からは歩兵800名、エッシェベルク子爵領からは歩兵100名と、合計2700名の連合軍となっていた。
前方には情報には無かった新造の砦が築かれており、攻略は容易ではないと感じる。道幅も10mほどしかないため大軍の利を生かせない。それでも大将はゲオルグなのだから、まずはシュトラント勢があたるしかない。
「前方に盾の部隊、後方に弩隊を配置し、弓で攻撃する」
マヌエルは部隊を編成し200人の攻略部隊を編成する。太陽が照りつける中、周囲は遮るものがない岩肌がむき出しになっている。身を隠す場所が全くない。
「盾を上に構えろ! 第1攻撃隊、進発せよ!!」
そうマヌエルが命令すると第1隊はゆっくりと前進していく。それを砦の上から見ていたゼビウスは、距離を測り始める。
「俺の合図で一斉射撃だ」
季節の割には気温が上昇して汗ばむほどの陽気である。風はほとんどない。
「敵、距離200m」
サムライの声が響き、もうすぐ有効射程距離に入る。
「射ち方用意!」
予備役20名を加えた100名の第1弓隊のうち、横に15名、縦に3列の第1部隊計45名が弓を引き絞る。敵が盾を上に掲げながら150mのラインを突破した。
「第1部隊、打ち方~始め!」
その瞬間、矢は唸りを上げて敵部隊に襲いかかる。1分間に約300本の矢が射出され、敵に容赦なく降り注ぐ。敵の弩の射程はまだ先だ。盾を上げても全部は防げず鎧の隙間に矢が突き刺さるため、シュトラントの弩隊から次々と悲鳴が上がる。一方的な戦闘になった。弓の第1部隊は後退し、入れ替わって第2部隊が砦の上に展開する。
「休むなよ! 第2部隊、打ち方~始め!」
長弓は10秒間に1回は射出できる。第1部隊と第2部隊が入れ替わり、休みなく弓を射出するため、シュトラント勢は弩の射程距離に入る前に3割が負傷してしまった。
「これでは被害が拡大するばかりだ。退却せよ!」
マヌエルの命令で第1隊がゆっくりと後ろに下がっていく。その動きを確認したゼビウスは、イルマ隊との交代を命令する。
副長たちは、準備に忙しく立ち回っていた。
「負傷者はいないか?」
相手がすぐに撤退したため負傷者は0であった。第1弓隊の副長は緊張がとけ肩の力が抜ける。
「すぐに水を飲んで食べられる奴は何か食べろ! 少しだけなら、仮眠も許す!」
第2弓隊の副長コンラートはさすがに緊張の面持ちのままだった。
「すぐに持ち場を交換し、次の襲撃に備えるんだ。敵も本腰を入れてくるぞ!」
一方、シュトラント伯爵家第1攻撃部隊は後方の仮設テントまで撤退する。
「まさか、あんな砦があるとは予想外でした」
ゲオルグが敷設した幕舎の中に入ったマヌエルが、忌々しそうに報告する。敵の弓隊はおおよそ50名前後であること、敵の士気は高いことを報告する。
ゲオルグの傍らに控えている参謀から作戦が話される。
「弩での攻撃はあまり効果がなく、崖も山も天然の要害となっています。別のやり方で、あの砦を攻略するしかありません」
「それは分かるが近づけば長弓の餌食になる。どうするのだ?」
「とりあえず、その準備に取りかかりましょう」
§
次の日から、ぴたりと攻撃が止み、ゼビウス、イルマ、ヤスミン、シノは砦近くの木造小屋の中で対策を話し合っていた。まずシノが私見を述べる。
「敵が攻めてこないのは、何かの準備をしているということです。私が敵なら2つの攻め方を用います。1つ目は夜間に梯子を使っての力攻め、2つ目は簡易の攻城道具を使って扉を破壊することです。敵の数は10倍以上。夜間攻撃の可能性が高いと思われます」
それを聞いていたゼビウスから1つの提案が出される。
「梯子攻めの際、砦の扉を開けて白兵戦に持ち込むのはどうだ?」
「それは危険です。砦の扉を突破されたら私たちの負けなのです。それに……」
シノが言い淀み、連合軍本陣の方に目を向ける。
「敵にはユラニア大陸でも有名な参謀がいるのです」




