第179話 避難民を受け入れろ!
王国歴164年11月2日 午前8時 ナレ砦にて――
一方、ナレ砦では一向にやってこない連合軍を訝しんでいた。シノも砦に赴き、状況の分析に余念がない。砦に併設された木造小屋で朝食を取りながら、ゼビウス、イルマ、ヤスミン、シノ、ディーヴァ、ジーナ、レベッカの8人は現状について話し合っていた。
「ここまで進行が遅いのは、ヴァルデック領の執事が何かをしたのでしょう。有能な方ですね」
シノが感心したようにテーブルの前で細くて白い指を結ぶ。砦の軍備は完了しナレ砦は山中に偉容を誇っていた。
「情報収集に努めましょう。ヤスミンさんはモミジとカエデを連れて10kmほど先で索敵し、何かあったらすぐに連絡をお願いします。危ない時は即、撤退してください」
「分かった」
そう言うとヤスミンはすぐに出発する。砦の入口はすでにサムライたちに開けられており、ヤスミンたちは馬で門を駆け抜ける。崖沿いの細い道を一列になりながら、あっという間に砦から見えなくなってしまった。
ヴァルデック領へ向かって馬蹄を響かせていると、2時間も立たないうちに多くの人が前方に現れた。優に2000人は超えている。雨が降り続いているため、足元がぬかるみ歩きにくそうだ。雨と泥の匂いが周辺に漂っている。
「モミジ、接近して詳細を調べて」
返事をしたモミジは、するりと服を裏返し、薄い緑色の布を表にする。山の木々に紛れるように歩いている人たちに近づいていく。
(服装が一般人に見える。ん? 子ども?」
寒いためかブルブルと震えている人が目立つ。手を引かれて歩いている子どもが多いことから偽装した軍ではない、と判断したモミジは急いでヤスミンの元に戻っていた。
「歩いてくるのはヴァルデック領の人たちと思われます。近くに軍は見られません」
報告を聞きヤスミンはすぐに新しい命令を下す。
「カエデ。ナレ砦に戻ってシノに伝えて」
「はい」
カエデはすぐに馬上の人になっていた。
「モミジは私と一緒に調査続行」
「はい、ヤスミンさま」
二人は馬を降りて、ゆっくりと避難民の様子を詳しく調べるのだった。
§
「レネ、これはどういうことだろう?」
カエデの報告を受けて、シノはすぐにレオンシュタインのもとへ早馬を出した。カエデは休む間もなくクリッペン村へと走る。詳細をカエデが報告し、村長室は緊張に包まれる。レオンシュタインのまわりには、レネ、フリッツ、ティアナ、ヨシアスが詰めている。
「おそらくヴァルデック領から避難してきた人たちでしょう。早急に受け入れの準備をしなければなりません。フリッツ、任せていいか?」
「勿論だ。で、規模はどれくらいだ?」
「ヴァルデック領の領民は約4万人。最大でも2万人は超えない。1万人程度で考えてくれ」
「分かった」
そう言うとレネは立ち上がり、窓から海を眺め感嘆の声を漏らしていた。
「ヴァルデック領の執事は優秀です。ここまで侵攻が遅いのは執事が手を打ったのでしょう。ヨシアス殿、執事の名前はなんというのですか?」
「フォルカーだ。やる気はないが優秀な男だ」
「やる気がない?」
言葉に矛盾があるのではないか? ヨシアスはいやいやとそれを否定する。
「とにかく面倒なことが嫌いなんだ。領土の事務手続きが面倒だからと簡単にし、税の集金システムも面倒だからと簡単にしてしまった。それでも領内はうまく回ってたな」
それはそうだろう。単純なシステムの方が領民は安心できる。
「フォルカーさんは優秀なんですね。雇った経緯は?」
レオンシュタインは興味津々で尋ねる。ヨシアスは腕を組みながら、少し昔の記憶を引っ張り出していた。
「ヴァルデック領のために働いてくれる人を募集したら、ふらっとやってきたんだ。確か行商人だったかな。何をやってもソツがないし、自分にも物怖じしないで進言するから、思い切って執事に任命したんだ。領民への減税や法律の簡素化を進めて領民には喜ばれたんだけど、お金は減っていったなあ」
「どうして?」
ヨシアスは頭をかきながら俺のせいだと視線を落とす。
「フォルカーが執事になってから、領地の収入は増えたんだ。それに気を良くした俺が陶磁器にのめり込んで使ったんだ。フォルカーからも、やってもいいけど使い過ぎですって言われてたんだが……」
止められなかったらしい。
「領地を放棄したのもフォルカーさんの進言ですか?」
「いや、フォルカーは最後まで反対したんだ。俺が無駄遣いを止めれば、持ち直しますって何回も言ってくれたんだがな」
ヨシアスは少し寂しそうな表情になる。さすがに、フォルカーに悪いと思っているようだ。
「あいつは最後まで領民のためって言ってたなあ。そこがあいつの偉いところだよ」
フォルカーの人となりがよくわかる。
「だが私は自分の選択に後悔はない。陶磁器の完成は自分の悲願なのだ」
ぶれないヨシアスも、ある意味、あっぱれな人物だろう。レオンシュタインはこんな従兄弟を憎めない。フォルカーの話が一段落したところで、レネは1つの命令を出す。
「フリッツ、とりあえず1万人の受け入れ準備を進めてくれ。シキシマの方でも、住む場所は空いているはずだ」
「了解だ。早速、進めよう。ただ、ゴート族への偏見について釘を刺しておく必要があるな。差別が酷いようなら出て行ってもらう必要がある」
クリッペン村の住民には、ほとんど差別が見られないが、ヴァルデック領ではそうとも限らない。レオンシュタインが眉をひそめていると、ヨシアスが話に割り込んでくる。
「ん? ヴァルデック領はゴート族と仲いいぞ! 前は少し偏見もあったんだけど、ほらレオン。2年前の不作、覚えてるだろ」
少しだけレオンシュタインが青ざめる。餓死者を出すくらいの不作だったのだ。
「そんときゴート族から米を買ってから偏見はかなりなくなったぞ。命がかかった時の恩は誰だって忘れないからな。領民のゴート族への偏見がなくなってきたのを見計らって、俺とフォルカーはゴート族との取引を推進したんだ」
やはりヨシアスとフォルカーの行政手腕は悪くないとレネは密かに思う。それでも、赤字が出てしまうところに統治の難しさがあった。少し安心したフリッツは、シキシマのマサムネと相談すべく、書類を揃えて旅立っていった。
それを見送ったレオンシュタインは、ほかにやることはないかレネに尋ねる。
「すでに準備はできております。あとは領地経営について学びましょう。これから、人口が増えるはずですから。あと、ヨシアス殿にはナレ砦に行ってもらいましょう。避難民が安心できる要素を増やしたいですから」
「おう、分かった。でも、危ない時は逃げるぞ!」
「ヨシアスさま。危ない時は村も危ないんですよ」
レオンシュタインに突っ込まれながらも、ヨシアスはすぐに出発の準備を整える。
「カエデ殿……。うむ、あと5年もしたら声を掛けさせてもらおう。可憐な少女だ」
ティアナとカエデの目が冷たい。シャルロッティの筆も絶好調だ。メモに書かれた文字がどんどん埋まっていく。
「ねえカエデちゃん。あの人におかしな振る舞いをされたら、偶然を装って崖下に突き落としていいよ」
「分かりました、ティアナさま」
恐るべき命令が下されたとも知らず、ヨシアスは上機嫌で出発する。それを見送ったレオンは後ろから声を掛けられる。
「では、レオンさま。今日は税制について学びましょうか」
「……分かりやすく頼むよ」
レオンシュタインの姿を見ながら、ティアナは変化する環境に少しずつ戸惑いを感じるのだった。
(レオン。何だか領主っぽくなってきたなあ……)




