第145話 水回り、大事
王国歴163年9月8日 午前9時 クリッペン村の村長室にて――
1ヶ月くらいたったある日のこと、一人の中年男性がぶらりと村長室に入ってきた。栗毛で身長は低く服は所々すり切れ、白い粉が所々についていた。護衛のイルマは鋭い視線で睨み付ける。
「あの……ディーヴァに呼ばれて来たんだけど」
「あなたは?」
「俺はアレック。水路作りの天才だ」
悪びれもせず堂々と話すのを聞いてレオンシュタインは優しく微笑む。
「ようこそクリッペン村へ。今、ディーヴァさんに使いをやりますのでしばらくお待ちください」
すると、アレックは手を振って用件を切り出す。
「いやいやディーヴァにはそのうち会うよ。それより、この村は畑の水汲みに苦労しているね」
「そ、その通りです。どうしてそれが?」
「あ、俺、この村を3週間くらい調査したから」
「えっ?」
いつの間に調査したのだろう? 警備体制に不備があった、とイルマは唇をかむ。今はレオンシュタインの護衛で動けないため、面会が終わったらすぐにでもレネに相談しようと思ったイルマだった。アレックは、そのようなことは全く頓着しない。
「で、これが本題。水路、引く気ある?」
「もちろんです。でも、工事が大掛かりになるんじゃ……」
するとアレックは当たり前というふうに胸を反らす。
「そうだね。簡単なもので3ヶ月。この村を大都市にするってディーヴァから聞いてるんだけど。そのイカれっぷりが気に入ってるんだよ。そのお金あるの?」
あると言いかけて、用心したレオンシュタインは少ない金額を答える。
「今の所、お支払いできるのは小金貨50枚(5000万円)です」
「ふむ、それでは500mくらいしか引けないな。……タダ働きは絶対に嫌だしな」
「すみません」
男はあごに手を当てながら、机の前を行ったり来たりし始める。そして考えがまとまるとレオンシュタインの方を向く。
「山に詳しい友だち、呼んでいいか?」
「いいですが……木しかありませんよ」
「いやいや、周辺の山にはお宝が眠ってる。ま、それが、はっきりするまでは、ここに滞在するよ」
「はあ」
「じゃあ、俺は水路の計画でも立ててるわ」
そういうと村長室の二階に行って、一眠りを決め込んでしまった。
「主、注意は必要だよ」
「うん。でも、悪そうな人には見えないし」
「でも、勝手に領地内を歩いてたし……」
「ディーヴァさんに使いを出そう」
すぐにディーヴァが呼ばれ、二階に上がって寝顔を見た瞬間、知り合いだと証言してくれる。
「アレックは昔、俺の家の近くに水路を引いてくれた男だよ。畑作りには欠かせない男だから、声を掛けてみたんだ」
「ありがとう、ディーヴァさん!」
「いいってことよ」
昼の12時頃にアレックは目を覚まし、のこのこと二階から降りてくる。ディーヴァとの旧交を温めているうちに、レオンシュタインは昼食を一緒に食べようと提案する。昼食を作ったティアナの仮面にギョッとしながらも、テーブルの上にあるパンやトマトに遠慮せずに手を伸ばす。
「この村はまだ食事が美味しくないな」
「そうですね。職人さんはまだ定住していませんし、商人もめったに来ないですから」
アレックはガブリとパンを囓り取る。
「でもな。これから発展するんだから、それでもいいかもな」
「アレック。とにかく水路をしっかり作れよ。ルカスの畑からは、うまいもんが山ほどできるんだからな」
「へいへい」
そんな会話をしているオイゲンが久々に村に帰ってきた。馬車で遠くの現場に行き、そこで長期間働いているため、なかなか会う機会がなかった。レオンシュタインは笑顔でオイゲンを迎え入れる。
「オイゲンさん、お疲れ様でした」
「お、レオン! 今回もいい仕事をしたぜ!」
真っ黒に日焼けした顔の歯だけが白く輝き、充実した毎日だったことが分かる。そう言うと、近くの川に水を浴びに行った。
「いやあ、水浴びもいいが風呂やサウナがほしいな! ディーヴァ!」
「お前が水道を引いたら作ってやるよ!」
「まあ、待ってろよ。すぐだからな」
布で全身を拭くオイゲンにディーヴァが茶々を入れる。
(水道?)
驚愕の眼差しで自分を見ている男にオイゲンは気付く。
「誰? この人?」
「ディーヴァさんの知り合いで、水路作りの天才アレックさんです」
レオンシュタインが笑顔で紹介し、水で薄めたワインを手渡す。
「ふん。水路ね」
そう言うとワインを一気に飲み干した。アレックは上から下までジロジロと眺められ、羞恥心でいっぱいになる。水道作りに比べたら水路作りなんて子どもの遊びみたいなものだと、以前、師匠に言われたことがあった。それだけ水道作りは難しく、高度な技術を持つ人物しか取り組めなかった。
「アレックです。畑や街の水路作りを専門にしてます。どうぞ、よろしくお願いします」
大分、殊勝な言葉遣いになっていた。何より水道造りにはアレックも興味があり、何とか一緒に作業したいものだと考えていた。豪快なオイゲンは、笑いながらアレックの首に手を回していた。
「アレック。お前、図面引ける?」
「ええ、一応」
「そりゃ凄い。明日から俺に同行してくれ」
「もちろんです!!」
意気投合した2人は、すぐにオイゲンの家で飲み直すことになったのだった。
§
次の日から、アレックはオイゲンの助手として働くことになったが、スケールがあまりにも違い過ぎることに、度肝を抜かれていた。
現場まで行って分かった事だが、現在は水源から村まで約10kmの道のりに水道を引いている最中だった。今まで最長でも3kmほどの水路しか造ったことはない。師匠が水路作りなど子どもの遊びと言った理由が分かる。
オイゲンは地形調査だけではなく、水道管の制作、傾斜、水道橋、設計図、経理すべてを一人でこなしていた。水路作りには管を作る必要も無く、橋もない。1週間オイゲンと一緒に働いたアレックは、オイゲンに心酔してしまった。
ただアレックは唯一オイゲンのお金の使い方が気になっていた。金に糸目をつけないのだ。
「金はある。だから全力で働け。一番作業の早い班には、さらに金一封をつける」
あまりの浪費にアレックは疑問を呈した。
「親方、いくら何でもお金を払いすぎじゃないですか? こんなんじゃ、お金がいくらあっても足りませんよ」
当然の疑問にオイゲンは丁寧に答える。
「アレック。普通ならそれでいい。が、今はそんなことを言ってる時間はねえ。時間との勝負なんだ」
「時間?」
「ああ、一刻を争うんだ!!」
「なぜそんなに急ぐのです? 別に人が急激に増えるわけでもないでしょう」
その瞬間、オイゲンは目をギラッと光らせる。
「そう、誰もがそう思ってる。すぐに人口が増えないと。でもな、レオンの村づくりは国づくりと同じなんだ。あっという間に人は増える。絶対だ!!! その時、『水がない』じゃあ話にならないんだ!」
オイゲンはさらに続ける。
「アレック。今、レオンの村には大きな流れがきてる。お前だから言うが、俺はレオンから大金貨500枚(50億円)を預かってる。全部、使っていいそうだ」
「だ、大金貨500……」
あまりのことにアレックは二の句が継げない。
「持ち逃げされたって無理はない金額だ。でも、あいつは俺を信じてる。そこまで信頼してくれる人の気持ちに全力で答えるのが職人ってもんだ。まして俺はレオンの友人だ。だから俺の全てをかけるんだ」
「全て?」
「人は人生で勝負をかけないといけない時がある。それが今だ。俺は完璧な水道を完成させる。特級水道なんて当たり前だし、下水道も同時に敷設する。衛生的な環境は病人を遠ざける。俺がこの村を発展させるんだ。レオンの夢を叶えるためにな」
特級水道はそのまま飲める水、1級水道は煮沸等をすれば飲める水だと教えてもらう。今はスピード勝負のため1級水道で我慢するとオイゲンは答える。アレックにオイゲンの覚悟が伝わったのか、アレックの顔つきが変わった。
「分かりました。私も全力を尽くします」
「よし! まずは1級水道、そして下水道だ。これを完成させる」
「ビシビシ、こき使ってください!」
「頼むぜ!」
次の日からは、オイゲン、アレック両者ともに現場指揮に入った。オイゲンは自分の仕事の傍ら、アレックに水道の敷設のやり方を学んでいった。アレックが取り組んでいたのは村のし尿を流す下水道だった。何度も失敗を繰り返しながらも、3ヶ月、4ヶ月とアレックは諦めなかった。
(俺もオイゲンさんのような職人に!)
アレックは自分が水道を造れる職人になるという夢を胸に抱きながら、毎日のように現場近くで眠っているのだった。毎日のようにアレックは造った浄水施設を見て回り、メンテナンスに余念がなかったが、うまく稼働するか常に心配だった。
「失敗は成功への階段の一段目。そのうち成功に至るさ」
何度も繰り返し励ましてくれるオイゲンの言葉で、アレックは少しずつ失敗を恐れないようになっていった。
§
「よし、流せ!」
オイゲンに手伝ってもらいながらアレックは初めての下水道を敷設し終わった。川から水を引き、使った後は川へ戻すシステムだ。
「さあ、無事に村に届いているかな」
馬で下水管を敷設した場所を確認しながら進む。2kmほど進んだ時、水が吹き上がっている場所を発見する。
「3番バルブを閉じろ」
早速伝令が飛ばされ、3番バルブが閉じられる。吹き上がっていた水はすぐに大人しくなる。
「水道管の上を掘り起こせ」
すぐに壊れている土管が取り除かれ新しいものと取り替えられる。
「伝令! 3番バルブを開けろ!」
アレックは祈るように目の前の埋設場所を眺めていた。しばらく経っても水は吹き上がらない。
「よし、次だ!」
こうしてアレックは全長10kmに渡る下水道を敷設することに成功した。取り掛かってから、実に9ヶ月がすぎており季節はもう5月になっていた。オイゲンは昨年の12月に1級水道を完成させ、村に潤沢な飲み水を供給していた。
「いい季節にできたな」
完成の日はオイゲンもやってきてアレックの偉業を褒めてくれた。それは嬉しいことだったが、オイゲンは2月には簡易の下水道の工事、特級水道の工事まで進めていたのだから恐縮しきりだった。
「親方は俺の3倍以上、仕事をしてるじゃないですか」
「何を言ってるんだ、アレック。下水道を完成させるってことは、誰にでもできることじゃない。ものすごいことなんだ。胸をはれ」
自分の下水道がトイレを綺麗にするのを見て、ようやく安堵したアレックだった。
「今日は乾杯だ。全員が酔いつぶれるまで飲むぞ!」




