第140話 村の灯
王国歴163年4月28日 午前8時 ヴァルデック領の山奥にて――
シャルロッティの怒りが天に通じたのか、朝方には雨が止んでいた。荷台から首を出したフリッツは、空を眺めて安堵の溜息をつく。地面の上に置いた鍋に乾いた小枝を入れ、火種から火をつける。久々の火の暖かさは自然に人を呼び寄せ、衆目の見つめる中フリッツは焚き火の上に鍋をかけ、水とエン麦そして塩を入れた。
棒でかき混ぜると白い粥状のものが少しずつ固まってくる。
「お粥で申し訳ないです。少しだけ干し肉を入れて食べるといいですよ」
一人に大人の握り拳1つ分のお粥が取り分けられる。各人の好みで塩を入れたり、干し肉を入れたりしている。久々に暖かい食べ物を食べることが嬉しい。粥が喉を通るときの暖かさが何とも心地よい。胃の中もぽかぽかと暖かくなり、みんなに笑顔をもたらした。
「何だか忘れられへん味になりそうやな」
シャルロッティの言葉にみんなが同意の表情で頷く。質素だが元気づけられる食事を取り、みんなは出発の準備を始める。手綱の調整や馬の食事、水やりなどやるべき事は多い。馬たちにも疲労が少しずつ見え始めているが前に進むしかない。ウェンドローの町へ戻るには食料が足りないのだ。
「さあ、行きましょう!」
レネの声で馬車が動き始め、一行は大人が走るくらいの速度で低木の生い茂る森を走り抜けていった。
そのまま、食料の残りが1日分になった日の夕方、道の先に微かな灯りが見えた。たいまつの灯りらしく、ゆっくりと動いているのが分かる。
「どうやら……到着したようです」
万感の思いを込めてレネがつぶやく。
互いの手をたたき合いながら、ティアナやヤスミンが到着を喜んでいる。バルバトラスとゼビウスは、がっしりと握手をする。フリッツはその場にへたへたと座り込んでしまう。食料の管理はフリッツで、今日の夕方を食べてしまえば、あと1日分しか残っていなかったからだ。
夕方になると、みんな食事もそこそこに眠りについてしまった。耳を澄ますと、遠くから風が吹くようなザアザアという音が絶え間なく聞こえてくるのだった。
翌朝、雲は所々に見えるものの太陽の光が眩しく光る。
朝食が済むと、みんな近くにある小高い丘に登りに行った。前方は崖になっており、遠くに集落の様子がはっきりと見える。目の前には2つの丘陵に囲まれた湾が広がっていた。東側は切り立った崖が真っ直ぐ続き、その下は白く波だっているのが見える。
西側は巨木の広がる丘陵地帯で、これまた真っ直ぐに伸びて湾を挟んでいる。東と西の丘陵の間は1300フィート(約400m)しかなく狭い印象を受ける。小屋は10cm角の箱にしか見えず、数えてしまえそうなくらいしか立っていなかった。
「ここからの景色は凄いね。湾が一望だよ」
感嘆の声を漏らしたイルマと同じ気持ちをみんなが抱いていた。しばらくは会話もなく、その広々とした景色を眺めるのだった。
馬車に戻り、ゆっくりと村の中央まで移動する。村長の館らしい丸太小屋の前に2台の馬車を停め、まずレネとレオンシュタインが村長の館に入っていった。
「村長さんはいますか?」
レオンシュタインの声に反応した初老の男性がついっと前に進み出てくる。
「私が村長のレイデルゾンです」
ゆっくりと差し出された手を握るとゴツゴツとしており、生活の苦しさを感じさせた。
「私の名前はレオンシュタイン・フォン・シュトラントです。兄上からの連絡はあったでしょうか?」
「いいえ、何も」
「そうですか。実は私がこの村を治めることになったのです」
任命書を村長に手渡すと村長はそれをちらりと一別する。
「そうですか。では、私はもう故郷に戻ってもよいでしょうか」
「はい。ただ、その前に少しだけ村のことについて教えて欲しいのですが」
「教えることなど何もありません。小さな村ですから。資料といってもわずかなものです」
一刻も早く戻りたい気持ちを隠そうともせず、村長のレイデルソンは早口でまくしたてる。顔を見合わせたレネとレオンシュタインは村長の願いを叶えることにする。村長はその日のうちに馬車に荷物をまとめ、挨拶もそこそこに去っていった。
「ここの暮らしが嫌だったのかな」
小さくなっていく馬車を眺めながらティアナが寂しそうに話す。それとは反対にバルバトラスは嬉しさが表情に溢れていた。
「俺は楽しみで仕方がないぞ。この村で俺はやりたいことがある」
フリッツも満面の笑みだ。
「法的にも村の所有者はレオンシュタインさまです。みんなが笑って暮らせる村を目指しましょう」
全員、馬車から荷物を降ろし村長の丸太小屋に入っていく。
ついに夢の第一歩が始まったのだった。




