第136話 フリッツの外交無双
王国歴163年4月20日 午前10時 シュトラント城 謁見の間にて――
「本日は新シュトラント伯爵マヌエル卿にお目通りが叶いまして、これに勝る喜びはございません」
頭を床につけんばかりにしてフリッツは拝謁の礼を述べる。その姿を鷹揚に眺めながら、マヌエルは尊大な声を出す。
「フリッツ卿、3年前の婚約者の出来事は気の毒に思っていた。今日は久々に会えて嬉しく思う。して、何用か?」
「はっ。実は私、縁あって弟君レオンシュタインさまの旅に同行しております」
やや眉をひそめたマヌエルは椅子の手摺りを強く握りしめ、警戒するような表情になる。隣に立っている次兄にしてエッシェベルク子爵でもあるマインラートは、表情を変えず音も立てずに屹立していた。壁際には執事と警備のための騎士2名が並んでフリッツを睨み付けている。
「北のグブズムンドル帝国やユラニア王国にて様々な修行を積まれております。王国においてはグライフ公爵ウルリッヒ卿、ご子息ルドルフさまと交流をもつことができました」
「ほう、ウルリッヒ卿とルドルフさまに……」
王国の一大勢力であるグライフ公爵家との交流はシュトラントによい影響をもたらすと、マヌエルとマインラートは頭の中で計算し始める。
「実はウルリッヒ卿より新シュトラント伯就任のお祝いをいただいております。多忙の折、遅れたことを詫びるとウルリッヒ卿はおっしゃっておりました」
「何! ウルリッヒ卿から! そ、それはありがたきこと」
椅子からやや腰を浮かせながらマヌエルは答え、周囲で聞いていた執事たちにも驚きと喜びの輪が広がっていった。
「その慶事に先駆けて、レオンシュタインさまよりお祝いを預かっております。ウルリッヒ卿との交流を祝して、これまでの修行で得たものを差し出したいと」
「それは殊勝なことだ」
傍らに置いていた飾りのついた木箱をフリッツは大仰に開き、中身がよく見えるようにマヌエルの方に傾ける。
「小金貨30枚(約3000万円)でございます」
執事に持っていくようにお願いすると、執事はやや震えながら木箱をマヌエルの横のテーブルに置く。マヌエルは驚いた様子でその金貨を眺め、1つをつまみ上げて本物であることを確認する。
「どうやら立派に修行を行っているようだ」
労いの言葉を発したけれども、それは金貨に対する礼に他ならなかった。
「はっ。全て兄上のおかげであるとレオンシュタインは申しております。そこで、マヌエルさまにお願いの儀がございます」
「何だ?」
「レオンシュタインさまは修行を終え、シュトラントに戻りたいと申しております。それというのもレオンシュタインさまはウルリッヒ卿よりユラニア王国外交補佐官に任じられる運びとなっております」
やや不快げな表情になったマヌエルはマインラート子爵の方へ顔を向ける。同様に苦い顔つきになっていたマインラートは、マヌエルの目を見ながら「不利益な提案であれば反対しますよ」と小さく頷いていた。それを察したフリッツは下げた頭をさらに下げて、執事にウルリッヒ卿からの手紙を手渡していた。
「レオンシュタインさまが領土なしで外交補佐の仕事をいたしますとシュトラントが無用の侮りを受けないか心配しております。シュトラント伯爵の名声に傷がついては一大事とレオンシュタインはそればかりを心配しております」
即答を避けたマヌエルは、傍らのマインラートに目を向ける。軽く頷いたマインラートは、そのあと首を小さく横に振っていた。
「そのことについては即答はできん。明日、また来るように」
「はっ。本日は大切なお時間を使っていただき、誠にありがとうございました」
頭を深々と下げるとフリッツは謁見の間を退出していった。マヌエルは執事に飲み物を持ってくるように命令する。
「マインラート。お前、どう思う?」
「レオンはどうでもいいですが、ウルリッヒ卿の不興だけは避けたいですね」
ほぼ同じ考えにマヌエルは安堵する。執事から渡された文書には、レオンシュタインをユラニア王国外交補佐官に任じるにあたり、シュトラント伯爵マヌエルの許可をもらいたいという内容が書かれてある。断るわけにはいかないが、自分の直轄領を与えるのは気が引ける。
沈黙の中、執事が白ワインをもって戻ってきた。マヌエルはマインラートにグラスを勧め、自らもワイングラスを手に取る。グラスを手に取りながらマインラートは昨日の一件を思い出す。
(レオンシュタインに領土を与えるような流れに……)
§
謁見の前日のことである。
エッシェベルク子爵マインラートの屋敷に尋ねてきたフリッツは、小金貨5枚(500万円)をマインラートに差し出していた。何とか修行を終わらせてほしいこと、小さくても領土が欲しいことをマインラートに訴えてきた。
「なにとぞマインラートさまのお力添えをお願いします。レオンシュタインに付き添っている者たちは長旅に辟易しております。その日暮らしはもうたくさんでございます」
「ほう。そんなに不満が高まっておるとは……」
内心の歪んだ喜びを隠そうとマインラートはあえて厳しい表情を作る。
「はい。ただ、ウルリッヒ卿の依頼があるため離れるわけにもいきません。かなり親しく交流していたものですから。帝国から金も……」
そこで口を閉ざしたフリッツはマインラートを見てニヤッと笑う。
「願いが聞き届けられましたら、さらに小金貨5枚を献上いたします」
「分かった。兄上に働きかけてみよう」
「ありがとうございます」
ワインをフリッツに手渡したマインラートが向かいの椅子に座るよう促すと、フリッツはぎこちなく椅子に腰掛ける。
「ところで、フリッツ卿。俺に使える気はないか?」
「とてもありがたい話ですがレオンシュタインから離れてしまっては、金が手に入りにくくなります。私も金は欲しいですから。ただ、働くならマインラートさまのためと常に思っております」
「うむ、これから親交を深めようぞ」
「あ、ありがとうございます」
空中で乾杯をしワインを飲み干すと、フリッツは頭を下げたまま退出したのだった。
§
考え続けていた領土の件について兄に話す時がきたと、マインラートは腹に力を入れていた。小金貨5枚はいい小遣いになる。マインラートはシュトランド伯マヌエルの側に音も立てずに近寄ると、フリッツには聞こえない程度の声で進言する。
「兄上、クリッペン村かエルプガウの町はどうでしょう。クリッペン村は犯罪者が送られる廃村、エルプガウは現在、盗賊団がはびこっております。どちらを与えても痛くはありますまい」
マヌエルは満足そうにマインラートを眺める。
「それはよい。どちらも税は徴収できるしな。さすがはマインラートだ」
「お褒めに与り恐縮です」
窓から太陽の光が差し込み、金色の調度品がいっそう輝く。父親の時よりもさらに多くの絵画や彫刻が置かれており、芸術への造形が深いことが分かる。
「まあ、とにかく臨時のお金が入ったのだ。奴が来たら祝賀の宴でも開いてやるとするか」
「さすが兄上、お心が広うございますな」
二人は顔を見合わせて優雅に笑い、マヌエルは頭を下げたままのフリッツに向けて宣言する。
「フリッツよ。レオンシュタインの帰国を許す。また、その暁には領土も与えると伝えるがよい」
「マヌエルさまのご寛容に、このフリッツ、感謝の言葉もございません。すぐにレオンシュタインを連れて登城することでありましょう」
これによってレオンシュタインの帰国が決定した。
翌日、事の経緯をマインラートより知らされたフリッツは小金貨5枚を手渡し、深々とお礼をする。ほとんど何もせずに金を受け取ることになったマインラートは、顔が緩みっぱなしでご満悦だ。
すぐにマインラートの屋敷を離れたフリッツは道中で喜びを爆発させた。
(我が事なれり!)
宿に着くと、すぐにレネに向けて帰国するようにとの早馬を飛ばすのだった。




