第110話 ノイエラント設立へ
王国歴163年3月28日 午後9時 ヘルマンニの隠れ家前にて――
「どうした? きつそうだな」
ヤスミンは肩で大きく息をしていた。5人の男が腕を切られて剣を落とし、うずくまっている。けれども、大男、小男、ヘルマンニは無傷のまま、後ろに立っていた。
「さっきの借りは返すぜ」
ナイフを構えた小男は、ヤスミンに用心深く近寄っていく。ヤスミンの握力は既に限界に近く、小男の攻撃を受けてダガーを落としてしまった。小男の顔に勝ち誇った表情が浮かぶ。それを見たヤスミンは、手足をブラブラさせてリラックスした状態を作りだす。
小男がナイフを突き出してきた瞬間、ヤスミンは小男の腕をきめてみぞおちに右膝を叩き込んでいた。小男は息も出来ずに、その場に倒れ込む。
「まだ戦えるのか。バケモンだな」
大男のロングソードが月光の下でギラリと光る。もはやヤスミンには戦える力が残っておらず、地面に崩れ落ちていた。震える手で下着の紙切れに触れる。
(マスター……。ごめん)
ゆっくりと大男が近づいてきて、地面に膝をついたままのヤスミンはロングソードが落ちてくるのを覚悟した。
ロングソードを振り上げた大男は、ヤスミン目がけて振り下ろす。
ヤスミンは思わず目を閉じると頭上でガンという金属音が響き、黒衣の男の剣がロングソードをはじき飛ばしていた。
「ツヴァイヘンダー(両手剣)……」
「よくやった。あとは任せておけ」
黒衣の男はそう言うと大男に向かって猛然と剣を振るう。ツヴァイヘンダーは異様な音を立てながら、大男のロングソードへ襲いかかる。ロングソードは真っ二つに折れ、大男はあまりの衝撃に剣を落としてしまった。
大男の首元に剣を突きつけたまま、黒衣の男は横にいた斥候に身体を縛るように命じた。斥候はすぐにロープで大男の手足を縛り、その場に転がす。
「次はお前だ」
黒衣の男が容易ならざる敵であることにヘルマンニは気付く。しかも、どこかで聞いたことのあるツヴァイヘンダーを使う黒衣の男……。
まさか……。
「もしかして……死神ヴァレンシュタイン卿か?」
「そうだ……と言ったらどうする?」
「て、抵抗はしない!! だから、どうか、私の妻子は許してやってくれ」
「お前次第だ。知っていることを全て話してもらう」
その瞬間、ヘルマンニは両手を上に上げていた。斥候がヘルマンニにロープをかけていく。ヤスミンは金の隠し場所を黒衣の男に伝えると、急速に意識が遠のいていった。
§
王国歴163年3月30日 午前9時 カハトラ公爵家にて――
目が覚めるとヤスミンは公爵家のベッドの上で眠っていた。
「ヤスミン! 目を覚ましましたか?」
フリッツが枕元で叫ぶ。ベッドの周りには、フリッツとレオンシュタインが座ってヤスミンを見守っていた。飲み物を差し出しながら、フリッツはヘルマンニが全てを白状したことを伝える。執事も逮捕され牢に入れられており、落ち着いたら法の裁きが下されることだろう。
「……良かった」
フリッツはうんうんと頷く。ヤスミンは顔をレオンシュタインに向け、ほんの少しだけ笑う。
「マスター……。私、頑張ったよ」
けれどもレオンシュタインは険しい顔のまま、ヤスミンを見つめたままだ。
「マスター?」
「もう少しで死ぬところだったんですよ!」
訝しげな顔をしているヤスミンに向かって、レオンシュタインは強い口調で話しかける。
「伯爵家の悪事を……」
その瞬間、レオンシュタインはヤスミンの頰を軽く叩いていた。命がけでやってきたことをなぜ認めてくれないのか、頬に手を当てたままヤスミンは大きく目を見開き、大粒の涙をこぼしていた。
「ヤスミンが犠牲にならないと、公爵家は救われないのか……」
そう言うとレオンシュタインは部屋を荒々しく出て行った。ヤスミンに休むように言い残したフリッツは、すぐにレオンシュタインの後を追っていく。公爵家の庭は雪が大分消え、緑が少しずつ芽吹き始めていた。きっと夏には華やかな薔薇が咲き誇るだろう。
そんな広大な庭の一角にある東屋にレオンシュタインは立っていた。フリッツはすぐにレオンシュタインの側に駆け寄っていく。
「ダメですね、私は……。あんなに頑張ったヤスミンを傷つけてしまいました」
激しい後悔がレオンシュタインを襲う。でも、レオンシュタインには「命」を失うことへの抵抗感が強く、許せなかったのだ。そんなレオンシュタインの肩にフリッツは優しく手を乗せる。
「ヤスミンに指示を出したのは私です。叩かれるべきは私ですよ」
穏やかな口調のフリッツに、レオンシュタインはゆっくりと頭を振る。
「幸せのために命をかけることは、そんなにいけないことでしょうか? 誰かを守りたい、助けたいという気持ちは、尊いものではないですか?」
レオンシュタインは何も言わず、フリッツから視線を逸らす。
「ヤスミンは公爵家に笑顔をもたらしたいと言っていました。自分が不幸にした人たちにお金を返せない分、誰かを幸せにして罪を償うつもりなのです」
フリッツはレオンシュタインの前でひざまづき、目を真っ直ぐに見つめていた。
「ヤスミンは貴方との約束を命がけで守っているのです。一言でかまいません。褒めてやってくれませんか?」
地面に押し当てられた手にフリッツは力を込める。出会ったときの約束をヤスミンがずっと守っていることに、レオンシュタインは気付かなかった。あまりにも健気な行動に、思わず涙を浮かべるレオンシュタインだった。
その涙を優しく眺めていたフリッツは、ずっと秘めていた思いを打ち明けることに決める。
「レオンさま、ヤスミンにこんなことをさせたくないなら、自分で領土を、ノイエラント(新たなる地)をつくるしかありません」
「ノイエラント……?」
「小さくても良いのです。みんなが笑って幸せに暮らせる場所です。その道のりは遙か彼方ですが、私がその地までお供いたします」
膝をついたままのフリッツはレオンシュタインに向かって頭を下げる。
レオンシュタインはこれまでの出来事と自分についてきてくれた人たちに思いを馳せる。辛いことが多い中、笑顔でついてきてくれた友人たちに、自分はそれに値するだけの何かを渡すことができただろうか。
大きく息を吸い込み、レオンシュタインはフリッツを見つめて決意を述べる。
「ぼくは……、ぼくの理想とするノイエラントをつくります」
レオンシュタインはフリッツの手をがっしりと握り、決意を述べる。
この日はノイエラント設立に向けた始まりの1日となった。
そして、その小さな動きはやがて大きなうねりとなって大陸全土を巻き込むことになるのである。




