第107話 ヤスミン、娼婦を装う
王国歴163年3月26日 午前8時 ヘルマンニ商会にて――
「昨日の夜、商会に盗賊が入った疑いがある。そのため、全員、持ち物検査を行う」
朝の8時に全員が従業員小屋のホールに集められる。横一列に並べられ、メイドたちは不満たらたらだ。あの大男と小男がぎょろぎょろとした目を剥きだしてメイドを眺めている。検査を主導するようだ。昨日のうちに見つかるとまずいものをヤスミンは処理していた。ただ、あの箱と紙だけは下着に隠している。
「取りあえず、お前たちは下着になってもらおうか」
とんでもない指示にメイドは口々に抗議を述べる。しかし、小男は頓着しない。
「嫌ならこの商会を辞めてもらう。それでも身体検査は受けてもらうぞ」
どちらにしても同じことだが、昨日の今日で動きが早い。
(奴らを甘く見てた)
これだけは見つかるわけにはいかないとヤスミンは箱をそっと押さえる。周りの従業員は諦めて上着を脱ぎ始めるのに合わせて、ヤスミンも上着に手を掛ける。ヤスミンの褐色の肌と胸はどうしても目立つ。他の従業員の身体を舐め回すように見ていた小男が、ついにヤスミンの前にやってきた。
「おい、お前。早くその上着をどけろ」
「ど、どうか許してください」
上着で胸を隠していたヤスミンは、その胸の下着に例の箱を隠していた。その部分は不自然に盛り上がっている。消え入りそうな声で懇願するけれども、小男は薄ら笑いをしながらその願いを聞き入れようとはしない。
「ダメだダメだ。何か隠し持っているかもしれんからな」
意を決して服を落としたヤスミンは、同時に小箱を右手に隠し持ち、両手を頭の後ろで組むと髪の毛で箱が見えないように隠す。
「ほう、なかなかのスタイルだ」
小男の目はヤスミンの美貌と胸に集中するが、役目を忘れてはいなかったのだろう。視線が頭と手に集中している。
(しょうがない)
ヤスミンはさらに胸を強調するように立ち、小男に話しかける。
「ねえ」
「何だ?」
「私、今、お金が必要なんだけど、いい稼ぎになる仕事ない?」
小男はヤスミンの唇と胸に視線を戻していた。アサシンの訓練で学んだ交渉術を試し、男の気を引く声色を使い、目にも色気を混ぜる。
「あ、金が必要?」
「うん、手っ取り早く稼げるのがいいんだけど」
流し目を使いながら小男に近づき、息をふっと吹きかける。
「どう?」
せっかく訪れたこの幸運を小男が見逃すはずもない。髪の毛はボサボサであるにもかかわらず、よく見れば可愛い顔立ちと胸が強調されたスタイルをもっている。
「あ、あるにはある」
「本当? あんまり手荒なのは嫌なんだけど」
顔と胸を近づけ、さらに相手の耳元で囁くように話す。男の頬は上気し、明らかに自分の職務を忘れていた。
「わ、わかった。後で連絡する」
一瞬目をそらした隙を見てヤスミンはその場にしゃがみ込み、箱を服に隠す。
「服は着ていい?」
「もちろんだ」
ウインクをしながら、ヤスミンは連絡を待ってると小男に告げる。素晴らしい幸運を得た小男は職務を早く終わらせようと、せかせかと次の従業員の検査に向かう。箱が落ちないように気をつけながら、ヤスミンはゆっくりと服を身につけていた。
(まさかアサシン教団が役に立つとはね)
結局、持ち物検査では何も出てこなかった。部屋の持ち物も勝手に調べられていたようで、従業員からは抗議の声があがる。主人のヘルマンニは気にせず自分の安心を優先したらしい。通常通り働くようにとの命令がでて、みんな日常の仕事に戻っていった。
昼頃、掃除をしていたヤスミンに小男が寄ってきて顔を近づける。
「朝の話だが、明日の夜はどうだ?」
事を起こすのは明後日だったはず。前日に、自分を弄ぶつもりか。
「明日はちょっと忙しい。明後日ならいいんだけど」
少し落胆したような表情を見せた小男だったが、明後日でもいいだろうと考え直す。こんな幸運は滅多にない。
「明後日の午後6時に馬車に乗る。準備しとけ」
「いいけど、仕事の代金はいくらなの?」
わざとお金のことを切り出して、警戒心を下げるようにする。
「銀貨10枚(約10万円)だ」
「ええ? 相手は何人?」
「3人だ」
「ええ、3人? 疲れそう。銀貨20枚にしてくれない?」
「分かった、いいだろう」
「商談成立。じゃあ、明後日に」
そう言うと、ウインクをしながらヤスミンは仕事に戻っていった。今日はフリッツと定時連絡をするために、すぐにでも買い物に出かけたいヤスミンだった。買い物を装って連絡員にこの録音装置を渡せばいいのだが、今日に限って買い物の仕事がない。
やはり商会長のヘルマンニは警戒している。金の隠し場所を掴んでいない今、警戒されるような行動は控えたい。
(どうする?)
考えあぐねているヤスミンの耳に陽気な声が聞こえてきた。
「すいませ~ん。今日、買い物に来ていただけなかったので、こちらに野菜をお持ちしました」
(さすがフリッツ)
野菜売りに変装した連絡員が機転を利かせて商会にやってきたのだ。すぐに箱を手渡しに行く。
「ヤスミンさん、今日はどうして買い物に来なかったんですか?」
「昨日、いろいろあってさあ」
その瞬間、連絡員の目が光る。
「今日はりんごをこれで買えるだけ」
お金と一緒に礼の箱を手渡した。
「分かりました。じゃあ、今持ってきますね」
野菜売りは、すぐに荷馬車へ移動すると、そこに小男が走ってやってきた。野菜売りに苦言を呈するためだ。
「おい、お前。今日は商会に入っちゃいかん」
野菜売りに扮装した連絡員は、恐縮する表情をつくりひたすら謝っていた。りんごをヤスミンに手渡し、もう1つを小男にも手渡していた。ヤスミンは気をそらすために、小男に話しかける。
「ねえ、明日は買い物に行けるの?」
「ダメだ」
「じゃあ、明後日は?」
「明後日の午後なら、いいだろう」
「聞いた? 明後日ならいいんだって。あ、でも」
連絡員にヤスミンは目で合図を送る。
「明後日の午後6時、私、いないから、その前に野菜を運んじゃって」
小男がニヤリと笑うのを見ていた連絡員は、すぐにメモを取る。
「分かりました。午後6時前ですかね」
「最近物騒だから、お金は3人くらいで運んだ方がいいかも。私も後をつけられたことがあるから」
小男の視線が気になるのか、連絡員はそそくさと立ち去ってしまった。
(後はフリッツが上手くやってくれれば……)
明日に備えて、すぐに眠りにつくヤスミンだった。




