第106話 潜入捜査官ヤスミン
王国歴163年2月26日 午前9時 ヘルマンニ商会にて――
「今日から、この商会で働くことになったヤスミンだ」
使用人小屋のホールに、だみ声が響き渡る。商会の綺麗な店構えとは違い、木造小屋のホールは人が10人も集まると息苦しさを感じるくらいだ。メイドや下男はヤスミンを見ても、暗い目でうつむくだけだ。屋敷での扱いが見て取れる。
「よろしくお願いします」
挨拶にも軽く会釈を返す程度だ。それにしても思ったよりも楽に店に潜り込むことができ、ヤスミンは拍子抜けの気持ちになる。フリッツから言われたように町の口利き屋に出向いて手紙を渡したところ、すぐに従業員として紹介されたのだ。
目立たないようにとヤスミンは髪をバサバサにして目を隠し、顔全体も泥を塗って薄汚れたようにメイクをしている。挨拶もそこそこに、ヤスミンはメイド頭の女性に呼ばれると、仕事の説明が始まる。
ヤスミンが受け持つのは掃除、買い物の2つで、朝の8時から夕方の6時まで働くという契約になった。給料は1日につき大銅貨2枚(約2000円)だ。
(安!)
内心でヤスミンは毒づく。ただ食事は3回出されること、従業員用の宿泊施設を利用できることはありがたかった。
ダーグル伯爵家の御用達となっているヘルマンニの店は、店構えがかなり広い。2階建ての売り場と応接室(100㎡×2)、その横に倉庫(64㎡)が接続されている。他にもトイレや食堂、従業員宿舎が建ち並び、どこに何があるのかを探るには、しばらく時間がかかりそうだった。
「じゃあ、しっかり働くんだよ」
一通りの説明を受け、すぐ働くことになったヤスミンは、掃除をしながら従業員を観察し始める。
「賃金は安いけど他に働くところもないしね」
ほかの従業員の愚痴を聞きながら廊下を掃除する。
「あんたも、メイド頭に目をつけられないようにね。あいつ、すぐごはん抜きにするからさ」
メイド頭を睨み付けたメイドは、すぐに視線を落として掃除を続ける。ヤスミンは何も言えず、ただ黙って掃除を続けていた。昼になると、りんごを1つと10cmくらいのタラの干物だけだった。
(これだけ? マスター……)
塩漬けの味気ないタラを噛むと、やたらと喉が渇く。りんごも少し腐りかけで茶色の皮が広がり始めている。柔らかく腐りかけた部分はナイフで削り、口に含んでゴクリと飲み込む。体力の低下は避けたいヤスミンだった。
掃除を再開し、夕食までの間にヤスミンはだいたいの間取りと従業員の数を把握できた。
「ほら、お前たち。夕食だよ。ヘルマンニ様に感謝して食べるんだね」
煉瓦のように固いパンとほとんど水の野菜スープだけで感謝も何もない、とヤスミンは思う。周りのメイドたちは何も言わずにただ黙々と食事をするばかりだ。こんな食事でも抜かれるよりはマシなのだ。味気ない食事が終わり最後の掃除を済ませると、ヤスミンは従業員用の宿舎に移動していった。
(さ、寒い……)
部屋の壁を見ると所々に隙間があり、そこから冷気が入り込んでいる。メイドたちはボロきれを詰め込んでいるが期待する効果は上げられていなかった。
自分のベッドを確認すると、ヤスミンはベッドに腰掛け、ベッドルームを詳しく調べ始める。部屋には2段ベッドが6つ置かれ、8人の女従業員がこの部屋を利用していた。幸い、ヤスミンのベッドの上は誰も使っていない。
メイドたちは頭から毛布を被る。話など出来ようはずもない。疲れていることと寒すぎるためだ。外は風が強く、その風が入り込んでくる。荷物の麻袋を開きながら、ヤスミンはフリッツの依頼を思い出す。
――「ヤスミン。調べてほしいことは2つです。1つ目は公爵家から奪いとったお金の隠し場所。2つ目は悪事の証拠です」
詳しい話は忘れてしまったが、この2つだけはしっかりと覚えているヤスミンだった。また、袋の奥に隠していた卵くらいの箱にさわる。
――「これは音を記録できる魔法道具です。箱にボタンがあるでしょう。それを押せば30を数える間の音を記録できます。ただ、やり直しはできません」
ヤスミンはこの箱を下着の隠しポケットにそっと入れる。見つかれば只ではすまない。袋の底にやけに重い物が入っていると思ったら、ホールのチーズと袋に詰められた干しぶどうが入っている。
(フリッツ! ありがとう!!)
早速、干しぶどうに手を伸ばすと中に何か紙切れが入っている。それには『無事に帰ってくるのを待ってる』と書かれてあった。レオンシュタインの字である。
(マスター……)
その紙切れにそっと口づけをしてから、隠しポケットに入れるヤスミンだった。ヤスミンのベッドは入り口近くにあり、安全とは言えない場所だったが、そっと出て行くには都合の良い場所である。ベッドに横たわると毛布を被って、小さな声で『探知』の魔法を唱える。その結果、この時間は商会に人がたくさんいること、ここで魔法が使えることを確認する。
目を瞑ってしばらく仮眠をとり、深夜12時頃に再び目を覚ます。再度『探知』の魔法を唱えると、商会の応接室付近に2人、宿舎に16人がいることを確認できた。
けれども応接室の中は探知できない。
(結界魔法……)
『探知』『影足』が無効になる結界魔法は要注意だ。このように、商会内の情報を少しずつ集めていくヤスミンだった。ただヘルマンニは用心深く、手がかりをつかめない日が続いていた。
§
商会に動きが出たのは1ヶ月ほどたった3月25日だった。その日は早々に仕事が終了となり、夕食時、珍しいことに祝い酒が振る舞われた。
(怪しい……)
ヤスミンは飲むふりをしながら気付かれないように地面に酒を流す。他のメイドたちは飲んで陽気になっている。メイド頭は見て見ぬ振りをしている。部屋に戻る頃、メイドたちの足元はおぼつかなくなっていた。ヤスミンは自分のベッドの横で寝ているメイドに肩を貸していた。
部屋につくと、すぐに部屋は寝息で静まりかえる。横になっていたヤスミンは、廊下からの足音に気づき、慌てて眠ったふりをする。ギイイという音とともに一人の男がドアを開けて、部屋に入ってくる。手にはランプを持っており全員が寝ているか1つ1つのベッドを照らしている。
(眩しい!)
ヤスミンは眠ったふりを続け、しばらくすると男は足音を立てずに部屋を出て行った。足音が聞こえなくなるのを見計らって、黒い服に素早く着替えて黒いフェルトの靴を履き、ベッドの中で3回ほど『探知』を使う。
深夜12時の『探知』で、誰かが商会に向かっているのを確認できた。酒の件といい、寝室のチェックといい、何かがある!
すぐに廊下に出る。
3月になったとはいえ廊下は厳しい寒さだ。フェルトの靴がありがたい。足音を立てずに建物の陰から様子を眺めていると2人の男が歩いてくる。
(あいつらだ)
忘れるはずもない。公爵家で帳簿を探していた大男と小男だ。二人が階段を上がり応接室に入っていくのを見届けると、ヤスミンは二階の窓の側に移動する。そっと窓を開けた瞬間、極寒の風が吹き込んでくる。その窓を通り抜け窓の外へ出ると、煉瓦の出っ張りに足をかけ応接室の窓の下までゆっくりと移動する。
(鍵がかかってないように……)
寒さに手がかじかむのをこらえ、窓をそっとずらすと1cmくらいの隙間ができた。風下のため風が吹き込まず窓を開けたことがばれない。ほっとして窓の近くに頭を近づけ、中の会話に聞き耳を立てる。
「演奏会まで、あと3日。待ち遠しい」
声が大きい大男の声は容易に聞き取ることができた。
「じゃあ、前日に森へ行きましょう。女も一緒に連れて行きますか?」
邪悪な笑いが部屋に響き渡り、大男は気が緩んだのか雄弁になる。
「ヘルマンニ様、上手くいきましたね」
それを聞いたヤスミンは窓をもう少しだけ開き、胸から記録装置をだして窓際に置く。震える手で押しにくいボタンをようやく押すことができた。
「公爵家を乗っ取るために仲間を執事として潜り込ませ、災害復興で割増のお金をいただく。公爵家は貧しくなり伯爵家は豊かになる。素晴らしい計画です」
酒を飲みながらヘルマンニが返答する。
「ダーグル伯爵は野心家だ。カハトラ公爵領を手に入れて王宮内でも力を示したいんだろうよ。我が商会はその手助けをするだけだ」
「ハルパとかいう高貴な女も手に入るんですね。こりゃあ楽しみだ」
装置からカチリと音がして記録が終わる。意外に大きな音に男たちが窓を睨む。
「おい、今、窓から変な音がしなかったか?」
「しました!」
そう言うと小男が窓の側に走り寄って来るのを見て、ヤスミンは詠唱を始める。ギイッと窓が開かれる瞬間、ヤスミンは『影足』を発動させ、小男に見られることなく廊下の窓まで戻ることができた。
「……気のせいか。窓が開いてやがる。どうりで冷えるはずだ」
窓の外に顔を出した小男は、周りを見渡して誰もいないことを確かめると、窓をしっかり閉め、またソファーに戻っていった。すぐにその場を離れたヤスミンは音を立てずに宿舎に戻り、ベッドに潜り込む。身体がすっかり冷えていたけれど、すぐに白い下着に着替える。黒服は目をつけられる。
大事な魔法道具とレオンシュタインの紙は秘密のポケットに移し替え、黒い服装を庭の木の茂みに捨てにいく。
(用心は大事)
ベッドに戻った瞬間、また廊下から足音が聞こえてきた。驚くべき事にまた見回りがやってきて、荒々しく扉を開けるとメイドの袋の中を確認し始める。ヤスミンの袋も中身を全て確認される。
(下着、入れてなくて良かった)
別の心配をしながら眠ったふりをする。男は何もないことを確認すると、すぐに廊下に出て行った。ヤスミンは警戒をとかず、そのまま眠ったふりを続けるのだった。




