第10話 仮面の下
レオンシュタインがびっくりするもの無理はなかった。大きな石の上に座っているのは、いつもの仮面の少女ではなかったからだ。
柔らかな眼差しに黄金の髪が輝き、瞳の色は深いブルーをたたえている。目鼻立ちも整い、唇は薄紅色で口元はいつも笑みが浮かんでいる。そこにいたのは美の女神とたたえられたティアナの母マグダレーナに似た面影の少女だった。
「レオン。何、言ってんの?」
軽く首を傾げ、そっと立とうとするティアナだが、その瞬間よろけてしまう。
「あ、危ない!」
思わず手を伸ばしレオンシュタインがティアナの身体を右手で支えると、思った以上に軽く柔らかい感触に、レオンシュタインは困惑してしまう。
この子は本当にティアナなんだろうか。
王国歴162年9月5日 沼の近くでレオンシュタインは混乱していた。
「ティア。何で仮面がないの?」
顔を何度もペタペタと触るティアナは、いつもの仮面がないことにようやく気付く。びっくりしてレオンシュタインの顔をのぞき込んでくる。
「ね、レオン。私の顔……どんな感じ?」
「自分で見るといいよ」
訝しげな表情のまま沼のほとりまで歩いたティアナは、顔を水に映してみる。レオンシュタインが横から松明を近づけてくれた。
「母さま?」
母マグダレーナに似た顔を触りながらティアナは自然に涙目になる。そっとしておこうと松明を近くに置いたまま、レオンシュタインはバイオリンをしまい始める。
しばらくするとティアナはレオンシュタインの方に近づいてきた。松明に照らされたティアナの素顔を見上げると、レオンシュタインは動悸を押さえられない。いつものティアなんだと思っても、こんな美少女に近寄られると平静ではいられない。
城でさんざん嫌な目に遭ったトラウマが辛い。
目を合わせようとしないレオンシュタインを見て、ティアナは悲しそうに目を伏せる。
「私の何があなたを困らせてるの?」
顔を近づけるティアナに、それが困るんだよとは言えない。
「すごく綺麗で……。そんな綺麗な子と一緒にいるのは、ぼくに合わないなと思っただけなんだ」
「えっ、何で?」
「ティアだって知ってるだろ。ぼくのお妃候補が何人も城にやってきて、その度にぼくに侮蔑の目を向けてさ。最後は、お決まりのお断りの言葉が何度も何度も……」
口元をきゅっと結び、目には深い悲しみが宿っていた。
「誰もぼくを好きにならないんだなって……思ったよ」
誰にでも優しいレオンシュタインが深い悲しみを抱えていたことに、ティアナは今まで全く気がつかなかった。彼のことを全く理解していなかった事実に胸が痛む。
「今まで気づかなくてごめんなさい。レオンがそんなに悲しんでいたなんて本当に私は駄目ね。メイド失格だね」
レオンシュタインから目をそらさずにティアナは言葉を続けていた。
「でも、この前から私はあなたの許嫁なんだよ……いい?」
レオンシュタインの両頬を掴んだティアナは、顔をさらに近づけてくる。ち、近い! と逃げようとしてもティアナは逃がしてくれない。
「こんな美少女が、あんたの側にずっといるんだよ。も、もし、あなたが脱げって言ったら、全部脱いじゃうんだからね」
え?
ちょっと待て、とレオンシュタインは冷静になる。こ、これは、もしかしてアレなのか?
シスターの言葉が脳裏に浮かんでくる。
「体重を減らしていけば、きっとよい出会いがあると思いますよ」
出会い、キター!!!!!!!!!!!
この目の前の超絶美少女が「よい出会い」かあ、とレオンシュタインは思わずガッツポーズを繰り出してしまう。逆にティアナはポカンとしたままだ。
そのままレオンシュタインは調子に乗ってしまった……。悲劇が待っているとも知らずに……。
「そ、そうかあ。ティアナは許嫁だったねえ。じゃ、じゃああさささ」
「?」
「今日、一緒のね、ねど」
何を言っているのか分からない、とティアナは黙ってレオンシュタインを見つめている。
(さあ、勇気を出せ! レオンシュタイン!)
大きく深呼吸をして、ついに、
「今日は一緒にね、ね、寝ようか」
その瞬間、ティアナのグーパンチがレオンシュタインの頬に炸裂した。
「調子に乗んな! ドスケベ! 私、先に戻る!」
レオンシュタインは頬を押さえたまま、ティアナが去って行くのを呆然と見守っていた。
あれ? これこそシスターが教えてくれた「よい出会い」じゃないのか、とレオンシュタインは首をひねっていた。このシチュエーションはそうだよね、と独り言をつぶやく。しばらく、その場に立ちつくしていたレオンシュタインだったが、頭を冷やして、もう一度シスターの言葉を思い出してみることにした。
「痩せるたびに新たな出会いが待っています」
ん?
まてまて! 新たな出会いって言ってたよね、とレオンシュタインは思い出していた。ということは、新たに出会っていないティアナには当てはまらないんじゃ……と気付いてしまう。
膝から地面に崩れ落ちたレオンシュタインは恥ずかしさのあまりその場で転げ回る。
(なんで調子に乗って「一緒に寝ない?」なんて言ってしまったああ。何だよ、お告げなんて気休めなのに、本気にしてしまった自分が情けない……)
太陽が沈み、西の方角はオレンジ色で覆われ始める。沼の上にオレンジと藍色が混ざり合った景色が広がり、少しだけ昼間の草の匂いが残っていた。夕暮れの光を眺めながら、レオンシュタインは恥ずかしさのあまり、ずっとその場から動けずにたたずんでいた。明日からは謙虚に生きていこうと思ったレオンシュタインだった。
「レオンシュタイン。……どんまい」
木の陰に隠れていたビコーは小さな声でつぶやく。さすがに痛々しくて、慰めの声をかけられずに見守ったままだ。
やがてトボトボとレオンシュタインは今日の寝床に戻っていく。
ティアナの寝床は遙か彼方のルイーズさんの近くに敷かれているのだった。




