第3話 照明魔法に九割の無駄がある件
ジーッ、ジーッ、と鳴り続ける微かな振動音に眉をひそめながら、アークは先ほど視線を向けた壁の魔導灯の台座を改めて検分し始めた。
フォルト宿場の小さな宿兼工房『ベル亭』。その二階の客室で、長旅の埃を落としてさっさと眠るつもりだったのだが、目の前の器具が放つ不自然な脈動がどうにも引っかかる。
ガラスの覆いの奥では、親指の先ほどの小さな魔石が、苦しげに明滅しながら光をひねり出していた。
アークは真鍮の台座の縁にそっと指先を当て、すでに視認していた魔法陣の細部へ微弱な魔力を通わせていく。
(やっぱりな。昼間の馬車は『後から足された補助術式の連絡ミス』だったが、こっちはもっと性質が悪い。過剰な安全確認と、素人の継ぎはぎ工事が正面衝突しているぞ)
本来、こうした室内用の魔導灯には、魔石が台座に正しく収まっているか、ガラスの覆いが割れていないか、周囲に燃えやすい布がないかといった火災防止の点検機構が備わっている。明かりを点ける最初の瞬間に一度だけ確認を行えば済む、真っ当な安全設計だ。
ところがこの普及品の台座には、粗悪な魔石でも一定の明るさを無理やり引き出すための「光量補正の紋様」が、本来の回路のすぐ外側に雑な手順で彫り足されていた。
しかも、その繋ぎ先が最悪だった。
光量を微調整する処理がひと区切りつくたび、完了の合図がそのまま最初の「点灯時の安全確認」を叩き起こす構造になってしまっているのだ。
明るさを保とうとするたびに初期点検が最初から走り、点検が終わるとまた光量補正が動いて、再び初期点検を呼び出す。まるで、扉の鍵が閉まっているか不安で、一歩歩くごとに玄関へ戻ってガチャガチャとノブを確かめ続けているような状態である。
結果として、魔石から引き出された魔力の九割近くが「現在も安全に点灯しているか」という確認の空回りだけに食いつぶされ、肝心の光を作る処理にはほんの残りカスほどしか回っていなかった。
しかも、絶え間ない呼び出し処理の摩擦で、台座の真鍮板がじんわりと熱を持ち始めている。
このまま見なかったことにしてベッドへ潜り込むことも考えたが、耳障りな振動音と、目の前で無意味にすり減っていく魔石を見ていると、どうにも落ち着かない。何より、寝ている間に回路が熱暴走してボヤでも出されたら、安眠どころではなくなる。
アークは脱いだ上着を椅子に掛け、壁の留め具から魔導灯を慎重に外した。
先ほど宿に入った際、一階の帳場の奥に小さな修理工房が併設されていたのを見かけている。工具を借りようと、魔導灯を片手に木の階段を下りた。
夜の帳場はすでに静かだった。
奥の作業机で、小さな手元灯を頼りに帳簿と魔導灯の部品を並べていた女主人のマイラ・ベルが、足音に気づいて顔を上げた。
三十代半ばほどの、袖をまくった実用的な作業着がよく似合う女性だ。栗色の髪を無造作に束ねた彼女の目元には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
「あら、お客さん。お湯ならあと少しで沸きますけど……って、どうして部屋の魔導灯なんか抱えてるんです? もしかして、もう魔石が切れました?」
「いえ、まだ点いていますよ。ただ、台座がずいぶん熱を持っていまして。それに、こんな減り方をしていたら、宿の帳簿が毎月火を噴いているんじゃないかと思いまして」
アークが魔導灯を机の端に置くと、マイラは手元の帳簿に目を落として乾いた笑いを漏らした。
「嫌だわ、帳簿まで透けて見えてるんですか? 護衛のロイドさんたちから、魔法の扱いに詳しい方だとは聞いてましたけど。ええ、お察しの通り、火を噴くどころか毎月綺麗に灰になってますよ、うちの魔石代」
マイラは羽根ペンの軸で帳簿の数字をトントンと叩いた。
「ここいらは北の山が近いから、日が落ちるのが早いでしょう? 廊下や客室の明かりを点けておくだけで、一晩で小粒の魔石がごっそり空になるんです。このところは仕入れ値まで上がってるし、宿代を上げないために、私が夜なべして古い台座の導線を磨いてるんですけどね……やっぱり、安物の器具じゃどうにもなりませんかねえ」
「磨いてあるのはすぐに分かりましたよ。すごく綺麗です。ただ、犯人は汚れじゃないですね。マイラさん、中は触っていませんよね?」
「まさか。死んだ親父からこの宿と工房を継いだ時、『術式の紋様だけは絶対にいじるな、掃除だけにしておけ』って、それこそ耳にタコができるほど言われましたから」
「立派なお父様ですね。実際、中身が分からないまま削ったら、良くてただの真鍮の塊、悪ければ魔石が弾けますから」
「ほら、やっぱり怖いじゃないですか」
マイラが肩をすくめる。アークは作業机の脇にある丸椅子に軽く手を添えた。
「もしよろしければ、少しだけ工具をお借りしても? 安全確認の仕組みは残したまま、通り道だけ整理したいんです。もちろん、万が一壊したら新品の相場で買い取ります」
マイラは手元の部品を置き、値踏みするようにアークの顔と魔導灯を交互に見た。
「整理って……こんな、どこの馬市でも売ってるような普及品をですか? 王都の魔術師様が使う高級品ならともかく、この手の安物の刻印なんて、昔からどこもこの形ですよ」
「ええ。だからこそ、一個直せば他のも全部同じ手順で直せるんです。それと、実はこれが一番切実な理由なんですが」
「切実な理由?」
「あのジーッという音が気になって、今夜あまり眠れそうにないんです」
アークが至って真面目な顔で打ち明けると、マイラは二秒ほど目を丸くした後、ぷっと吹き出した。
「あははっ! なにそれ、貴族のお坊ちゃまは耳まで繊細なんですねえ。うちのお客さんで、魔導灯がうるさいって苦情を持ってきた人は初めてですよ」
「枕元の羽虫みたいなもので、一度気になるとどうにも」
「あー、それはちょっと分かるかも。いいですよ、どうせ奥に予備の台座も転がってますし、それで少しでも魔石が長持ちするなら儲けものです。彫刻刀と魔力伝導インクなら、そこの引き出しを好きに使ってください」
「助かります。お湯が沸く前には終わりますよ」
アークはマイラから許可を得ると、椅子に腰を下ろし、作業机の上で魔導灯の台座を裏返した。
まずは、絶対に触ってはいけない領域の特定からだ。
この魔導灯には、本体の温度が上がりすぎた時に魔力の供給を遮断する「過熱停止」の紋様と、魔石が外れた時に残留魔力を逃がす「接地」の紋様が刻まれている。古い設計ではあるが、ここを削ればただの危険な火種になってしまう。
(よし、安全停止の経路は第四節と第八節。ここはそのまま残す)
アークは細い金属針を手に取り、わずかな魔力を先端に宿らせた。
手を入れるのは、外側の光量補正術式から初期確認へ繋がっている連絡線と、確認処理の出口にある分岐の二箇所だけだ。
安全確認が働く条件を「最初に明かりを点けた時」と「台座に衝撃が加わった時」の二つに絞り、光量補正が終わった後の魔力はそのまま発光部へ戻るように通り道を切り替える。
カリ、と小さな音を立てて、アークは真鍮板の上の不適切な接続線を一箇所削り取り、代わりに細い筆に含ませた魔力伝導インクで短い迂回路を引いた。
インクが乾くのを待って導線の繋がりを確かめる。作業はそれだけだった。時間にして、本当に数分にも満たない。
「え、ちょっと待って。今ので終わりですか?」
背中越しに覗き込んでいたマイラが、拍子抜けしたような声を上げる。
「ええ、終わりです」
「いやいや、呪文を唱えたり、大掛かりな魔法陣を描き直したりしないんですか? ほら、もっとこう、指先から青い火花が散るとか」
「宿の中で火花を散らしたら、それこそお父様に怒られますよ。余計な回り道を塞いだだけですから、光り方も変わりません。では、魔石を戻しますね」
アークが半分ほどすり減っていた魔石を台座にはめ込み、起動の突起に軽く指先を重ねた。
ふわり、とガラスの覆いの中に温かみのある光が灯った。
「音が、しない」
マイラは魔導灯に耳を近づけた。
オレンジ色の光は、先ほどまでの不規則な明滅が消え、一定の明るさを保っている。
「台座を触ってみてください」
「え? あ、はい……って、冷たいままじゃないですか! いつもなら点けてすぐ、じんわり温かくなるのに!」
マイラは慌てて机の引き出しから、魔力の消費量を測る簡易的な検流計を取り出し、台座の側面に当てた。
水晶の目盛りの中でピクリとしか動かない針を見て、マイラは眉を寄せ、検流計を台座から離してもう一度当て直した。
「あれ? おかしいな、この検流計、先月買い替えたばかりなのに。お客さん、針が一番下の目盛りからほとんど動いてないんですけど」
「壊れていませんよ。今まで確認作業の空回りで食われていた九割分の魔力が浮いたので、光らせるだけならそれくらいの消費で済むんです」
「九割?」
マイラの手がぴたりと止まった。
「ちょっと待ってください。九割が浮いたってことは……今まで一晩で空になっていた魔石が、いくつ持つんです?」
「途中で点けたり消したりする回数にもよりますが、今のすり減り具合から計算すると、一粒で八日から九日ほどかと」
「ここの……九日!?」
マイラは机の上の帳簿を勢いよく手繰り寄せ、羽根ペンの尻で数字を辿りながら指を折り始めた。
「えっと、一晩で一個だったのが九日で一個……うちには客室と廊下で合わせて二十個の魔導灯があるから……ちょっと待って、月の魔石代が小遣い程度で済んじゃうじゃないですか! あ、あの、これって何か裏があるんじゃないですよね? 使うたびに特別な魔力を通さないといけないとか、高級な魔石しか入らないとか!」
「いえ、今まで通り、その引き出しに入っている普通の小粒な魔石を入れておくだけです。誰が点けても同じように動きますよ」
「お客さん……いえ、アーク様!」
マイラが帳簿を握りしめたまま、机越しにぐっと身を乗り出してきた。
「お願いです、うちの宿にある残りの魔導灯も、全部その『回り道を塞ぐやつ』をやってもらえませんか!? もちろん、ただとは言いません! 今夜の宿代と食事代は全部無料にしますし、別邸へ移られた後も、うちでできることなら何でもしますから!」
鼻息の荒いマイラの迫力に、アークは少しだけ上体を引いて目を瞬かせた。
考えてみれば、悪くない話だ。明日の朝には別邸へ向かう予定だが、同じ型の魔導灯なら、一つあたり数分で作業が終わる。
(残り十九個なら、明日の一時間ほどで片付くな。それで宿代が浮いて、夜も静かに眠れるなら十分すぎるお釣りだ)
「分かりました。宿にある分なら、明日の朝、別邸へ発つ前に全部直しておきますよ。ただ、安全のために、万が一おかしな点滅をしたらすぐに魔石を外すようにしてくださいね」
「はいっ、もちろんです! ああ、神様、こんな辺境まで流れてきてくださったお貴族様に感謝します!」
「流れてきたというか、まあ、半分追い出されたようなものですが」
「うちにとっちゃ救世主様ですよ!」
マイラは輝くような笑顔で何度も頭を下げると、すぐに何かを思いついたようにパッと顔を上げた。
「そうだ、お隣のパン屋の婆ちゃんのところも、仕込み場の魔導灯の魔石代が高いって毎日ぼやいていたんですよ! それから向かいの鍛冶屋の親方も、宿場の詰め所の連中も! 明日一番でみんなに教えてあげないと!」
「はい?」
マイラの言葉に、アークの笑顔がぴたりと凍りついた。
「あ、いや、マイラさん。俺は『宿にある分なら』と言っただけで、ご近所の分までは――」
「大丈夫ですよアーク様、ただ働きなんてさせません、ちゃあんと修理代は払わせますから! それに照明だけじゃなくて、この宿場には冬場に向けて古い暖房の魔導具や、井戸の汲み上げ術式で困っている家が山ほどあるんです! アーク様の手にかかれば、あんな古臭い術式なんてちょいちょいですよね!」
「いえ、ちょいちょいかどうかは見てみないと――」
「パン屋に、鍛冶屋に、詰め所に、それから雑貨屋の爺ちゃんのところでしょう」
「………………」
こちらの制止も聞こえない様子で嬉しそうに指を折って数え始めたマイラを前に、アークの背筋に嫌な汗が伝った。
(まずい。俺はただ、今夜静かに寝たかっただけなのに、なんで仕事が増える流れになっているんだ?)




