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追放された低魔力の元SE、魔法の無駄を削って最強に  作者: 伊達ジン


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第2話 魔力が足りない? 無駄が多いだけだ

 バチッ、と乾いた音を立てて、馬車の床下から青白い火花が散った。


 外からは、障壁に弾き返された鉄毛猪が荒い鼻息を吐き、蹄で激しく土を掻く音が聞こえてくる。


「くそっ、なんて重さだ! ロイド殿、次の突進が来るぞ! 障壁を保て!」


 馬車の前方で、大剣を抜いた護衛剣士のガイルが鋭く叫んだ。


 だが、御者台の脇で杖を握りしめているロイドとトマの顔からは、すでに血の気が引いていた。


「ロイドさん、導線が熱を持って、魔力がうまく通りません!」

「分かっている、手を離すなトマ! ここで障壁が割れれば、馬車ごと吹き飛ばされるぞ!」


 二人が必死に魔力を注ぎ込むたび、座席下の小窓から覗く刻印板が、悲鳴のような高い金属音を鳴らす。


 剥き出しになった回路へ指先をかざしたまま、アークは揺れる車内で片膝をつき、鋭い視線で乱れる魔力の流れを捉えていた。


(やっぱりな。外からの衝撃そのものより、急激に流し込まれた魔力で術式の中身が詰まりかけている)


 入り口に人が殺到して扉が開かなくなっている建物と同じだ。このまま力任せに魔力を押し込み続ければ、鉄毛猪の牙が届く前に、刻印板の回路が内側から焼き切れてしまう。


「ロイドさん、トマさん! 一度、魔力を流し込むのを止めてください。今の半分……いえ、途切れない程度に繋ぐだけで構いません!」


 アークは連絡窓からよく通る声で呼びかけた。


「なっ! アーク様、冗談はおやめください! 今、供給を緩めたら障壁が消えてしまいます!」

「いえ、消えません。むしろ、このまま全力で押し込み続けると、猪がぶつかる前に足元の回路が焼き切れます」

「や、焼き切れるって……でも、今お止めしたら僕たちが飛ばされますよ!?」

「大丈夫です。今お二人が必死に送っている魔力は、ほとんどが障壁ではなく、刻印板の中の古い確認命令に吸われているだけですから」

「しかし、稼働中の術式から手を引くなど!」

「外への逃がし道は生きています。万が一にも暴走はさせません。ですから、少しだけ肩の力を抜いて、俺に任せてください」


 焦りを滲ませない、落ち着いた声だった。


 トマは杖を握り直し、隣のロイドの顔を見た。ロイドもすぐには答えず、奥歯を噛み締める。


 外では、体勢を立て直した鉄毛猪が低い唸り声を上げ、再び頭を低くして前足を踏み込んだ。一方で足元の導線は赤みを帯びて明滅し、今にも焼き切れそうな異音を立てている。


 ロイドは一瞬だけ目を閉じ、覚悟を決めて叫んだ。


「くっ、トマ! アーク様の指示通りにしろ! 供給を絞るぞ!」

「えっ、ほ、本当に絞るんですか!?  は、はいっ!」


 ロイドが杖を握る手からすっと力を抜き、トマも慌ててそれに倣う。二人が送り込んでいた奔流のごとき魔力が、細い糸のような流れへと変わった。


「来るぞっ!」


 ガイルの警告と同時に、アークは圧力の下がった刻印板の魔力導線へ、自らの魔力を静かに滑り込ませた。


 平均以下の、決して多くはない魔力だ。ロイドたちのように力任せに術式を動かすことはできない。


 だが、走る魔力の流れを読み取り、分岐点の向きを切り替えるだけなら、それで十分だった。


 アークの指先が、青白く明滅する紋様の上を滑らかに撫でた。


 前世で何度もやってきた、稼働中のシステムから不要な処理だけを切り離す応急措置と同じだ。正規の停止手順を踏む時間はない。だが、どこが本流で、どこが後から継ぎ足された枝葉かは、すでに頭に入っている。


(緊急停止と接地の経路はそのまま。塞ぐのは、重複しているこの分岐点だ)


 指先から放たれたほんのわずかな魔力が、暴れ回る導線の途中に小さな「堰」を作った。


 初期確認の重複をまとめ、再確認の間隔を調整する。その瞬間、赤く過熱していた第十二節の紋様がふっと光を弱め、代わりに車体の四隅へ伸びる本流の導線へ、澄んだ魔力が勢いよく流れ込み始めた。


 外側の魔力膜が消えていないことを視界の端で確かめながら、続いて毒霧検知の通知を異常時だけに切り替える。


 パチン、と小さな音が鳴った。


 それまで刻印板から上がっていた火花が、潮が引くように収まり、車内の空気を震わせていた金属音もピタリと止んだ。


「え? あれっ?」


 御者台のトマが、自分の手元で急に軽くなった杖の感触に声を漏らした。


「ロ、ロイドさん! 杖が、急にスカスカに……っ、まずいです、やっぱり障壁が消えました!」

「馬鹿を言え、前を見ろ!」


 ロイドが叫んだ瞬間、馬車の周囲を覆っていた薄い魔力の膜が、これまでとは比べものにならないほど澄んだ青色の光を放った。


 不規則な明滅は完全に消え、まるで磨き上げられた硝子板のように滑らかな障壁が、車体の四方をぴたりと囲んでいる。


「なっ……なんだ、この光は。私が送っている魔力は、さっきの十分の一にも満たないぞ!?」


 手元の杖から伝わるわずかな消耗感に、ロイドの声が震える。


 そのすぐ前方で、鉄毛猪が地面を蹴った。


 土煙を巻き上げ、砲弾のような勢いで突っ込んでくる巨体。ガイルが大剣を構えて割り込もうとするよりも早く、その突進が馬車の右側面へ迫る。


「右に来ますね。ロイドさん、余計な力は入れずに、今のままでお願いします」


 アークは短く声をかけると、刻印板の第四節――障壁の配置を司る紋様へ、もう一度指先を置いた。


(四方全体を同じ厚みで守る必要はない。今は、牙が当たる右側面の一点だけでいい)


 正面、背面、そして左側の障壁出力を最小限の維持状態へ落とし、浮いた分の魔力をすべて右側面の高さ一メートル付近へ束ねる。


 しかも、ただ平らな壁を作るのではない。鉄毛猪の突進を真正面から受け止めれば、障壁は耐えても馬車が横転しかねない。だから、魔力の面にごくわずかな傾斜をつけ、衝撃を外側へ受け流す構造に書き換えた。


 直後――ドォンッ! と腹の底に響く轟音が森を揺らした。


 だが、馬車はほとんど揺れなかった。


 右側面の空間に一瞬だけ濃密な青い六角形の光が浮かび上がり、鉄毛猪の牙がそこへ食い込んだ瞬間、火花ではなく滑らかな光の波紋が広がったのだ。


「グギャアッ!?」


 全力の突進の勢いを斜め上へと逸らされ、鉄毛猪の巨体が大きく宙に浮いた。


 自分の突進力でバランスを崩した魔獣は、馬車のすぐ脇を掠めるようにして通過し、そのまま街道の反対側の地面へ激しく転がり落ちる。


「今のうちだっ!」


 地面を蹴って跳び出したガイルが、起き上がろうともがく鉄毛猪の鼻先へ、大剣の峰を渾身の力で叩きつける。


 硬い衝撃音とともに、魔獣は大きく頭を振ってよろめいた。


 鉄毛猪は小さく悲鳴を上げると、馬車へ背を向け、来た時と同じ森の茂みへと一目散に逃げ込んでいった。


 枝葉が揺れる音が遠ざかり、街道に静寂が戻る。


「行ったぞ。もう追ってはこない」


 ガイルが息を吐き、大剣を鞘へ収めながら馬車へ戻ってきた。


 車内では、アークがもう一度だけ第四節の紋様に触れ、術式の稼働状態を最終確認していた。


 四隅の魔力膜が安定した厚みで整ったのを確かめてから、座席下の小窓をパタンと閉め、手慣れた仕草でハンカチを取り出し指先の埃を拭う。


「ア、アーク様」


 連絡窓から車内を覗き込んだロイドの声は、隠しきれない震えを帯びていた。


「今……一体、何をなされたのですか? あの鉄毛猪の突進を揺れ一つなく弾き返したというのに、私の魔力は……夜道で足元に明かりを灯している程度しか減っておりません」

「お二人がタイミングよく魔力を絞ってくださったおかげです。あのまま全力で流されていたら、手がつけられませんでした。ありがとうございます、助かりました」

「た、助かったのは私どもの方です! いえ、それより……今あの凄まじい障壁を支えていたのは、アーク様の魔力だったのでは」

「まさか。俺の魔力量はご存じでしょう? あんな大きな障壁を力任せに張ったら、今ごろ俺がこの床で伸びていますよ」


 アークは穏やかに笑って首を振った。


「もともと、この『四重障壁』自体はすごく頑丈に作られていましたからね。無駄に漏れていた分を塞いで、通り道を少し整理したら、本来の性能が出たんだと思います」

「通り道を、整理?」


 トマがゴクリと喉を鳴らし、自分の杖とアークの顔を交互に見た。


「あ、あの、アーク様……僕の聞き間違いでなければ、今、暴走しかけていた魔法陣に直接お触れになっていませんでしたか? 教本では、稼働中の回路に指を突っ込んだら魔力が逆流して腕が吹き飛ぶと習ったのですが」

「ええ、本流の防御命令にそのまま触ったら危ないですね。ですから、そこには一切触れずに、外側の余計な枝葉だけを切り離したんです。ちゃんと手順を踏めば安全ですよ」


 いつもの実務報告と変わらない淡々とした調子で、アークは答えた。トマが「そういう問題でしょうか……」と小さく呟いて目を白黒させている横へ、車体の側面を確かめていたガイルが歩み寄ってきた。


「魔法の細かい理屈は分からんが……あの猪の突進をまともに受けて、車輪一つ浮かなかったのは初めて見た。おかげで俺も、ずいぶん楽に立ち回れた。礼を言う、アーク様」

「いえ、ガイルさんが最初に飛び出してくる方向を教えてくれたおかげです。不意打ちだったら、俺も間に合わなかったかもしれません」

「はっ、俺はただ大声を出しただけだ。一番いいところを持っていかれた気分だな」


 ガイルが苦笑混じりに鼻をこすり、ロイドとトマは顔を見合わせて深く頭を下げた。


「あ、そうだ。障壁の配置は元の四方へ戻して、魔力の通り道だけ整理したままにしてあります。ここからはトマさん一人でも、ほとんど魔力を使わずに維持できるはずですから、ロイドさんは少し休んでください」

「えっ、僕一人でですか!?」

「ええ。今の消費量なら、鼻歌混じりでも維持できますよ」

「は、鼻歌は歌いませんが! ロイドさん、本当に軽いです、これなら僕だけでもいけます!」

「まったく、三十年近く魔術師をやってきて、馬車の障壁にここまで驚かされるとは思いませんでした。お言葉に甘えて、少しだけ息を整えさせていただきます」


 ロイドが恐縮しながら座席へ背を預けるのを見て、アークもようやく自分の席で足を伸ばした。


 再び動き出した馬車は、先ほどまでとは別物のように静かだった。床下から響いていた不快な脈動音も消え、車輪が土を踏む穏やかな音だけが規則正しく伝わってくる。


(うん、やっぱり静かなのが一番だな。これで宿場までゆっくり眠れそうだ)


 アークは窓枠に肘をつき、心地よい揺れに身を任せながら軽く目を閉じた。


★★★★★★★★★★★


 夕暮れ時になり、一行の馬車は目的地である北東辺境・フォルト宿場へと到着した。


 別邸へ入るのは明日の朝にし、今夜は宿場の中にある宿屋で一泊する予定になっている。長旅の疲れを癒やすため、アークはロイドたちに「今夜はもう護衛の交代もいりませんから、温かいものを食べてしっかり寝てくださいね」と伝え、案内された二階の客室へと入った。


 木の香りが残る、清潔で落ち着いた部屋だった。


(さて、明日からようやく誰にも邪魔されない辺境暮らしだ。まずは温かい湯を貰って、今日は早めに――)


 上着を脱ぎかけ、壁際に備え付けられた照明用の魔導灯へ目を向けたところで、アークの手がぴたりと止まった。


 小さな魔石をはめ込んだ壁掛けの魔導灯が、柔らかなオレンジ色の光を放っている。


 一見すれば、どこにでもあるありふれた生活魔法の器具だ。


 だが、静かな室内に、ジーッ、ジーッ、と耳を澄ませば聞こえるほど微かな魔力の振動が響いていた。


 台座に刻まれた小さな魔法陣の光を覗き込んだ瞬間、アークの脳裏に、昼間見たばかりの馬車の刻印板とよく似た引っかかりがよぎる。


(嘘だろう。馬車の護衛術式だけじゃなく、こんな部屋の照明まで同じような組み方なのか?)


 アークは手元を止めたまま、壁の魔導灯をまじまじと見つめた。


 ……深いため息が漏れた。

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