第4話 依頼は一日三件まででお願いします
「――あの、マイラさん。少しだけ、ほんの少しだけ指を折るのを止めていただけますか」
宿場の依頼候補を数え上げていたマイラに向かって、アークは作業机の向こうから穏やかに片手を挙げた。机の上では、修正を終えた魔導灯が音もなく灯っている。
「え? ああ、すみません、つい先走っちゃって。今はまだ四人目です! パン屋の婆ちゃんも鍛冶屋の親方も、気っぷだけはいい人たちですから、魔石代がこれだけ浮くなら喜んで修理代を弾んでくれますって!」
「いえ、四人目まで数える前に止めてほしかったんです。報酬がいくらかという話ではなくてですね……もし明日、宿場中の魔導具がここへ持ち込まれたら、せっかく辺境へ休みに来た俺が、朝から晩まで彫刻刀を握り続けることになりますよね?」
アークが至って真剣な眼差しで問いかけると、マイラはきょとんとして目を瞬かせた。
「それはまあ……これだけ凄い腕前なんですから、引っ張りだこになるのは当たり前じゃないですか? 腕のいい職人っていうのは、寝る間も惜しんで働いて、名を上げて、大金を稼ぐものでしょう?」
「寝る間を惜しんだ結果、本当に二度と起きられなくなったら、稼いだお金は誰が使うんですか」
「縁起でもないことをさらっと言わないでくださいよ」
アークは苦笑混じりに肩をすくめ、机の上の工具をそっと脇へ寄せた。
「とにかく、先ほどお約束した通り、俺が明日直すのはこの『ベル亭』にある残り十九個だけです。ご近所の分まで片っ端から引き受けるつもりはありませんからね。今夜はもう遅いですし、まずはぐっすり眠らせてください」
「う……そ、それはもちろん! お客さんを夜更かしさせるわけにはいきませんよね。すみません、私ったらすっかり舞い上がっちゃって」
マイラは首をすくめてぺこりと頭を下げると、修正済みの魔導灯を宝物のように抱え上げた。
その晩、アークは二階の客室へ戻された静かな魔導灯の下で、久しぶりに何の雑音もない深い眠りを堪能したのだった。
★★★★★★★★★★★
翌朝。北東辺境の澄んだ空気の中で目を覚ましたアークは、朝食の前に一階の工房へと降りていった。
すでにマイラが客室や廊下から取り外した十九個の魔導灯を、作業机の上にずらりと並べて待っていた。
「おはようございます、アーク様! いつでもいけますよ!」
「おはようございます。わざわざ全部外してくださったんですね、助かります。ずいぶん早起きですね」
「魔石代が九割浮くと思ったら、嬉しくて朝方に目が覚めちゃいまして!」
「わかりやすいですね」
アークは軽く笑って袖口を整え、丸椅子に腰を下ろすと、台座をすべて裏返して同じ向きに揃えて並べ直した。
製造された時期や工房が微妙に違うのか、真鍮の厚みにはわずかな差がある。しかし、裏面に刻まれた基本回路と、後から外周へ彫り足された紋様の位置は、昨夜直したものと完全に一致していた。
(よし。これなら一個ずつ工具を持ち替えるより、工程ごとにまとめて進めた方が安全で早いな)
一つの器具につき、点検、切削、インク引き、乾燥と順番にやっていたら、その都度手元の集中が途切れて見落としも起きやすい。
アークはまず、すべての台座の安全回路に経年劣化のひびや腐食がないか、端から順番に目視と魔力探知で一括して点検した。
異常がないことを確認すると、次は金属針へ持ち替え、各台座の不要な連絡線だけを連続して削り落としていく。削りカスをまとめて刷毛で払い落とした後、最後に細い筆で魔力伝導インクをすっと引いていった。
同じ箇所だけを同じ手つきで処理するため、迷いも手戻りもない。最初にインクを引いた一個目が乾く頃には、最後の一個の筆入れが終わっていた。
あとは端から魔石をはめ込み、簡易検流計に当てて消費量が落ちていることを確かめていくだけだ。お湯が沸き、朝の麦粥が鍋でことことと音を立て始める頃には、すべての魔導灯が音もなく穏やかな光を放っていた。
「お待たせしました。インクも完全に乾いていますから、もう壁に戻して大丈夫ですよ」
朝食の盆を運んできたマイラは、机の上で静かに輝く十九個の明かりに目を丸くしたが、すぐに感心したように大きく頷いた。
「一個ずつ直すんじゃなくて、同じ作業をまとめてやっちゃうんですね。お皿洗いと同じだ」
「まあ、似たようなものです」
「これでうちの魔石代が本当に救われます、ありがとうございます!」
アークが布で指先のインクを拭っていると、宿の表戸が慌ただしく叩かれた。
「おいマイラ、いるか! 朝っぱらからすまんが、ちょっと工房の道具を貸してくれ!」
転がり込むように入ってきたのは、白い粉のついた前掛け姿の小柄な老婆と、その後ろから大きな鉄鍋のような器具を抱えた恰幅のいい中年男だった。さらにその背後には、立派な白髭を蓄えた背筋の通った老人まで顔を覗かせている。
「あら、パン屋のマーサ婆ちゃんに、食堂の親方まで。どうしたんです、そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもないよ! 昨夜、お前さんが詰め所の連中に『うちの魔導灯が劇的に良くなる』って鼻息荒く話してたって聞いたからね! だったらうちの暖房器と、親方のところの火力盤も診てもらおうと思ってさ!」
アークは手を拭う布を止め、ゆっくりとマイラの方へ首を巡らせた。
「マイラさん? 昨夜、俺が寝た後に詰め所へ行ったんですか?」
「行ってません! 行ってませんよ、ただ表戸の鍵を閉めようとしたら、夜回りの衛兵さんがちょうど通りかかったから、立ち話のついでに、ほんのちょっとだけ!」
「鼻息荒く?」
「ちょっとだけ鼻息荒く! でも、まさか一晩で宿場中に広まるとは思わなかったんです!」
マイラが必死に両手を振って弁解していると、白髭の老人が一歩前に出て、丁重に頭を下げた。
「お貴族様というのは、あなたのことですかな。私はこのフォルト宿場でまとめ役をしております、オルグと申します。ルミナス侯爵家のご子息が静養に来られたとは伺っておりましたが……マイラから、魔導具の魔石食いを直す類まれな技術をお持ちだと聞きましてな」
「ええ、まあ、マイラさん見事な拡散力ですね」
「うう、すみません」
小さくなるマイラの横で、オルグは切実な面持ちで言葉を継いだ。
「実は今、宿場の共同井戸の汲み上げ術式まで調子が悪く、水が出にくくなっておるのです。どうか、宿場の者たちのために、毎日でもお力をお貸しいただけないでしょうか」
背後では、その後も聞きつけた住民たちが「うちの湯沸かし器も!」「うちの暖房も頼む!」と次々に帳場の入り口へ集まり始めていた。
アークは小さく息をついた。
ここで冷たく突き放せば角が立つ。だが、言われるがままにすべてを引き受ければ、別邸へ移るどころか、この宿場の専属修理工として昼夜問わず働かされる未来しか見えない。
「オルグさん、事情は分かりました。ただ、お引き受けする前に、いくつか条件を決めさせてください」
アークは立ち上がり、集まった住民たち全員に聞こえるよう、落ち着いた声で告げた。
「まず、俺が引き受ける依頼は『一日三件まで』とします。作業をする時間も、朝の九時から昼過ぎまで。夕方や夜間の作業は一切いたしません」
ざわっ、と帳場の入り口が揺れた。オルグが困惑したように眉を寄せる。
「い、一日三件ですか? しかしアーク様、先ほどマイラの魔導灯を二十個近く、朝飯前に直されたと」
「あれはすべてがまったく同じ構造だったからです。暖房器や調理用の火力盤、井戸の術式となれば、内部の紋様も安全確認の仕組みもそれぞれ違います。焦って流れ作業で手を加えれば、火事になったり、井戸が壊れたりしかねません」
アークは机の上の魔導灯を指先で軽く叩いた。
「安全を確認しながら作業するには、一日三件までにさせてください。ただし、実物を調べてみないと、どこまで直せるかは分かりません。危険がある場合は無理に手を加えませんので、それでもよろしければ、まずは今日の三件を見せてください」
オルグは少し考えるように顎髭を撫でた後、深く頷いた。
「もっともなお話です。無理をお願いして事故が起きては何にもなりませんからな」
「ちょっと待っておくれよ、オルグさん!」
納得しかけたオルグの横から、パン屋のマーサが焦ったように身を乗り出した。
「理屈は分かったけどさ、うちの仕込み場は北向きで底冷えするんだよ! 今日見てもらえないと、明日の朝のパン生地が発酵しなくなっちまう!」
「おいおい婆ちゃん、こっちだって昼の仕込みに火力盤がいるんだ! 魔石が割れそうで強火にできねえんだよ!」
「あんたのところは薪の竈があるだろうが!」
「あの大鍋を薪で沸かしてたら昼飯時が終わっちまうんだよ! だいたい俺の方が先に表戸を叩いたぞ!」
「あたしの方が半歩早かったよ!」
入り口付近の住民たちまでが「いや、順番なら詰め所の湯沸かし器が先だ!」「明日はうちの番だろうな!」と口々に声を上げ始め、帳場が一気に騒がしくなった。
「はいそこ、やかましいよ! 宿の前で怒鳴り合うんじゃない!」
パン、と乾いた音を立てて手を叩いたのはマイラだった。
彼女は帳場から身を乗り出すと、仁王立ちで住民たちをぐるりと見渡した。
「そもそも、私が余計な口を滑らせたのが悪かったんだ! ここで大騒ぎしてアーク様にへそを曲げられたら、誰も直してもらえなくなるんだよ! いいかい、今日診てもらうのは、宿場のみんなが使う『共同井戸の制御盤』、それから一番早く駆けつけた『マーサ婆ちゃんの暖房器』と『親方の火力盤』の三つ! 文句はないね!?」
有無を言わせぬマイラの迫力に、後ろの住民たちが「う……まあ、井戸が一番先なら仕方ねえか」と一歩引き下がる。
「アーク様、明日以降の分は、私が責任を持って帳簿に順番と症状を書き留めておきますよ! そうすれば、ここで押し合いへし合いにならずに済みますでしょう?」
「助かります、マイラさん。窓口が一つの方が混乱しませんし、同じ器具を使っている家があれば、明日以降まとめて確認できますからね。もちろん、受付の手間賃は修理代から分けてお支払いしますよ」
「えっ、いいんですか? いやあ、やっぱりお貴族様は話が分かる! さあ、今日以外の人はこっちへ並んだ!」
現金なほど威勢よく住民たちをカウンターへ誘導し始めるマイラを横目に、アークは作業机の上に置かれた三つの魔導具へと向き直った。
丸い銅板に刻まれた暖房術式、四角い鉄板の調理用火力術式、そしてオルグが共同井戸の石枠から外してきたという水流制御の刻印盤。
アークが順番に指先を当てて微弱な魔力を通していくと、古い普及品ならではの似通った欠陥が見えてきた。
どれも長年の間に「出力強化」や「水圧補正」の紋様が外側から継ぎ足され、もともとの確認処理とぶつかって余計な魔力を食っている。ただ、照明と違って、熱や水圧を扱う器具は守るべき安全基準がそれぞれまったく異なっていた。
(共通する欠陥は『確認処理の重複』と『後から足した補助紋様の繋ぎ間違い』の二つ。ここは整理できる。だが、それぞれの器具で絶対に触ってはいけない保護回路は別物だ)
「マーサさん、親方。お二人の器具は、どちらも後から足された火力を強める紋様が、元の安全確認とぶつかって空回りしていますね」
アークが二つの金属板を並べて指し示すと、マーサと親方が同時に身を乗り出した。
「マーサさんの暖房器は、これ、点けるたびに銅板がカンカンに熱くなって、焦げ臭くなりませんでしたか?」
「そうなんだよ! だから怖くて夜中は消してたんだけど、そうすると朝には水瓶が凍っちまってねえ」
「やっぱり。銅板が自分で出した熱のせいで温度を測る命令が狂って、『まだ寒い』と勘違いして魔力を注ぎ足し続けていますね。それで親方の方は、昼時の炒め物か何かでつまみを一気に最大まで回すと、魔石がミシミシ鳴るんじゃないですか?」
「お、おい、なんで見てもいねえうちの厨房のことが分かるんだ!? 婆ちゃん、お前が喋ったのか!?」
「あたしが知るわけないだろう、あんたがつまみをひねる癖なんて!」
「回路の焦げ跡を見れば分かりますよ。強火用の補助線が、『立ち消え・逆火防止』の回路へ二重に魔力を流し込んでいるんです。どちらも、器具を守るための安全回路だけはそのまま残して、ぶつかっている通り道だけを引き直せば落ち着きますよ」
アークは暖房器の「蓄熱の上限を抑える回路」と、火力盤の「逆火防止の回路」の位置をそれぞれ確かめると、二つの器具を並べて手早く金属針を走らせた。
暖房器は温度が一定の時に魔力を待機状態へ落とすよう、火力盤はつまみを回した時に魔力が滑らかに合流するよう、それぞれの特性に合わせて魔力伝導インクで短い迂回路を引いていく。
「へえ……お貴族様っていうから、もっとこう、勿体ぶって長い呪文でも唱えるのかと思ったが、ずいぶん手際がいいんだな」
「呪文を唱えて直るなら、俺もそうしたいんですけどね」
「親方、感心してないで邪魔しないように下がりなよ。あんたの鼻息でインクが滲んだら、昼の仕込みがパーだよ」
「俺は息を止めて見てるんだよ!」
二人が軽口を叩き合う横で、アークはインクが乾く時間を利用して、三つ目の共同井戸の制御盤にもルーペを当てた。
分厚い青銅の盤には、冬場に管の中の残り水が凍って破裂するのを防ぐ「水抜き弁の維持回路」が刻まれている。北東辺境の井戸にとっては、これこそが命綱だ。アークは水抜き弁の回路には一切触れず、水を汲み上げるたびに管の長さを最初から測り直していた無意味な反復命令だけを慎重に削り落とした。
そうして井戸の制御盤にインクを引き終える頃には、先に手を入れた二つの器具のインクがすっかり乾いていた。
「お待たせしました。両方とも魔石を入れてみますね」
アークが二つの器具を同時に起動させると、暖房器からは焦げ臭さのない春先のような柔らかい温風が立ち上り、火力盤の鉄板はつまみの動きに合わせてピタリと火力が落ち着くようになった。簡易検流計の針も、従来の三分の一以下の位置で静かに止まっている。
「ほお……これなら夜通し点けておいても、仕込み場が火事になる心配はなさそうだねえ。ありがとうよ、お兄さん!」
「こっちも魔石がちっとも鳴らねえぞ! おい婆ちゃん、お礼に明日の朝は焼きたてのパンをうちの食堂に回せよな!」
「なに言ってんだい、順番を譲ってやったんだから、あんたのところが昼の賄いを奮発するんだよ!」
「誰がいつ譲ったってんだ!」
すっかり安堵した表情で言い合いながら店へ戻っていく二人を見送り、アークは手元の羊皮紙へ、今日扱った三つの器具の型番と「どの保護回路を残してどこを削ったか」という共通の修正手順を図解入りで書き残した。
「オルグさん、制御盤の修正も終わりました。こちらは水圧と水抜き弁の確認が必要なので、実際に井戸へ戻して確かめてみましょう」
「おお、ぜひお願いいたします!」
昼前の日差しが差し込む表通りへ出て、宿場の広場にある共同井戸へと向かう。
オルグが石枠のくぼみに制御盤をはめ込み、アークが簡易検流計を繋いだ状態で魔石をセットした。起動の紋様に手を触れると、井戸の底からゴウッという力強い水音が響き、太い吐水口から澄んだ水が勢いよくほとばしり出た。
広場を通りかかった主婦たちが足を止め、勢いよく水桶を満たしていく水流に安堵の声を上げる。オルグは吐水口から溢れる水に手を浸し、深く息を吐き出した。
「ありがたい。冬に入る前に井戸が枯れたらどうなることかと、ここ数日、夜も眠れなかったのです」
アークは簡易検流計の目盛りを読み取り、手元の控えに数字を書き留めた。
「水圧も安定していますし、水抜き弁の回路も正常に動いています。魔力の消費量は、元の三割ほど……つまり七割減といったところですね。この数値も、さっきの手順書の控えに書き添えておきます」
「七割減、ですか。アーク様、失礼ながら、最初は『一日三件まで』と仰った時、少し気難しいお貴族様かと思っておりました。ですが、わずか半日でこれほど丁寧で確かな仕事をしてくださるとは。おみそれいたしました」
「いえ、自分が無理をしたくなかっただけですよ。無茶なスケジュールで仕事を受けると、ろくな結果になりませんからね」
深く頭を下げるオルグにそう返し、アークは『ベル亭』の帳場へと戻った。
「さて、今日の三件はこれで終わりです。マイラさん、明日以降の分はどうなりました?」
帳場のカウンターから、帳簿を抱えたマイラが顔を上げた。
「ええと、今受け付けただけでも十五件ほどあるんですが、アーク様に言われた通り器具の型番と症状を聞き出してみたら、半分以上がマーサ婆ちゃんのところと同じ暖房器か、うちと同じ魔導灯でしたよ!」
「なら、話は早いですね。ここに型番ごとの修正手順書を書いておきました。同じ型の器具はまとめて同じ日に回してください。手順が決まっているものなら、少し余裕を持って片付けられますから」
マイラは受け取った羊皮紙を広げ、図解された術式に目を通した。
「ああ、これなら同じ型の器具を先に集められますね。わざわざ一軒ずつ取りに行かなくても済みそうです」
「ええ。どの型が何個あるか、先に分かれば助かります」
「分かりました。じゃあ、その辺も帳簿に書き足しておきますね。あ、でもアーク様、同じ型をまとめると一日三件より早く終わっちゃうんじゃありません?」
「早く終わった分は、早く帰って休みます」
「そこは四件目を入れないんですね!」
「入れませんよ。では、俺はこれから荷物をまとめて別邸へ移ります。明日の朝九時に、またここへ来ますね」
マイラが呆れたように笑う中、アークは気持ちよく伸びをすると、まだ昼の日差しが高いうちに工房の席を立った。
★★★★★★★★★★★
その日の夕方、宿場の詰め所の一室では、行政担当の若い書記官がオルグから提出された一枚の報告書を前に首をひねっていた。
辺境の宿場では、公共設備である共同井戸や街灯の維持費を王都へ報告する義務がある。そこに添付されていた『ベル亭』の魔導灯と共同井戸の消費魔力測定値、そしてアークが書き残した簡易手順書の控えが、書記官の常識をはるかに超えていたのだ。
「魔導灯の消費魔力が約九割減、共同井戸の制御盤が七割減? オルグ殿、桁を一つ書き間違えてはいないか。あるいは、検流計の針が錆びついて止まっていたとか」
「いえ、針はちゃんと動いておりましたし、私もすぐ横で見ておりました。現に、井戸の水は以前とは比べものにならんほど勢いよく上がっておりますよ。手掛けられたのは、昨日王都から来られたルミナス侯爵家のアーク様というお方でして」
「侯爵家のご子息が、このような普及品の構造改修を? いや、しかし、この改善率が事実なら、辺境の魔石予算の算定そのものが変わってしまうぞ」
書記官は眼鏡の位置を直し、記入済みの測定記録と術式の修正図面を革の封筒へと収めた。
「私の手には負えん。念のため、定期便で王都の『王立魔術研究院』へこの測定記録を送付し、数値に誤りがないか照会してもらうことにしよう」
書記官は封筒の口に封蝋を垂らし、研究院の検証部門宛ての刻印を強く押し当てた。




