第71話 四人の総力戦、削り取られるタイムリミット
シュンは単管パイプから手を離し、肩で息を整えた。
隣でシエラも静かにパイプを下ろす。
その視線の先で、ノアが抱えてきた大きなスパナの柄が、石畳に当たって鳴った。
「……うん、頼めるかい? シエラと二人でパイプを引いても、びくともしなくてさ」
「まかせて!」
ノアは自分のスパナの先を、アンカーボルトの六角頭へ迷いなく噛み合わせた。
延長用の鉄パイプには見向きもしない。華奢な両手でぐっと柄を引き絞ると、小柄な身体の奥で微細な魔力光が走る。
——パキッ。
乾いた硬質な金属音が、静かな地下ドームに響いた。
30年分の赤錆と硬化油の層が、乾いた音を立てて割れた。
ギギ……と重く軋みながら、ボルトが滑らかに回り始める。
「回った……!」
「……私がパイプに全体重を預けても、動かなかったのですが」
シエラが琥珀色の瞳を細め、回り続けるボルトを目で追った。
ノアは緩んだボルトをくるくると回して引き抜いた。
赤錆にまみれた太いボルトが、カランと音を立てて転がる。
「次、こっちだね!」
ノアは小走りで台車フレームの反対側へ回り込んだ。
アンカーボルトは前後左右で計4本。
さらに、フレームを押し付けている油圧シリンダーの拘束ピンが4箇所。
パキン、パキンと、乾いた破断音が小気味よく連続する。
ノアは次々とボルトを緩め、拘束ピンを素手で引き抜いていった。
そして、最後の一本のピンが引き抜かれた瞬間。
——ギィ……ン。
太い緩衝コイルスプリングが軋み、台車フレームが僅かに持ち上がった。
岩盤の拘束から解き放たれ、重い車体がレールの上で静かに自立する。
ロールアップした袖先で頬の錆粉をぽんぽんと払うと、ノアは小さな胸を張った。
折り返した袖から覗く指先が、誇らしげに錆で黒く汚れている。
「シュン、ぜんぶ外れたよ!」
「ありがとう、ノア……! 本当に助かったよ」
シュンは思わず膝をつき、ノアの頭を優しく撫でた。
ノアは目を細め、くすぐったそうに身をすり寄せる。
「……拘束、すべて解除。復元も正常です」
プラットホームの縁から台車の下を見据えていたシエラが、すっと顔を上げ、琥珀色の瞳を一度だけ伏せた。
「よし……これで台車は動くぞ。あとは——」
言いかけたシュンの作業着の裾を、ノアの小さな手がきゅっと掴んだ。
見上げると、ノアの瞼がとろんと揺れている。
向日葵色の瞳に宿る魔力光が、淡く弱々しく瞬いていた。
「……ん、ちょっと……あたまが重いかも」
「……ごめん、ノア。無理させたね」
シュンが慌てて支えようとすると、ホームの上で見守っていたリリアが駆け寄ってきた。
「ノアちゃん、すごい力持ちでしたね〜。お部屋でゆっくり、炉心を休めましょうね」
「うん……ちょっとだけ、寝る……」
リリアに手を引かれ、ノアは眠そうに瞼をこすりながら、居住区へ向かって歩き出した。
見送ったシエラが、手元のテスターを腰のホルダーに収めながらシュンへ向き直る。
「私は台車側の高圧通電ラインと、主電動機の絶縁抵抗の最終監視に入ります。床下ピットに残りますので、シュンは休んでください」
「シエラも無理しないでね。ずっと働き詰めなんだから」
「私の心配をする前に、ご自分の前腕を見てください。……指先が震えています」
シエラの淡々とした指摘に、シュンは思わず自分の手元を見下ろした。
指先を握り込もうとしても、筋肉が固まって力が入らない。
「う……確かに、限界かも……」
「速やかに身体を休めてください」
シエラはそう言い残し、工具箱を手に床下ピットへと降りていった。
鉛のように重い足を引きずり、シュンはリビングへと戻った。
壁際のブラケットライトが、静かな室内に柔らかな橙色の光を落としている。
作業着のまま、革張りソファーに身体を投げ出した。
沈み込むクッションに背中を預け、両腕をだらりと垂らす。
指先の一本すら動かしたくないほどの脱力が、じわりと全身を満たしていった。
衣擦れの微かな音とともに、甘いハーブの香りが近づいてくる。
「シュン様、本当にお疲れ様でした〜」
湯気を立てる厚手の蒸しタオルと、スープカップを載せた木のトレイを手に、リリアがソファーの脇に腰を下ろした。
温かなタオルが、シュンの額と首筋を優しく包み込む。
こびりついた機械油が、タオルの白い面に黒く移っていく。
「……あぁ……温かい……」
「ふふ、まだ倒れてはだめですよ〜。少しだけ、お腹に入れてくださいね」
トレイのスープカップとフォカッチャサンドが、ローテーブルに置かれる。
震える手でカップを口へ運ぶと、一口で肩が一段落ちた。
「美味しい……リリア、ありがとう」
「お粗末様でした〜。……さあ、手を見せてくださいね」
カップを受け取ってテーブルの端に置いたリリアが、シュンの両手をそっと引き寄せた。
柔らかな掌で包み込まれると、じんわりと穏やかな熱が伝わってくる。
冷え切っていた指先に、温もりが満ちていく。
リリアの親指の腹が、シュンの親指の付け根へと滑らかに沈み込んだ。
じっくりと心地よい圧がかけられ、固まっていた筋がゆっくりと解きほぐされていく。
「……っ、あ……そこ……痛い……」
「すごく張っていますね〜」
指関節を一本ずつ優しく伸ばし、前腕の筋を手のひら全体で包み込むように揉んでいく。
丁寧に解きほぐされていくにつれ、指先に走っていた鈍い痛みが、心地よい脱力へと変わっていった。
「ふぅ……手の感覚が、戻ってきたよ……」
「よかったです〜。痛くなるまで、ずっと頑張っていらっしゃいましたから」
リリアはソファーの上へとそっと身体を寄せ、脱力したシュンを胸元へと優しく引き寄せた。
お揃い作業着の布地越しに、ふっくらとした柔らかな温もりがシュンの頭をまるごと包み込む。
トントン、と。
一定の静かなリズムで、リリアの手がシュンの背中を優しく叩いた。
「シュン様はもう、何も考えずに目を閉じてくださいね〜」
耳元で囁かれる穏やかな声。
胸元から伝わる微かな駆動音と、温かな揺らぎ。
シュンの瞼が重くなり、リリアの胸元に額を預けたまま、呼吸がゆっくりになっていく。
トントン、と背中を叩く手は止まらない。
ブラケットライトの橙色の光の下で、寝息だけが規則正しく続いていた。
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真夏の熱気が澱む、地下配管ピット。
作業用カンテラの荒々しい光が、剥き出しの岩肌と真新しい鋳鉄配管を照らし出していた。
滴る汗を首元のタオルで拭いながら、公社の作業着を纏ったミレイが図面と圧力計を見つめている。
隣には配管工の親方が立ち、周囲では若手技師たちが手際よくボルトの締め付けトルクを確かめていた。
「主任、第3工区の加圧水密テスト、準備完了だ」
「ありがとうございます、親方。……テスト圧まで加圧してください」
手動油圧ポンプのレバーが規則正しく押し込まれ、圧力計の針が滑らかに上がっていく。
所定の試験圧力でレバーが止まり、針がピタリと静止する。
ミレイは懐中電灯を構え、新設されたフランジの継ぎ目、溶接部、バルブのパッキンを聴音棒で一つずつ確かめていく。
聴音棒を耳から外し、親方へ小さく頷いた。
「……漏れなし。合格です」
周囲の作業員たちが無言で頷き合い、互いの肩を叩いた。
ミレイは手元の工事帳票に合格印を押し、工程管理表に黒い鉛筆で線を引く。
「……職人さんたちの手際が良すぎて、工程が予定よりだいぶ前に進んでいます」
「へっ、公社がちゃんとした資材と正当な日当を出してくれりゃ、俺たちだって最高の仕事をするさ」
親方が笑い、レンチを腰袋に収めた。
ミレイは懐中時計の蓋を開き、手元の図面の東端——赤線で囲まれた『スラム東部閉鎖空洞』を見つめた。
本来は全工程の最後に回されていた安全調査だったが、現場のこのスピードなら。
「親方、この調子なら、東端の閉鎖空洞の点検も、前倒しで入れそうですね」
ミレイは鉛筆の先で、図面の赤枠を軽く叩いた。
カンテラの光が届くのは赤枠の手前まで。配管ピットの奥、東端の閉鎖空洞へ続く暗がりは、静まり返っていた。
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