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第70話 やることが決まったら、手を動かす

 煤で黒くなった指先を擦り合わせ、シュンは目の前にそびえる岩壁を見上げた。

 その継ぎ目から、油の抜けた金属の匂いが微かに漏れている。


「開放機構そのものは確認できました。ですが、問題はその先です」


 シエラが足元の油圧配管から視線を上げ、静かに告げる。


「30年もの間、保守点検が途絶えていた区画です。この隔壁の向こう側で大規模な落盤が発生していれば、退路は完全に断たれます」

「ああ、その通りだ。……とはいえ、この分厚い装甲の先を見通せる探知機なんてないし」

「シュン、ボクが調べてみる!」


 隣にいたノアが駆け寄り、岩壁の継ぎ目へ両手を押し当てた。

 キィン、と澄んだ高い金属音が鳴り、足元のレールが微かに震える。


 シエラがレールに片膝をつき、鋼材へ掌を添えた。

 足元の震えが、規則正しい間隔で奥へ吸い込まれていく。


 ノアの指先で微細な魔力光が明滅し、やがて、ぱっと顔を上げた。


「繋がってるよ、シュン!」

「本当かい?」

「うん! 扉の後ろ、何キロもずっと線路が続いてる。崩れてるとこ、ないよ!」


 シュンの肩から、ふっと力が抜けた。


「よし……道は生きてる」

「道があっても、動かせなければ意味がありません」

「……分かってる」


 居住区へ戻ったシュンは、製図台に向かい、計算用紙に鉛筆を走らせた。

 30年間放置された台車とモーターのオーバーホール、死んでいる給電レールの代わりに敷く直結バイパス配線、ホームに固定された油圧アンカーの解除――。

 大まかに工程を書き出しただけでも、一人でやれば突貫で進めても最低20日はかかる計算だった。


 だが、時間は待ってくれない。

 公社の安全調査班がこの区画へ到達するまで、残された猶予は1週間足らずしかないのだ。


「僕の手がもう四本あったって、到底間に合わない計算だ……」


 思わず零れた弱音に、誰もすぐには返事をしなかった。

 顔を上げると、シエラ、リリア、ノアの三人が、製図台のすぐ脇に並んでいる。


「……みんな。手を貸してくれるかい? ここを、手放したくないんだ」


「改まる必要はありません。工程表の空欄を埋める要員なら、ここに三人います」


 シエラが呆れたように視線を逸らす。


「ふふ、もちろんです。シュン様だけに無理はさせませんよ〜。私にも、できることをお手伝いさせてくださいね」

「うん! ボク、力持ちだから、重いものいっぱい運ぶよ!」


 三人の言葉に、肩の重圧がふっと軽くなる。


「よし、時間がない。さっそく取りかかろう。……でも、その前にまずは着替えだな。床下は埃と油まみれだから、みんなの服を台無しにするわけにはいかないしね」


 シュンは工作室の備品ロッカーから、公社時代にストックしてあった濃紺のつなぎ服を引っ張り出してきた。


「僕の予備だからサイズが合うか分からないけど、着てみてくれるかい?」


 数分後。

 工作室の扉が開き、濃紺のつなぎ姿の三人が並んで出てきた。


「……多少の余裕はありますが、仕立ては悪くありません。作業上の支障は皆無です」


 白銀の長髪を項で束ねたシエラが、革ベルトの尾を腰に回しながら言う。


「ふふ、ちょっとだけ胸のあたりがきついですけれど……動きやすくて、とても丈夫な服ですね〜」


 リリアが袖口を整え、後ろでまとめた金髪を軽く揺らした。


 一番後ろから、手首まで袖に埋もれたノアが、引きずる裾を踏まないよう小さな歩幅でついてくる。


「シュン、見て見て! ボク、本物の技師さんみたい?」

「……ああ。すごく似合ってるよ、ノア」

「動かないでください。裾を折ります」


 シエラがノアの足元に膝をつき、裾を三回、四回と折り返した。

 ウエストの紐を結び直す指先に、迷いはなかった。


「雑談はそこまでです。時間がありません。まずは第1工程、主モジュール床下ピットの点検から着手すべきかと」

「ええ、工具箱も準備できましたよ〜」


 シエラとリリアに促され、シュンは小さく頷いた。


「よし……行こう」


 床に埋め込まれた点検ハッチを開け、シュンはタラップを伝って薄暗い床下ピットへと下りた。

 木製の寝板に仰向けで滑り込み、魔導ランタンを掲げる。

 高さ数十センチの空間には、30年の歳月が堆積させた埃と黒く固まったグリスの匂いが澱んでいた。


 寝板を滑らせて主電動機の中央へ向かい、レール脇の第三軌条に沿って伸びる集電シューを照らし出す。

 ランタンの光に浮かび上がった給電部を覗き込み、シュンは小さく眉をひそめた。


 頭上のハッチから、リリアの柔らかな声が降ってきた。


「シュン様〜、下のご様子はいかがですか〜?」


「だめだね。サードレールからの給電ラインは完全に死んでるよ。集電シューも緑青だらけで、触るだけで崩れそうだ」


 シュンが声を張り上げると、すぐにノアの声が重なった。


「じゃあ……お家、動かないの……?」


「いや、外の電気はいらないよ。サードレールは根元から切り離して、主魔導炉と蓄電池から高圧バイパスを直接引く」


 ハッチの縁から、工具箱と携帯テスターが、リリアとノアの手で慎重に下ろされてくる。

 シュンは寝板の上で受け取り、側壁沿いに並べた。


「配線束と内部コイルの点検のため、私も降ります」


「えっ……シエラも? ここ、思ってる以上に狭いよ?」


 止める間もなくタラップを下りてきたシエラが、迷いなくシュンの隣へと仰向けに滑り込んできた。

 二人並んで横たわると、身動きも取れないほど狭い空間。シエラは淡々と頭上の端子ボックスを見上げた。


「……被覆に亀裂なし。芯線の断線反応もありません」


「助かるよ。じゃあ端子台の微小電圧を測るから……シエラ、その配線束を少しだけ持ち上げててくれるかい?」


「了解しました」


 シエラが両腕を伸ばし、太い配線束を押し上げる。

 シュンは白銅ピンセットとテスターのプローブを構え、端子台のネジ頭へ先端を当てた。


 手元を覗き込もうと、自然と顔が近づく。

 ランタンの光の中、二人の距離はわずか数センチまで縮まっていた。

 息を詰めて端子を見つめるシュンの吐息が、シエラの剥き出しの首筋にかかる。

 作業着の布地を通して、二の腕から体温がそのまま伝わっていた。


 シエラの指先が、微かに強張る。


 ——カチリ。


 耳の裏で、小さなラッチ音が鳴った。

 微細な外気放熱スリットが開き、かすかな熱気がしゅうと抜ける。


 直後、シエラの冷たい指先が、シュンの額を押し返した。


「……近すぎます。手元が陰になります」


 顔を横へ向けたまま、シエラが淡々と告げる。


「あ、ごめん! 集中しすぎてて……」


「……作業を続けてください」


 シエラは視線を合わせないまま、配線束を持ち上げ直した。


 シュンは手元のテスターに視線を落とし、安定した指針の数値を確かめた。


「……電圧降下なし。主電動機自体の整備に入ろう」


 点検窓のボルトを素早く抜き、重い点検蓋を外す。

 露わになった内部の整流子は、30年の放置によって真っ黒な酸化被膜に覆われていた。


「シエラ、駆動ギアをゆっくり手動で回してくれるかい?」


「了解」


 シエラが滑らかに主軸を回転させるのに合わせ、シュンは耐水研磨布を押し当てて慎重に磨き上げていく。

 シャリシャリと乾いた擦過音が狭い床下に響き、黒ずんでいた銅の表面から鈍い金属光沢が蘇った。


「よし、次は絶縁測定だ」


 携帯用の絶縁抵抗計を繋ぎ、小型クランクを勢いよく回転させる。

 乾いたギア音とともに跳ね上がった計器の針は、数メガオーム以上の安全圏でぴたりと静止した。


「……よし! 地絡も短絡もなし。内部コイルの絶縁は生きてる!」


 シエラが計器の針と、点検蓋の合わせ目を見比べ、小さく頷いた。


 二人が点検を終えて息を吐いた、ちょうどその時。

 頭上のハッチから、リリアの明るい声が降ってきた。


「シュン様〜、バイパスケーブルの準備ができましたよ〜!」


「ありがとう、助かるよ! シエラ、先端を引き込むのを手伝って」


「了解」


 開口部から下りてきた太いケーブルを手元へ手繰り寄せる。

 シュンは手慣れた手つきでシリコン被覆を剥ぎ、油圧工具で大型端子を一気に圧着した。

 主電動機の端子台へボルトを均等に締め上げると、トルクレンチの小気味よいクリック音が床下に響く。


「シエラ、導通と位相のチェックを頼む」


 シエラがテスターの端子を当て、計器の数値を読み取った。


「導通正常。位相のズレもありません。主魔導炉からのバイパスライン、接続完了です」


「よし……! 第一関門突破だ」


 工具を片付け、ピットから這い上がったシュンは、リリアが差し出してくれた冷たいタオルで額の汗を押さえた。


「ありがとう、リリア。……でも、休んでる暇はないな。次は台車の拘束解除だ」


 タラップを上がり、プラットホームの縁からレールと基礎コンクリートの境目を覗き込む。


 台車フレームを岩盤に繋ぎ止める油圧シリンダーと極太のアンカーボルトは、赤錆と劣化した作動油、そしてコンクリートの粉塵が固まり、金属同士が完全に癒着していた。


「……これは、ひどいな」


 シュンは工具箱から大型のコンビネーションレンチを取り出し、ボルトの六角頭に噛ませた。

 さらにトルクを稼ぐため、工作室から運んでおいた単管パイプをレンチの柄に差し込み、延長レバーを作る。


「——っ、ぐ……!」


 パイプの端を握り、爪先を浮かせるようにして全体重を預けた。

 だが、六角ボルトは軋み一つ立てない。


 シエラが隣に膝をつき、パイプに手を添えて二人で力を込める。

 鉄パイプが軋んでわずかにしなるが、癒着したボルトは1ミリも動かなかった。


「この延長では足りません。……別の手が要ります」


「っ……! バーナーは……いや、漏れた古い作動油に引火する……!」


 その時、プラットホームの石畳を、タタッと小走りに駆けてくる足音が近づいてきた。


「シュン、ボクの出番?」


 両手で自分用の大きなスパナを抱えたノアが、真剣な顔で駆け寄ってきた。


最後までお読みいただきありがとうございました!


「お揃いの作業着が可愛い!」「シエラとの床下密着にドキドキした!」「ノアの怪力が頼もしすぎる!」「リリアのハンドケアで癒やされたい!」など、少しでも楽しんでいただけましたら、広告下部の【ブックマークに追加】や【ポイント評価(★)】で応援していただけると大変励みになります!

次回も明日【18:00】に更新予定です!

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