第69話 死中に活を求めて
手元の真鍮トレイから革表紙の記録束を抱え上げ、シュンはリビングのローテーブルへと運んだ。
ずっしりとした重みを木製の天板へ置くと、ドサリと鈍い音が落ちる。
「シュン様、こちら空けておきますね〜」
リリアが手際よく空のグラスをトレイへ回収し、資料を広げるスペースを空けてくれた。
入れ替わりにノアが身を乗り出し、革表紙の角を人差し指でそっと押した。
「シュン、これ……なに?」
「公社を辞めるとき、地上から持ってきた私物の資料だよ。古い開発記録とか計画図面だね」
革紐を解いて黄ばんだ用紙の束を広げると、ソファーの脇からシエラが手元を覗き込んできた。
「一介の技師が私費で揃えるには、少々専門的かつ膨大に過ぎるようですが」
「社畜時代の悲しい自衛だよ。図面にない現場のトラブルばかり押し付けられてさ。古書店で買い集めたり、解体現場の廃棄書類を引き取ったりしてるうちに、いつの間にかこんな山になってたんだ」
「自腹で非公式業務の尻拭いですか。相変わらず度し難い組織ですね」
「否定はできないね。……でも、そのおかげで公社が記録を消す前の生データが残ったんだ。ここになら、当時の設計思想があるはずだ」
苦笑を浮かべたまま、シュンは黄ばんだ用紙の束を一枚ずつめくっていった。
活版印刷の細かな文字、手書きの測量値、青焼きの図面。
当時の帝都地下開発に関する記述を、食い入るように追っていく。
数十ページをめくったところで、シュンの指がぴたりと止まった。
用紙の右上に印刷された標題を、指先でなぞる。
『帝都地下退避区画設計基準――モジュール式軍用シェルター構造要領』
「……戦時下の地下都市は、掘った空間に直接部屋を作ったんじゃない……?」
断面図に並ぶ無数のレールと連結器の記号を、シュンの指が一つずつなぞっていく。
「あらかじめ地上で規格化された装甲モジュールを造って……レールで地下へ運び込んで連結してるんだ。有事の迅速な移送と、戦況に応じた区画の組み替えを前提にしてたんだ」
さらにページをめくると、煤けた路線連絡図が挟まれていた。
太い本線から枝分かれし、現在のゼロ・ターミナルの位置に記された駅名。
『第0集積区画――機密ドッキング・ターミナル』
「ゼロ・ターミナルは、単なる終着駅じゃない……装甲モジュールを連結して組み替えるための、集積基地だったんだ」
呟いた瞬間、シュンはハッと息を呑んだ。
目を見開き、手元の図面から勢いよく顔を上げる。
リビングの壁、天井の梁、そして足元の床。
手元の図面と、自分たちが暮らすこの部屋を、信じられない面持ちで交互に見比べる。
弾かれたように立ち上がり、リビングの壁際へ早足で歩み寄った。
木目調の巾木に指先を差し入れ、壁面を凝視する。
指先を滑らせると、塗装の下に隠された規則正しいリベットの頭と、等間隔に走るプレートの継ぎ目が触れた。
「……壁じゃない。これ、装甲板だ」
シュンは敷き詰められた絨毯の端をめくり、現れた床板の点検ハッチを引き起こした。
ハンディライトを点け、床下の暗がりを照らし出す。
白く鋭い光に照らし出されたのは、頑丈な鋼鉄フレームと人の胴回りほどもある太い緩衝コイルスプリング。
そして巨大な車輪群――鉄道用の重装ボギー台車が、埃をかぶったまま鎮座していた。
「……嘘だろ」
覗き込んだシエラが、ハッチの縁に膝をつき、車輪の踏面へ指先を這わせた。
「……摩耗痕があります。かつては実際に走っていたようです」
「それだけじゃない……!」
シュンは厨房と工作室の境界にある配管ピットへ駆け寄り、化粧パネルを外した。
深層水脈からの給排水管、主魔導炉の高圧給電ライン、換気ダクト。
そのすべての根元に、無骨な真鍮製ジョイントが噛まされていた。
「……ワンタッチ式の高圧カプラーだ。旧軍規格の自動密閉ソケット……! プラットホーム側の固定配管と、この部屋の配管は……全部、切り離しを前提にドッキングしてるだけなんだ」
ノアが床下ハッチの縁に両手をかけ、暗がりの奥へ半身を乗り出した。
「……じゃあ、シュン。このお家って……」
「僕らが暮らしてるこの場所……リビングも、工作室も、大浴場も……岩盤の穴蔵なんかじゃない。レールの上に固定された、自走可能な装甲モジュールブロックそのものなんだよ」
だが、シエラが静かに腕を組んだ。
「居住区全体が台車の上にあり、切り離し可能な構造であることは理解しました。ですがシュン、根本的な矛盾をお忘れではありませんか」
「……根本的な矛盾?」
「本線のレールは、ホームの先で車止めと岩壁に塞がれています。部屋が走れるとしても、この巨体が通れる道がなければ、動けない箱のままです」
シュンは言葉を詰まらせた。
何者も来ない完璧な袋小路だからこそ、ここを隠れ家に選んだのだ。
だが、手元の図面に視線を落としたシュンの眉が、ぴくりと跳ねた。
「……いや、待てよ。モジュールを組み替える集積基地だったなら……線路一本の行き止まりで、どうやって編成を組み替えるんだ?」
シュンはローテーブルへ戻り、引き出しから白銅製の拡大ルーペを取り出すと、『北部連絡線・施設計画図』の終端部へレンズを近づけた。
ノアがトコトコと歩み寄ってきて、シュンの腕にぴたりと身体を寄せて図面を覗き込む。
円形レンズの奥で、微小な記号が拡大された。
通常の行き止まりに描かれる「終端岩壁」の斜線ではない。
細かな歯車とシリンダーの模式図とともに、極小の識別コードが記されていた。
『V-704/M――深度連絡用・可動防爆遮断弁』
「……あった。この壁、ただの行き止まりじゃない。扉だ!」
居住区を出て、シエラとノアを連れプラットホーム最奥の車止めへと駆け寄った。
見上げるほど巨大なコンクリート製の車止めと、その背後を塞ぐ無骨な岩壁。
シュンは足元の煤を払い、ハンディライトで基部を照らし出した。
「……やっぱりだ。ここを見てくれ」
自然の岩肌ではあり得ない、一直線に走る幅2ミリほどの隙間。
そこへ光を差し込むと、奥深くに埋設された極太の油圧シリンダーと施錠ピンが鈍く光を跳ね返した。
「……銘板の刻印は旧軍の規格です。実用品ですね」
背後から覗き込んだシエラが告げる。
「さらに車止めの手前だ。レールの継ぎ目にヒンジがある。隔壁が開くと同時に車止めが左右へ退避して、床下の渡り板が倒れてレールが繋がる仕掛けだ」
「……お家のうしろに、線路がつながってるの?」
ノアが車止めの手前に屈み込み、レールの継ぎ目に噛んだ錆びたヒンジを指先でなぞった。
「ああ。集積基地なら、出入りする線路が一本きりのはずがない。……この奥に、公社の図面にない線路が続いてるはずだ」
シュンは立ち上がり、巨大な岩壁を見上げた。
ここを開放できれば、部屋ごと脱出できるルートが繋がる。
だが、足元のシリンダーを覆う赤錆と、完全に硬化した油膜に視線が落ちた。
30年間放置された巨大なシリンダーとボギー台車。
外部給電が断たれた状態で、この大質量をどうやって動かすのか。
安全調査班がこの区画に到達するまで、あと7日から10日。
「……とんでもない工数になりそうだな」
シュンはハンディライトを下ろした。
光の輪が、赤錆の浮いたシリンダーの根元に落ちたまま動かない。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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