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第68話 地下に残るための暗中模索

 深く息を吐き出し、シュンはローテーブルの上に置いた端末を手元に引き寄せた。

 バックライトに照らされた画面には、スラム東部工区の詳細工程表が表示されている。

 赤枠で囲まれた閉鎖空洞の安全調査枠を、指先で軽くタップした。


「……とりあえず」


 工程表を見つめたまま、シュンは苦い声を絞り出した。


「ジュリアンさんのおかげで、7日から10日の猶予はできた。……できたけど」

「延びただけです。問題は何ひとつ片付いていません」


 シュンは画面を暗転させ、肘を膝について両手で顔を覆った。


「分かってるよ……。だから、この猶予の間にどう動くか、だ」

「選択肢は?」

「一番単純なのは……」


 指の隙間から、シュンは情けなく視線を泳がせた。


「着替えと最小限の工具だけリュックに詰めて……ほとぼりが冷めるまで、外へ一時退避する、とか……」


 シエラが切れ長の目をわずかに細めた。


「夜逃げですか」

「人聞きが悪いな! 一時的な避難だよ、避難!」

「中途半端な避難など通用しません。調査班が足を踏み入れる以上、不法占拠の発覚を避けるなら、自分たちに繋がる痕跡をすべて消去して立ち去るしかありませんよ」

「う……」

「そしてそれは、この拠点に構築したすべての生活基盤を、永遠に放棄するということです」


 シュンは言葉を詰まらせ、ゆっくりと顔を上げた。


 深く腰掛けている飴色の革張りソファー。

 ラックの奥で橙色の光を灯す、手組みの真空管アンプ。

 壁一面を埋め尽くす自動インデックス書棚。


 廊下の奥からは、檜の香りが微かに漂ってくる。

 厨房の方角で、水耕プラントの循環ポンプが低く唸っていた。


 どれひとつとして、リュックに詰めて持ち出せるようなものではない。


「……まさか、あの檜風呂を背負って歩くおつもりでも?」

「持てるわけないだろ……!」

「なら、手ぶらで逃げるしかありませんね。……それとも、ここを捨てるのは嫌ですか」


「…………」


 シュンは喉の奥を詰まらせたまま、返答に窮して俯いた。


 ローテーブルの向こう側で、衣擦れの音がした。

 空になった麦茶のグラスの脇に両手をつき、ノアが身を乗り出して、俯くシュンの顔を覗き込んでいる。


「シュン……? ここから、引っ越しするの……?」

「あ……いや、ノア、そういうわけじゃ……」


 純真な問いかけに、シュンは慌てて顔を上げた。


「もし引っ越しするなら……ボクも、荷物を持てるよ」


 ノアは小さな両手を胸の前できゅっと握りしめた。


「ボク、力はあるから。ソファーも、あのお風呂も、運ぶの手伝えるよ……?」

「気持ちは嬉しいけど、お風呂を抱えて街中を歩いたら、目立ちすぎちゃうよ」

「……目立っちゃうの?」

「そりゃね」


 ノアの眉が、しゅんと下がる。

 シュンは苦笑して、言葉を付け足した。


「でも、ありがとう。ノアが力持ちなのは、よく知ってるから」


「でも、シュン様」


 傍らに立っていたリリアが、菫色の瞳を穏やかに細めて口を開いた。


「もしここを離れるとしたら……地上で、新しいお家を探すことになりますよね〜」

「地上で……」


 シュンはその言葉に、思わず顔をしかめてソファーに沈み込んだ。


「……無理だよ。いまさら地上に戻るなんて、絶対に嫌だ」

「……社会復帰の見込みはゼロ、と」

「そう言われても嫌なものは嫌なんだよ……! 地上じゃみんなで気兼ねなく暮らすことだってできないし」


 テーブルに両手を置いたまま、ノアが向日葵色の瞳でじっと見つめていた。


 シュンは乱暴に頭を掻き、ひとつ息を吐き出した。

 身を乗り出し、テーブル越しにノアの頭へそっと手を置く。


「……ここが、ノアの家だからね」


 ノアがほっと息を零し、頭に乗せられたシュンの手にそっと小さな手を重ねた。

 リリアが静かに歩み寄り、シュンの肩へ優しく手を添える。


「ふふ、はい〜。シュン様のお家ですからね〜」


「……最初からそうおっしゃればよろしいのです」


 シエラは小さく息を吐き、琥珀色の瞳をそっと伏せた。


「ですが、どうなさるおつもりですか? 期日が来れば、内部調査は確実に始まりますよ」


「……手ぶらで逃げ出す判断なんて、最後の最後、ギリギリでもできるだろ」


 シュンは顔を上げ、膝に手をついて背筋を伸ばした。


「期日いっぱいまで、やれることは全部やる。……この場所を残す方法を考えるんだ」

「残す方法、ですか。防爆扉が開けば、この駅はホームの端まで一目で見渡せますよ」


 腕を組み、シュンは視線を巡らせた。


「……隠すにしても、情報が足りなすぎるんだよね」

「情報、ですか」

「公社の図面から消される前……ここが本当はどういう場所だったのか、何でもいいから手掛かりが欲しい」


 シュンはソファーから腰を浮かせ、床に足を下ろして立ち上がった。

 リビングの奥、壁一面を天井まで埋め尽くす巨大な壁面自動インデックス書棚へと歩みを進める。


 操作パネルの前に立ち、キートップに指を走らせる。

 乾いた打鍵音とともに、端末のモニターへ検索文字列が走った。


『帝都建都の歴史』

『旧帝国軍・地下開発記録』

『北部連絡線・施設計画図』


 実行キーを静かに押し込む。


 カシャ、と微小なリレーの接触音が響いた。

 書棚の奥でギアとチェーンが噛み合い、真鍮製のインデックスレールが滑らかに駆動し始める。


 無数の背表紙が棚の中で規則正しく整列を変え、過去の記録を載せた真鍮のトレイが、手元へと静かに滑り出してくる。

 金属と紙が擦れ合う微かな音を残して、古びた革表紙の束が姿を現した。


最後までお読みいただきありがとうございました!


「お揃いの作業着が可愛い!」「シエラとの床下密着にドキドキした!」「ノアの怪力が頼もしすぎる!」「リリアのハンドケアで癒やされたい!」など、少しでも楽しんでいただけましたら、広告下部の【ブックマークに追加】や【ポイント評価(★)】で応援していただけると大変励みになります!

次回も明日【18:00】に更新予定です!

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